Ice doll   --- sc.007

夜、コウは窓から見える月を見上げるのが好きだった。
あの村でも見えていた月と、何一つ変わりはない。
万物を分け隔てなく照らしてくれる月明かりが、コウを落ち着かせてくれるのだ。
太陽では駄目だった。
太陽の下では、人々が目を覚ましているから。
月が空を支配する時間帯ならば、何かに邪魔される事なく静寂と共に在る事ができる。
窓際に置いた椅子に腰を下ろし、コウはゆっくりと目を閉じた。
ザワリと髪色が変わっていき、開いた瞼の下から現れたのは緋色の眼。
誰も居ない室内で、コウは毎日緋の眼を発動させる。
まるで、忘れてしまうことを恐れるかのように。
部屋の壁に沿ってポツリと置かれた鏡の中に佇む自分。
緋の眼がこちらを見つめ返すのを、ただ無言のままに見る。

「…こんな特質、なければよかったのにね…」

普通の人であったならば、彼らがこんなにも呆気なく命を落とす事はなかっただろう。
全ての元凶がここにあると悟りながらも、生まれてくる姿を自分で選べる筈もない。
いずれ、この眼も誰かの手によって緋を残したまま抜き取られるのだろうか。
指先で指輪をなぞり、再び瞼を閉じた。
そのまま静かに壁にもたれかかる。
いつか、自分が夜を恐れずに眠れる日は来るのだろうか。
運命が変わったあの日から、2週間が経過していた。







いつからかは覚えていないけれど、コウは本を読むようになっていた。
常に数冊は彼女の手元にあり、読み終える頃には別の本をクロロが持ってくる。
自分と同じ「本好き」の空気でも感じ取ったのだろうか。
知識を取り込むことに対して貪欲である彼女は、ありがたくそれを読み漁った。
そして、改めて世界の広さを感じる。
村で読んでいた物は、村長によって害のないものだけを選出されていた。
だからこそ、偏った知識しか得られていなかったのである。
もちろん、取り込んだ知識は、決して綺麗なものばかりではなかった。
しかし、コウはそれを現実として受け止めている。
この世界で生きていくためには、多くのことを知らなければならないから。

「コウ。ちょっとおいでよ」

ふと、いつものように読書に明け暮れていたコウは、前触れもなく呼ばれた。
あまり集中していなかった所為か、さほど苦を労する事もなく本の世界から抜け出す。
呼んだ人物を探せば、テーブルの所に座っていたシャルナークと目があった。
彼はにこりと微笑み、まるで来いと言わんばかりに手を招く。
コウは分厚い本を閉じ、彼の元へと足を運んだ。

「電脳ページのめくり方を教えてあげる」
「電脳ページ?」
「そ。色々な情報が探せるから、役に立つと思うよ。村ではこんなの触らせてもらえなかったでしょ」
「…なかったわね」
「だろうね。出てくる情報は、いい事ばっかりじゃないし。変な事を覚えて欲しくなかったんだと思うよ」

そう言って説明しながら、パソコンの前を彼女に譲る。
どうぞ、と促されるままに椅子に腰を下ろし、目の前のそれを見つめた。

「手始めに地図でも検索してみようか。うん、それ」

拙い動きで操作するコウに、シャルナークは焦る事無く一つずつ順番に作業を教える。
遠目にそんな光景を見ていたクロロが、近くを通ったパクノダに向かって呟いた。

「随分と気を許しているな」

始めは自分に向けられたものなのだと気付かないパクノダ。
それも無理はないだろう。
彼の視線は、一度だって自分へと向けられなかったのだから。

「あぁ、シャルのこと?そうね…きっと、落ち着くんじゃないかしら」
「顔か?」
「顔もだけれど…髪色よ。コウが可愛がっていた子と同じ髪色なのよ、彼」

パクノダは彼女の記憶を読んだ時の事を思い出し、そう答えた。
彼女は、コウがここに来て間もない頃に、彼女の記憶を読んでいる。
その内容は、クルタ族について。
クルタ族について、コウなりの考えや疑心の念、愛情、不安―――そう言ったものを知った
だからと言うわけではないが、彼女はコウを気にかけている。
そんな彼女の記憶の中に幾度か登場した、少年。
楽しげに笑う彼女と少年の姿を思い出し、パクノダは瞼を伏せる。

