Ice doll   --- sc.009

コウの驚きが抜けきらないうちに、クロロはメンバーを部屋へと戻した。
いや、正しく言えば、戻そうとした、だ。
もちろん事の成り行きが気になる彼らが黙って引き下がる筈もない。
このままではコウの緊張が解けないままだと判断した彼は、自分の方が移動することにした。
穏やかな、けれども有無を言わせない声で彼女を連れ出し、自室へと連れて行く。
嫌と言うほどの視線が背中に向けられていたが、クロロが振り向く事はなかった。

「…何を、考えているの?」

沈黙の降り立った室内。
先にそれを打ち破ったのは、予想外に彼女の方だった。
促されるままに椅子に腰掛け、自分はベッドに腰を下ろしたクロロを見る。
その眼差しは困惑と呼べるものであった。

「…お前の念はまだ不完全だろう。基礎は出来ているようだが…。
今の能力が使えているのは、本来の生まれ持った素質によるものだ」

冷静な返答に、コウは瞼を伏せた。
恐らく、聡明な彼女はその事実に気付いていたはずだ。
自分達と、彼女との差。
それは経験だけでは埋められない。
確かに足りないものがあるのだと、彼女は理解していただろう。

「どうして?」

瞼を伏せたまま、コウはそう問いかける。
クロロはすぐには答えず、彼女の続きを待った。

「どうして、あなたがそこまでする必要があるの?」

放っておけばいいじゃない、と言外に含まれた言葉が聞こえた気がした。
そこで実感する。
自分と彼女の間には、埋まらない溝がある。
出会いがあんな風だったから、無理はないだろう。
しかし、それを差し引いたとしても、彼女はクロロが自分に構う理由が分からないようだ。

「所持品は磨かずにはいられない?」
「所持品?」

コウの言葉に思わずそう聞き返すと、彼女は彼の視線から逃げるように本棚を見つめた。
不自然に閉ざされてしまった唇に、その続きに紡がれたであろう内容を予測する。
つまり、自分が彼女を所持していると…そう認識しているのか。
あの村から盗み出し、自分のアジトに持ち帰った。
状況としては、彼女は自分の所持品に当たるのだろうか。

「そんな風に思っていたのか。………これも、予想外だな」

コウに念を覚えさせるのは、所持品の精度を高める為。
そんな風に思っているようだ。
何をどう間違えばそんな風に勘違いできるのだろう、と思う。
確かに、連れて来たばかりの頃は、逃げられないようにとマチの念糸で束縛した。
それが原因だろうか。

…どこか、納得できない気がする。

「俺が念を教えようと思ったのは、素質があるからだ。ただし、条件はある」

とりあえず、根本から改めさせるのは、また今度でいい。
今は念の話をしなければ、と話をそこに戻した。
条件、と言う言葉に彼女の肩が揺れる。

「理解していると思うが、村を出た以上、外で生きていかなければならない。遅かれ早かれ、念を覚える必要はある。
アイス・ドールとして生まれたお前は、一般人と同じように平穏の中に生きる事は無理だ」

人と言うのは厄介な生き物で、どこからともなく情報が漏れ出す。
蜘蛛と言う箱庭が彼女を守っているのだと、彼女自身は分かっているだろうか。

「遅ければ死に繋がる。お前の拙い念で生き残れるほどに、この世界は甘くはない」

クロロにそう言われ、コウはクルタ族が滅亡したあの日を思い出した。
拙い念―――そう言われても、納得できてしまう。
彼は大した怪我もなく、自分が生み出した彼自身のコピーとやりあったのだ。
彼と同等の実力の持ち主に襲われれば、自分は逃げる事すら出来無いと言うことだ。
あの日ならば、それも運命と思っただろう。
しかし、今は…生きなければならない、理由がある。

