Ice doll --- sc.014
重い。
今のコウの心境だ。
両手につけられたわけではなかった事は、不幸中の幸いと言えるだろう。
しかし―――重い。
片足に付けられた枷は、一体何キロ…いや、何トンあるのだろうか。
そうそう重そうに見えないごく普通の枷なのだが、コウが全力で動かそうとしても1ミリたりとも動かない。
転がそうにも、ピクリともしないのだ。
念を使っても無駄で、コウも最早それを動かす事を諦めている。
飛行船での道中はそう長いものではなかった。
相手は自分が意識を失っていないことに気付いていたようだが、特に何も言わない。
だから、コウも何も言わない。
結果として、旅の道中は沈黙と共に過ぎ去っていった。
そうして数時間の空中の旅を経て、コウはやたらと豪華な部屋に連れて来られている。
因みに、例の男はコウをこの部屋に放り込み、右脚に枷をつけてからどこかへ消えた。
ドアに鍵は掛かっていない様子。
そこまで辿り着けないのだから、確かに鍵は必要ない。
「…どうしよう…団長に怒られそう…」
警戒は怠るな、と言われたのに、これだ。
言い訳をさせてもらえば、警戒を解いたつもりは無い。
ただ、自分の実力が相手に届かなかっただけの事だ。
恐らく、あの男はコウが一度でも逃げようとすれば、容赦なく殺しただろう。
それを自覚させるだけの殺気を向けられていたのだ。
「念で逃げようにも、金属じゃあ…無理よね」
鉛色のそれを見下ろし、呟く。
誰も居ない部屋で独り言を呟くほどに寂しいものはない。
けれど、こうして声を出していなければ、落ち着かないのだ。
「…って言うか、あの人誰…?」
長い黒髪と、大きな猫目が印象的な人だった。
有名な人体収集家の顔は頭に入れているが、見覚えは無い。
と言う事は、彼はその部類の人間とは違うのだろうか。
コウの中の疑問は尽きる事無く浮かんでは積もっていく。
脳内で疑問符が飽和状態になりそうになった頃、前触れも無くガチャリとドアが開いた。
ビクリと肩を揺らしてから、一歩でも下がろうと試みるも枷によりあえなく失敗となる。
そんな彼女の行動を冷ややかに見つめるのは、今しがた入ってきた男だ。
「…何してるの?」
彼の声を聞いたのは、これが二度目だ。
あの街中での一言以外、彼は何も話そうとしなかったから。
そんな彼の声に答えようとはせず、コウは視線を逸らす。
「………この程度の重さで動けないんだ」
どの程度なら動けない事に納得してくれるんだ。
そう言いたくなるのも無理はないだろう。
スタスタと歩いて近づいてくる彼から逃げる事もできず、警戒心だけを強めていく。
すぐ傍までやってきた彼は、その場に膝を着くとひょいとコウを持ち上げた。
片手で枷を、もう片手でコウを、と言った風に。
あのピクリとも動かなかった枷を片手で持ち上げてしまう彼に、色々と考えていた脱出計画を全て諦めた。
どの計画も、こんな馬鹿力の持ち主相手に通用するとは思えない。
そんなことを考えている間に移動したらしく、ソファーに下ろされた。
枷が足を引っ張ってしまわないように、共に革張りのソファーの上に乗せられている。
やたらとめり込むそれを見て、コウは心中で口元を引きつらせた。
「これは君?」
そう言って取り出されたのは二枚の写真。
そこに映し出されているのは、自分と瓜二つの人物だ。
これを持っていたから、街中で見つけた自分をここまで連れて来たのか。
何故知っていたのか、と言う謎が、漸く解けた。
両手足を枷によって拘束され、光を宿さぬ表情で虚無を見つめている。
片方は金髪に紺碧、もう片方はアイスブルーに自分よりも薄い緋色の眼をした写真。
どちらもその顔立ちから同一人物である事がわかる。
コウはそれを見下ろし、胃の辺りが重くなるのを表情に出さないように沈黙した。
恐らく、これが自分の片割れの姿なのだろう。
そうして瞼を落として沈黙していると、頬にピリッと小さな痛みが走る。
「答えなよ」
何か液体状のものが頬を伝う感覚をうけ、彼によって傷つけられたのだと理解した。
それでもコウは沈黙を貫く。
「他人の空似…とは言わないよね」
語尾を持ち上げるでもない強い言葉に、思わず頷きそうになってしまう。
徐々に殺気が増してきているのは気のせいではないだろう。
表情は変わらないのに、空気だけが息苦しさを増してくる。
クロロとは違う。
彼は邪魔だから殺す。
けれど、目の前のこの男は、殺そうと思って殺す。
同じように思うけれど、何かが違っていた。
「…拷問にはかけたくないんだよね。傷つければ愛玩物としての価値が下がるし」
「…っ」
「まぁ、方法はいくらでもあるよね」
たとえば、と呟くのと同時に、彼の腕の残像が目の前を掠めた。
はらり、と着衣の切れ端がソファーの下に落ち、皮膚が風に晒される。
ギリギリの所で見えていないけれどかなり際どい状況になった服に、コウは自由のきく腕を動かす。
だが、その腕もいつの間にかすぐ前に来ていた彼によって固定された。
「本当に弱いね」
「…やっ」
脳内に警鐘が鳴り響く。
逃げろと訴えているのは、女の本能だろう。
「ねぇ、最後までされたい?嫌なら、答えなよ。君はアイス・ドール?」
いつの間にか押し倒される姿勢になっていて、彼の黒髪がコウの頬を撫でた。
答えれば助かると言う保証は無い。
けれど、答えなければ…どうなるかは、考えなくてもわかる。
「………私、は…」
小さくではあるが、唇が言葉を紡ぎ出す。
それを耳にした彼は、僅かに腕を緩めた。
コウはその時を見逃す事無く、渾身の力で利き腕を引き抜く。
そして、自由になった手を彼に伸ばした―――
「甘いよ」
掌が彼の身体に触れる間際、ガシッと手首を掴まれた。
痛いほどに締め付けられ、再びもとの位置へと押し付けられる。
「掌に念が集中すれば、自然と警戒する。その程度も知らないの?」
馬鹿にするような声色でそう言われ、コウは失敗に終わった逃走劇に唇を噛んだ。
そのくらいは分かっている。
けれど、今の彼女にはその程度の悪あがきしか出来る事がないのだ。
コピーを生み出せば、この枷もどうにかなるかもしれない。
だが、それにはこの男の前に緋の眼を晒さなければならない。
アイス・ドールであることを隠そうとしている彼女には、そんな危ない橋は渡れなかった。
わざと緩められた手を解き、せめてもの抵抗とばかりに身を翻す。
もちろん、足につけられた枷が軽くなっているなどと言う奇跡は無い。
1ミリたりとも動いてくれなかったそれに加えて、即座に男の手がコウを拘束する。
ソファーに伏せる形で両手を彼の手一つで固定され、コウは彼には見えない位置で唇を噛んだ。
動いた拍子に乱れた服はかなり切り刻まれていて、彼女の白い背中を半分ほど晒している。
「弱いくせに諦めが悪いね」
冷ややかな声が聞こえ、コウはハッと我に返る。
すでに彼は彼女の眼前に迫っていた。
闇をはめ込んだような目に感情は見られず、無機質にコウを見下ろしている。
それが、どうしようもなく恐怖心を煽るのだ。
「――――」
不意に、男の持つ空気が変わった。
それに気付いたコウは、ソファーに押し付けていた顔を彼へと向ける。
何かを見下ろすような視線は、自分の背中へと向けられていた。
07.10.28