Ice doll --- sc.008
その日、コウがいつものように本を片手にアジト内でも一際大きい一室へと降りてきた。
一室と言うよりは1階の壁を取り払ってホールにしたような、そんな空間だ。
一般的な家で言うならば、リビングに該当するのかもしれない。
そこら中が瓦礫に埋もれている事を除けば。
「…何してるの?」
普段は各々が好きに過ごしているそこで、コウは少し変わった光景を目にした。
別に与えられた部屋に篭っていても構わないのだが、彼女に用意された部屋は日当たりが悪い。
その所為で本が読み難く、仕方なくそこへと降りてきているのだ。
彼女が見たのは、一つの机を挟んで向かい合うウボォーとノブナガ。
それを囲む数名のメンバー達。
クロロは朝早くからアジトを出て行った。
ウボォーとノブナガは右手を絡め、両者とも肘を机についている。
手の甲に浮かんだ血管を見れば、相当力をこめているのだと言う事がよく分かった。
「腕相撲だってさ」
コウの質問に答えたのはマチだ。
クロロに攫われるようにして旅団のアジトで生活するようになったコウ。
そんな彼女だが、メンバーは至って普通に彼女を受け入れている。
始めこそ警戒心を露にしていた所為で向こうも寄り付かない部分はあった。
けれど、コウが多少なりとも言葉を発するようになってからは、メンバーと変わらぬように接するようになったのである。
そう口数は多くないけれど、コウが質問すれば誰かから答えが返って来る。
気が向けば向こうから声をかけてくることもある―――そんな程度に。
「…何が楽しいの?」
「さぁ。力比べでウボォーが負けるわけないんだから、勝敗は明らかだけどね」
コウには今一理解できなかった。
とりあえず、ウボォーの方は念なし、ノブナガは念あり、と言う状態である事は分かる。
すでに、意識する事無く行なう程度には凝が身についていた。
「いや、わからねぇぜ。大穴でノブナガが勝つかもしれねぇからな」
「フィンクスは強いの?」
「ウボォーほどじゃねぇけどな」
何なら試してみるか?と彼が片腕を持ち上げる。
彼の腕と、テーブルに付着した血の跡とを交互に見て、コウは首を振った。
恐らくあれは思い切り手の甲をぶつけた時に出来た跡だろう。
「コウが勝ったら何でも言う事聞いてやるぜ?一つだけな」
適当な瓦礫に腰を下ろして本を開こうとした彼女は、その言葉にピタリとその動きを止めた。
それから、フィンクスの方を見て「本当に?」と問う。
内容は本気だが、それで彼女が乗ってくるとは思っていなかったのだろう。
彼は意外そうに目を見開きつつ、肯定の返事を返す。
「するわ」
「やめときなよ、コウ。腕を折られるよ」
「念を使ってもいいんでしょう?」
止めるマチにそう尋ねる。
コウにそう問われ、彼女はとりあえず頷いた。
「それなら平気。負けないし怪我もしないから」
どこからその自信が来るんだ。
腕相撲の最中である二人も含めた、その場に居る全員の視線がコウの細腕へと集中する。
そして、次いで事の発端であるフィンクスへと揃って移動。
中には非難めいた視線もあり、彼は僅かにたじろいだ。
「コウに怪我させたら…団長が怒るよ?」
骨一本じゃ済まないかもね、などと言う冗談では済まされない言葉に、若干顔色が青くなる。
気に入っていなければ態々アジトに連れて帰って来て、仲間に殺すなと言うはずがない。
クロロは彼女の身体に傷がつくことを極端に嫌っている。
「……………だーっ!!男に二言はねぇ!」
そう言うと腕を捲り上げて輪の中心へと移動する。
決着のついていなかったウボォーとノブナガだが、即座に場を譲った。
フィンクスとコウの腕相撲の方に興味が傾いたのだろう。
コウはトントンと軽やかに瓦礫を移動し、彼の前へと進み出た。
「フィンクスは念を使う?」
「当たりま―――いや、やめとく」
当たり前だろ、と答えようとした所で、殺気にも似た視線を送られた。