「…条件は?」
「蜘蛛に入れ」

単純明快な答え。
だからこそ、それを理解するのに必要以上の時間を費やしてしまった。

「仲間を殺した旅団の中に、入れと言うの?」
「蜘蛛と言う隠れ蓑がお前にとって有益かどうか…分からないほどに馬鹿じゃないだろう」

そんなクロロの言葉に、コウは思わず口を噤む。
何となくではあるけれど、幻影旅団と言う組織を理解しつつある。
そして、そこに囚われている形になっているからこそ、今、ひと時の平穏を手にしているのだ。
それがなくなれば、あの綺麗とは言えない世界で、一人で生きていかなければならないことも、分かっている。

「仲間を…裏切れと言うの…?」

コウは静かに呟き、顔を俯かせた。
そうまでして生きていかなければならないのだろうか。
志半ばに死んでいった彼らを裏切ってまで、その仇に縋らなければならないのだろうか。

「新しい仲間を得ると思えばいい」
「そんな簡単に言わないで!!殺したのはあなたでしょう!?
念だって…不完全なままなのは、教えてくれた兄を殺したからよ!全て、あなたが原因じゃないっ!!!」

ザワリと独特の感覚が身体を走る。
叫んだ拍子に揺れた髪がアイスブルーに変わっていたことから、緋の眼が発現しているのだろう。
クロロは彼女の変化には慣れたらしく、特に驚いた様子もない。

「私では殺せない、仇を討てない。だから、甘んじてここに留まっているのよ!裏切りと分かっていても!!
なのに、あなた達はあの日とは比べられないほど優しくて…どうすればいいのか、分からないっ。
信じて裏切られるくらいなら信じたくないのに!!これ以上心を揺さぶらないで!!」

ボロボロと涙が溢れてくる。
声を絞り出すようにしてそう叫ぶと、コウは身体を小さくして蹲ってしまった。
いつの間にか、彼女が座っていた椅子は床に転がっている。

「―――…漸く本音を出したか…」

彼の声が思ったよりも近い位置から聞こえた。
かと思えば、ふわりと抱き上げられる。
思わず顔を上げてしまった拍子に、目元に溜まっていた涙が弾けた。
そのまま抱き上げられた状態で移動し、ベッドに下ろされる。
コウをそこに移動させると、クロロはすぐに彼女から離れて転がっていた椅子を起こした。

「目を逸らして深い会話を拒むくらいなら、そう叫べばよかったんだ」
「声を上げたって…皆は帰ってこないわ…」
「それが分かっているなら、問題はない。溜め込んでいるお前のことを心配する奴らが居る事を忘れるな」

そう言うと、彼は足音を消してドアの方へと近づく。
そして、前触れもなくガチャリとそれを開いた。
途端に雪崩れ込んでくる蜘蛛のメンバー達。
尤も、女性陣は後ろの方で被害を免れていたけれど。

「…来るなと言ったはずなんだがな」
「はは。だって、気になるでしょ。コウのことだし」
「………結果は後から教えてやる。今は戻れ」

呆れた風にクロロがそう言うと、一人、また一人とその場を去っていく。
いつから居たのかは分からないが、盗み聞きされていた事だけは確からしい。
バタン、とドアを閉じて戻ってきたクロロは、椅子に座って彼女を見た。
何も言わないのは、コウに結論を出させようとしているからだろう。
すでに、涙は止まっていた。

「―――…どうして、クルタ族を襲ったの?」
「緋の眼が美しかったからだ」

まるで宝石か何かを褒めるように、彼は自然に答えた。
理由は分からないけれど、美しいと言われる事が、せめてもの救いに思える。
コウはそっと目を閉じ、脳内を静めた。


この世界で生きていかなければならない。
それならば、覚悟を決めよう。
裏切り咎を背負い、生き残ってしまった者として。
死んでいった彼らの分も、一日でも長く生きられるように―――醜く足掻く、覚悟を。





「…念を、教えて…クロロ」


蜘蛛をその身に刻む、覚悟を。

07.10.14