Ice doll   --- sc.010

幻影旅団のメンバーはあのクルタ族の滅亡の日に一人欠けていた。
緋の眼になると戦闘能力が向上する彼らに、流石の蜘蛛と言えど苦戦を強いられ―――その結果である。
今回欠けた男は、旅団に入ってまだひと月半。
盛大に弔うほどに情が移っていたわけでもなければ、関係が深かったわけでもない。
実にあっさりと、彼らは男の死亡を受け入れた。
コウはその後釜としてメンバーに入る事になる。
彼女自身は、その事を知らなかった。

「4番?」
「そう。コウがこれから背負うナンバーだよ」

コウはベッドに腰掛けて足を揺らし、マチが準備を進めていく様子を眺めていた。
テキパキと作業を進めていくところを見ると、それなりに手馴れているのだろう。

「ナンバーは絶対に必要なの?」
「まぁ、蜘蛛では皆持ってるしね」
「抜ける時は?」
「…さぁね。死なずに抜けた奴は見たことないから」

つまり、死ぬまで蜘蛛であり続けなければならないと言うことだろうか。
コウはその事実に瞼を伏せる。

「ナンバーは要らない」
「…でも、団長命令だよ」
「私はナンバーの重みを知らないから」

そう呟くコウに、マチは作業の手を止めた。
そして、何かを考えるように沈黙してから、徐に席を立つ。
ベッドに座ったままだったコウは彼女を追うべきなのだろうかと迷う。
だが、彼女が動き出すよりも早く、マチが「ちょっと待ってな」とコウをその場に残した。
一人部屋の中に残されたコウは、人知れず溜め息を零す。

「…籠の鳥…」

ふと、そんな言葉が零れ落ちてしまう。
意図して呟いたわけではなく、その言葉に彼女自身も驚く。
覚悟―――言葉でそう紡ぐのは簡単だけれど、実際に覚悟を決めるのは難しい。
口先だけで紡ぐ事は出来ても、心の奥底まで、と言うのは至難なのだ。
恐らく、自分の中にもまだそんなにも強い決意としてそれが宿っている事は無いだろう。
けれど―――

「信じてみたいの…」

人を、信じられなくなってしまった。
優しくしてくれた母親は、自分の双子の片割れをどこかへと売ったのだと、知ってしまってから。
あの笑顔は本来自分だけに向けられるものではなかったのだと思うと、どうしようもなく苦しかった。
独り占めしたかったわけではない。
ただ…当たり前の優しさが欲しかった。
二つに分けられるはずだったならば、半分でよかったのだ。
無理やりに、一方を取り払って全てを注ぎ込んでくれなくても良かった。
子供のように純粋な者しか信じられなくなってしまった自分。
だからこそ。

「信じてみたい…」

もう一度だけ。
自分を心配している者が居ると言ってくれた彼を―――彼らを。
彼らが仇である事は、きっと一生忘れられない。
しかし、彼は忘れる必要は無いと言った。
苦しみ、痛み、絶望、憎しみ―――コウの感情全てを受け入れると。

「コウ、お待たせ」

音も無くドアが開き、マチが帰って来た。
何かを取ってきた、と言うわけではないらしく、彼女の手は何も持っていない。
どこか満足げな表情である事が分かり、コウは心中で首を傾げる。

「腕とかでも良かったんだけど…それだと着る服が限られてくるだろうから」

そう言って彼女の指先がコウの肌を撫でる。
何とも言えない優しいタッチの触れ合いに、コウは「くすぐったい」と小さく訴える。

「じゃあ、始めようか」
















「終わったのか?」

降りてきたマチに気付いたクロロが声を掛ける。
すると、彼女は一度だけ頷いた。

「コウは?」
「疲れて寝てる。大きくはないけど、それなりに彫ってるしね」

身体に針を刺して彫り込む以上、無痛と言うわけにはいかない。
進めていく内にある程度は慣れるが、それでも痛みを感じ続けると言うのは身体に負担になるものだ。

「仕上がりはどうだ?」
「まだ何とも言えないけどね。失敗はしてないよ。コウは肌が白いきめ細かいから、綺麗にできると思う」
「そうか」

クロロはそう短く答えた。
それから、彼が何かを言う前に、マチが口を開く。

「でも、見せろなんて命令しないでよ。団長の言った通り、心臓の上に彫ったんだから」
「…………………」

言葉を発する前にそう言われてしまい、クロロは沈黙した。
まさか言うつもりだったのか?という生暖かい視線が彼へと集る。
どこか呆れた風に溜め息を吐き出すと、マチはそのままコウの部屋へと引き返した。
彼女を気にかけていたパクノダを連れて。

「これでコウも晴れて蜘蛛の一人、ってわけだ」

残された男性陣の中、シャルナークが声を明るくしてそう言った。
名実共に彼女が仲間になったことが嬉しいのだろう。
どちらかと言えば彼には気を許しているコウを、彼もまた気に入っているようだ。

「コウの念を鍛えてどうするつもり?」
「さぁ…どうするかな。まだどんな能力かもよく分かっていないからな…」

そう答えつつも、クロロの口元は持ち上がっている。
彼自身、素質のある彼女を鍛えるのが楽しみなのだろう。
不思議な事に、コウを蜘蛛の一人に加える事に対し、メンバーの誰からも反対の声は無かった。
彼女の持つ空気がそうさせるのか、素直に美しいと思える容姿がそうさせるのか。
いつの間にかそれなりに打ち解けているらしい女性陣を思い、彼はクスリと笑った。













「あら、本当。綺麗に出来てるわね」
「全体の腫れが引けば、もっと綺麗に映えると思うよ」
「………ねぇ、恥ずかしいからあんまり撫でないで欲しいんだけど…」

枕に顔を埋めるようにして、コウがそう言う。
どうやらマチが離れていた間に起きていたらしく、二人が戻った時にはベッドの上で本を読んでいた。
パクノダは一声かけてから彼女にかけられていたシーツを捲る。
そこに刻まれた漆黒の蜘蛛の感想が、先ほどの言葉だ。

「くすぐったいってば」

蜘蛛の輪郭をなぞったパクノダの指から逃げるようにしてシーツを抱き込む。
そんなコウの反応に、彼女はクスクスと笑った。

「でも、心臓の上なんて言うから、てっきり胸元だと思ったけれど…」

違ったのね、と呟く。
そう、心臓の上と言われれば、一般的には胸元を思い浮かべるだろう。
しかし、蜘蛛はコウの背中、左の肩甲骨の下辺りに彫られていた。

「…蜘蛛を背負いたかったから」

蜘蛛と言う名の覚悟を。
コウの小さな言葉に、二人は顔を見合わせる。
彼女が何を思っているのか、その全てがわかるわけではない。
けれど、何となく感じているものもある。

「…ま、裏でも表でも、心臓の上には変わりはないし」
「そうね。団長に見せるわけでもないんだし…問題はないわ」

頷く彼女らに、コウは心中で感謝の言葉を述べる。
二人の優しさが苦しい時もあったけれど、今はそれがありがたい。
自分では鏡無しには見ることの出来ない位置に刻まれた蜘蛛を思い、そっと目を閉じた。

「マチ、パクノダ」

彼女らの名前を呼んでから、コウはゆっくりと目を開く。
二人の視線が自分へと降りてきているのを確認して、唇を動かした。

「これからよろしく」




一歩目は踏み出した。
ここから歩いてゆけるかどうかは、自分次第だ。

07.10.18