Ice doll --- sc.011
「出かけたい?」
暇そうにしていたフィンクスを捕まえたコウは、開口一番と言うわけではないが挨拶もそこそこにそう言った。
鸚鵡返しの如く答える彼に、コクコクと頷く。
「出かけるくらい好きに出かけろよ」
「無理だよ」
彼からの答えは、当然と言えば当然。
何とも彼らしい返答に答えたのは、コウ本人ではなかった。
「コウは団長に止められてるから。勝手に出かければ、怒られるんじゃないかな」
多分ね、と付け足したのは、所用で出かけたクロロの代わりにコウの念を見ていたシャルナークだ。
コウはクロロからの課題を着実にこなしつつ、フィンクスに声を掛ける余裕すらある。
もう数分で課題も終わるかな、と時計を見上げてから、シャルナークは続けた。
「まぁ、気持ちは分からないでもないよね。アイス・ドールだし。知ってる奴は知ってるから」
「…じゃあ、無理なんじゃないか?」
切り替えの速さに肩を落とすことなく、コウは含みのある表情でフィンクスを見た。
その表情を目にした彼は、どこか嫌な予感を覚える。
「何でも、言う事聞いてくれるんだよね?」
確認、と言うよりは、最終通告にも似た有無を言わせぬ響きがあった。
彼女の言葉により、フィンクスは数週間前を思い出す。
そう言えば、負けるはずがないと思い、そんな約束をした。
今まで何も言わなかったので、すっかり忘れてしまっていたのだ。
「…待て待て待て。まさか…俺に団長の許可を取れって言うつもりじゃねぇよな?」
こちらは、確認と言うよりは切望だ。
彼女の後ろで「あぁ、なるほどね」などと、まるで他人事のように笑うシャルナークの表情が癇に障る。
彼からすれば確かに他人事なのだけれど。
「言うつもり」
よろしくね?と小首を傾げる動作と共にそれを告げられてしまう。
何でも、と言った以上、これは出来ないとは言えない。
いっそ、Sランクの宝石でも盗って来いと言われた方が心境的に楽だ。
「いいんじゃないか?」
駄目元でクロロに頼んでみたのだが、あっさりとそんな答えが返って来た。
あまりに呆気ない結果で、頼んだフィンクスの方が呆然としてしまう。
そんな彼の状況をわかっているのか、いないのか。
クロロはコウと彼とを交互に見てから、本に視線を落とした。
「基礎の方は終わったからな。一番近い街くらいなら、問題はないだろう」
「本当?」
「ああ。ついでに色々と揃えて来るといい。フィンクス、荷物持ちについていってやれ」
フィンクスに声を掛けたところで、クロロの視線が彼を見る。
その眼差しの意味を察した彼は、即座に「了解」と頷いた。
荷物持ちと言うのは建前だ。
護衛と言えば少し大げさかもしれないが、要するに彼女に害が及ばないようについていけと言う事。
問答無用で却下され、そこから更に粘らなければならないと思っていたフィンクスには、それくらい朝飯前だ。
寧ろその程度で済むのならば、こちらとしてはありがたいくらいである。
首の皮一枚、どころか一筋の怪我も負う事無く彼女のお願いは達成された。
フィンクスは、よし、と心中で拳を握る。
「―――だが」
話は終わったと思ったのだが、クロロは更に続けた。
まだ何かあったのか!?と警戒する彼を横目に、クロロはコウを見る。
「今週は街中で祭りが行なわれている筈だ」
「祭り?」
「必要以上に人が多くなる。行くなら来週にしろ」
鸚鵡返しに繰り返すコウから視線を外し、フィンクスにそう告げる。
彼女の目を見れば、祭りに興味を示しているのは一目瞭然だ。
しかし、ここは何と言われようとも譲れない部分。
「今週中に一歩でもアジトを出れば、外出は許可しない。ついでに暫くマチの監視がつくと思え」
つまり、念糸で繋がれる日々再び、と言うことだろう。
興味はあるけれど、今は祭りよりも出かける方が大事だ。
コウはこくりと頷いた。
「出かける日を決めたら教えろ」
そう言うと、彼はいよいよ読書の姿勢に戻る。
すでに文字の羅列を追っている彼を見ていたコウ。
部屋を去ろうと踵を返すフィンクスに続こうとするも、彼女はすぐに戻った。
そんな彼女の行動を不思議に思ったものの、クロロは顔を上げようとはしない。
くい、とコートの裾が引かれた。
「えっと……ありがとう、クロロ」
言葉を詰まらせながらもそう言ってきた彼女に、彼は驚いたような目を向ける。
彼女に礼を言われるような事をした覚えはない。
どちらかと言えば、責められてもおかしくはないはずだ。
本人の意思に反して村から連れ出し、あれからずっとアジトから一歩も外に出していない。
たとえ彼女自身の出生が、一般人と同じように出歩く事を困難にしているとしても、彼女は人間なのだ。
自由に生きたいと思わないはずが無い。
理解して、彼女自身がアジトから外に出ようとしないにしても、だ。
外出の許可を出したからと言って、自分が礼を言われるのは何とも奇妙だった。
「気にするな」
そう答える声は、自分でも驚くほどに優しいものだった。
そんな彼の表情を見たコウは、その頬を薄く染める。
そして―――小さく微笑みを返したのだ。
「ありがとう」
もう一度そう言うと、まるで照れ隠しのようにふいっと顔を逸らしてしまう。
クロロは彼女を見たまま静止していた。
彼女が自分に向けて笑いかけたのは、これが初めてだ。
綺麗と形容するのももちろん間違っていないが、それよりも優しい笑みだと言う印象が先に立つ。
春を待ちわびた草木がふわりと花開くような、そんな笑顔だった。
「…笑えたんだな」
「…クロロって意外と失礼よね」
ポツリと零した彼の言葉に目を細めて呟くコウ。
気付いていないわけではないが、どうにも彼とコウとの常識にはずれがある。
もちろん、彼女の一般常識も本からの知識が多く、自慢できるほどではない。
だが…彼の常識に関しては、その少ない引き出しをもってしても何か違うと思えるくらいだ。
部屋の中に妙な沈黙が降りる。
「………課題してくる」
折れたと言う表現はおかしいかもしれないが、それが一番近かった。
コウはふぅ、と溜め息を吐き出してから立ち上がる。
そこで初めて、まだ彼のコートを握っていた事を思い出した。
パッと手を離せば、上質の革で作られたコートが重力に従う。
「あぁ、そう言えば…もうすぐ課題が終わるな」
じゃあ、次は…と考えるように顎をなぞる彼に、コウは部屋を出る事もできずに続きを待つ。
程なくして、彼の中で次の課題が決定されたようだ。
「手が空いているメンバー3人から逃げてみろ。メンバーは自分で選んでいい」
「………鬼」
ポツリと呟いた声は、恐らく彼の耳に届いただろう。
クロロは笑みを深めるだけだ。
「言い忘れる前に一応言っておくが、警戒は怠るなよ」
「鬼ごっこの話?」
「出かける時だ」
「…?わかったわ」
この何気ない遣り取りが重要だったのだと気付くのは、その時になってからだ。
07.10.20