四方から送られてきたので誰と言う特定はやや難しかったが、彼女を可愛がっている面子だろう。
頷けば自分の命が危うい―――それを自覚させるには、十分な殺気だった。
「怪我しても文句言うなよ」
「大丈夫」
「…団長に泣きつくのもなしだぜ」
「泣きついたりしないわ」
コウは肩を解すように一度腕を回し、やがてテーブルへと肘をついた。
すでに彼の方は準備を終えているようだ。
「(久しぶりだから、加減が出来るかどうか…)」
そんなコウの心中など知らず、フィンクスは手が絡まった事を確認してすぐ傍に居たフランクリンに合図を頼む。
「Ready…Go!」
いつもはオールバックにしている髪を下ろして帰って来たクロロ。
一旦部屋に向かって戻ってくると、すでにいつもの出で立ちに戻っていた。
事情は分からないが、メンバーが自分の帰りを待ち望んでいたらしい、と言う事は分かる。
適当な場所に腰を落ち着けた彼は、メンバーを見回した。
「で、何が話したいんだ?」
とりあえず、目下はそれだろうと踏んだ彼はそう切り出した。
そして、誰ともなく事情を話し出す。
「ほぅ…それで、コウとフィンクスが腕相撲…か」
一際低くなった彼の声に、フィンクスが頬を引きつらせた。
しかし、クロロは彼を一瞥する事無くコウへと視線を動かす。
「結果は?」
「え?」
「結果はどうだった?」
「あ…えっと…。私が…」
未だに、真っ直ぐなクロロの視線は苦手だった。
全てを見透かされたような黒曜石に見つめられると、言葉が出なくなってしまう。
それが恐怖によるものではないとわかっているのだけれど、自分ではどうしようもないのだ。
視線さえ合わせなければ、普通程度には話せる。
それが分かっているコウに出来る事は、僅かに視線を逸らして言葉を続ける事だけだ。
「私が…勝ったわ」
「………………………」
長い沈黙が降りる。
コウはクロロからの反応がないことに気付くと、そっと視線を戻した。
そこには珍しくも軽く目を見開く彼が居て、自分の答えが予想とは違っていたのだと悟る。
「…フィンクス、手を抜いたのか?」
「………そりゃ、本気を出す気はなかったぜ。だが…」
語尾を濁す彼の答えは、完全に手を抜いたわけでも無いと言うことだろう。
それならばこの結果でもおかしくはない、クロロはそう結論付けようとした。
「コウはウボォーにも勝ったよ」
シャルナークがにこりと笑ってクロロにそう告げた。
耳を疑うような内容に、彼はウボォーを見る。
どこか不貞腐れた様子だったのは、その所為か。
しかし―――
「何をしたんだ?」
「…………………」
今度はコウが沈黙する番だった。
彼女は何も答えず、また答えるつもりもないという意思表示に顔を背ける。
「合図で力をこめようとしたら、逆に力が抜けちまって…ことん、で終了だ」
状況を説明するウボォーは、あの時のことを思い出したのかその辺の瓦礫を手の中で砕く。
彼の言葉を聞いて、クロロは脳内でそれを整理していった。
「…緋の眼の発現時と通常では、念の系統が変わるのか?」
クロロがコウを見ながらそう問う。
彼女は数秒躊躇ってから、一度だけ頷いた。
どのような能力を持っているのかは分からないが、ウボォーすらも凌ぐ能力を持っているということだ。
何となくではあるがその結論に達していたメンバーは、クロロの言葉によりそれを確信に変える。
「相手の腕力をコントロールする…操作系か、もしくは変化系。
強化系は…強化系の集大成であるウボォーには敵う筈がないな」
ぶつぶつと呟くように何かを考えている彼に、メンバーは彼の動向を見守った。
対して、コウは居心地の悪さを感じたのか、早々に部屋に引き上げようと腰を上げる。
目ざとくそれに気づいたクロロの視線が彼女へと戻された。
「コウ。念を完全に覚えるつもりはあるか?」
突然の問いかけに、コウは驚きを隠せずに言葉を失った。
07.10.11