「生死は不明。皆、覚えていないようだったから…。でも、コウは生きているって信じて…いいえ、信じたいのよ」
「…確か、ウヴォーが逃がしたのは金髪の子供だったな」
「ええ。だから、可能性が無いわけじゃないわ」

クルタ族は基本的に色素が薄い人種だ。
クロロが殺した中にも、金と呼べる髪色を持った者は一人や二人ではなかった。
可能性がゼロではないとは言え、決して高くもない。
頭のよいコウが、それを理解できていないわけはないだろう。

「…落ち着く、か」

真剣な横顔を見ながら、クロロはそう呟く。
元々面倒見は悪くないとは言え、シャルナークが無償で、しかも自分から動くのは珍しい。
よほど気に入ったらしいな、と心中で思った。

「守ってあげないといけない―――そんな風に思わせるのに、心が強い」

だからこそ、酷く不安定なのね。
パクノダもまた、二人を眺めながらそう言った。

「きっと、距離が掴めないのよ。仲間を殺した私達との、距離を。無理はないわ」
「…そうだな」
「後は、ギャップかな」

唐突に会話に参加してきた声に、二人は驚いた様子を見せなかった。
こちらに歩いてきていたことに気付かないほどに注意力散漫になっていたわけではないからだ。

「ギャップ?」
「そう。冷酷に仲間を殺して緋の眼を奪った極悪人。だけど、ここに来てからはそんな様子は片鱗も見せてない。
それどころか、団長みたいに本を持ってきたりとか…優しいだろ?その辺のギャップ」

シャルナークは事も無げにそう答える。
どうやら、彼は一通りの事は教えてしまったらしい。
パソコンの前に残ったコウが何かをしているところを見ると、好きにやってみな、とでも言い残してきたのだろう。

「普通の奴なら、復讐に心を奪われる。けど、あの子は強いよ。自分の力量と、今の状況を正しく理解してる」

これだけの人数を相手にして、復讐が成し遂げられる筈がない。
そしてもちろん、逃げられる筈もない。
だからこそ、ここで生きていく為に知識を得る。
貪欲なまでに多くのことを覚えようとする彼女の行動は、そこから来ているのだろう。

「一度教えた事は忘れない。頭がいいね」
「楽しそうね、シャル」
「わかる?教え甲斐があるんだよ。―――そうだ。団長、今度念でも教えてあげたら?」

仲良くなる、一番の近道だと思うよ。
そう言って彼は笑った。
彼にそう言われ、クロロはコウの念を思い出す。
例えるならば、磨き始めたばかりの原石。
本来の光沢が見え始めたところで、彼女は師を失った。
今が伸び盛りと言っても過言ではないのだから、今後の指導者によっては飛躍的な成長を遂げられる。
何より、彼女の能力は面白い。
何を制約にしているのかは分からないが、彼女の念は強かった。
緋の眼が必要である以上、自分には扱えない。
けれど、クロロは元より彼女の能力を見て、それを奪おうと思った事は一度もないのだ。
あの能力は、彼女が持つに相応しい。

「あ、終わったかな」

ずっとコウの様子を見ていたシャルナークは、彼女の手が止まったことに気付いた。
作業が分からなくなった、と言うよりは、どこか満足げな横顔が、完了を告げている。
足早く彼女の元へと戻っていく彼の背中を見送り、クロロは口を開いた。

「蜘蛛に招き入れる、と言ったら…コウはどうするだろうな」
「…さぁ。受け入れられるかは…分からないわね」

自分は反対ではないけれど。
そう思いながら、パクノダはパソコンを指差しながらシャルナークに何かを聞いているらしいコウを見つめていた。

07.10.08