Ice doll --- sc.006
「思い出した」
不意に、パソコン画面を見つめていたシャルナークがそう声を上げる。
自分に向けられたものではなかったけれど、クロロは本から彼へと視線を動かした。
「どうした?」
「ほら、このページを見てよ」
そう言われてクロロは腰を上げる。
席を譲ったシャルナークの代わりにパソコンの正面に位置取り、彼の言うページに目を通した。
「アイス・ドール、そう呼ばれているみたいだよ。特異体質のクルタ族って言うのは、マニアの間じゃ結構有名らしいね」
「そんなにも頻繁に現れるものなの?」
シャルナークの言葉に、パクノダがそう問いかける。
彼は首を横に振った。
「周期としては、100年に1度…いや、1人って言うべきかな」
「一生に一度しか見られないのね」
「そう言う事。だから余計に人体収集家の間で超高額に取引される」
写真だけでも1億以上だよ、と言いながらパソコンのモニターに手をついた。
そこに映し出されているのは、コウと同じく氷のような髪に、深い緋色の眼の女性。
両手首に分厚い手錠をかけられ、どこか虚無を見つめている。
「これは前の時の写真らしいね」
「…あれだけ厳重に守られていたのに、捕まったの?」
「どうやら、違うみたいだよ。よく分からないけど…一族の人に聞いた方が手っ取り早いんじゃないかな」
そう言って、彼は視線を動かした。
その先に居たのは、窓際に置かれたソファーに座り、ただぼんやりと夕日を見つめているコウだ。
彼女が団員の前で口を開いてから四日。
一声をあげる事により、最早諦めたのだろうか。
それ以降は逃げ出す様子も見られず、今朝になってクロロがマチに念糸を外させた。
あの日以来クロロも緋の眼であることを無理強いする事はなく、彼女は普段の姿でその場に留まっている。
長時間の緋の眼発動は、身体への負担が大きい事を知っているのだろう。
「コウ」
クロロが名前を呼べば、ゆっくりと視線が動いてくる。
やがて彼の所で止まり、何だと言いたげな視線が向けられる。
「先代のクルタの氷宝はどうやって死んだ?」
「…村から一歩も出ずに、老衰で亡くなったわ」
「なら、何故ここに画像が残されている?一族の誰かが写真を売ったのか?」
「……………」
二度目の問いには答えず、コウの視線は夕日へと戻される。
答えるつもりがないのだろうかと判断した、その時。
「…双子なのよ」
「双子?双子でも、特異体質が現れるのか?」
「特異体質のクルタ族が生まれるのは、決まって双子」
「そんな話は初めてだ。君も?」
シャルナークの質問に、コウはコクリと頷く。
それから、彼女は視線を絡めないままに続けた。
「象徴は2人も要らない。一族はそれが災いの元になることを恐れた。だから―――」
コウは瞼を閉じた。
脳裏に過ぎるのは、見たこともない…けれど、どこかありありと想像できる光景だ。
双子として生れ落ちた赤子のうち、より緋色の深い方が象徴とされる。
そして、選ばれなかった方は、その日の内に村の外に―――つまり、売られるのだ。
コウには想像することしか出来ない。
けれど、その時の光景を思うと、自分に優しく微笑んでくれた村長たちが鬼のように思えてしまう。
ギュッと自身を抱きしめて縮まってしまったコウを見て、パクノダが動いた。
彼女はコウの隣に腰を下ろし、自身の肩を抱くコウの手に己のそれを重ねる。
「何故そんな事を知っている?恐らく、村では一握りの者しか知らない事実だろう」
村全体がそれを容認していたとすれば、どこかに歪が生じるはずだ。
事実を受け入れられる人間ばかりではないのだから。
況してや、それを本人に告げるとは思えない。
「記録として、残されているのよ」
いっそ、知らなければ平和に暮らしていけただろうか。
クルタの歴史が知りたいと言えば、村長は己の家の地下室へと通してくれた。
そこには溢れんばかりの文献があり、昼夜その部屋に入り浸ったものだ。
その三ヶ月後、何が原因だったかは覚えていないが本棚の後ろに小さなスペースを見つけてしまう。
そこに隠されていたのは、今までのクルタの氷宝の詳細。
今思えば、村を出たいと言う意識を持ったのは、あの日が初めてだった。
しきたりだからと売られた双子の片割れを思うと、今でも胸が張り裂けそうだ。
「私には…彼らが、鬼に見えた」
家族すらも疑ってしまいそうで、一日でも早く離れたいと思うようになってしまった。
顔を合わさないように一日中林の中で本を読むようになったのも、兄に念を教わるようになったのも。
全ては、そこから始まっていた。
「村の殆どの人間が知らなかったのか」
「知っているのは、村長と…母親だけよ」
隣人も、友人も、兄も…父親ですら、双子であった事を知らないのだ。
恐らく、その秘密は生涯をかけて守り通すつもりだったのだろう。
確かに彼らはその生涯を賭して、秘密を守った。
一番知られてはならない、コウ自身がその事を知っているとも知らずに。
「コウ」
名前を呼ばれ、彼女は自身を抱く手を解く。
それから、時間をかけてクロロを振り向いた。
「お前は解放されたのか、束縛されたのか―――どっちだ?」
「……………どちらでもないわ」
飛び方を知らない鳥は、飛ぶと言う本能を忘れてしまった。
見上げる空の青さを羨むばかりで、そこに辿り着く術を見失ってしまったのだ。
飛び出した世界はあまりに広すぎて、道が見えてこない。
何をすればいいのか…それすらも、酷く曖昧になってしまっていた。
クルタと言う束縛から解放され、蜘蛛に囚われた。
自分にとっては、それ以上でも以下でもない。
「緋の眼が欲しいならいつでもあげる」
「何度も言うが、殺すつもりはない」
話は終わりだ、とばかりに彼は読書に戻った。
それを皮切りに、話に興味を持っていた面子が各々の位置へ。
「理由のない生を繋ぐ事に、何の意味があるというの…」
呟いた声は、誰の耳にも届かないほどに小さなものだった。
僅かな沈黙が室内に降り立つ。
束の間の静寂を破るかのように、どかどかと言う足音が近づいてきた。
足音だけで誰のものなのかが用意に判断でき、室内の半数の者が呆れた風に溜め息を吐く。
その内に、床を踏み抜くように思えて、気が気ではない。
「団長!すっかり忘れてたぜ!!―――って、何だ何だ。妙に辛気臭ぇな」
バンッと勢いよく入ってきたのは、予想通りの人物だ。
身体に見合う大きな声と共に登場してきたウボォーギンは、室内の様子に軽く首を傾げる。
「どうした?」
「おぉ、そうだった!今さっき思い出したんだがよ…」
「何が思い出した、だ!俺が言ったから思い出したんだろうが!」
自分の手柄みたいに言うな!とそんな声と共に彼の後を追ってきたのはノブナガ。
一気に騒がしくなった室内に、慣れている団員はいつもの事と手元に視線を戻す。
「クルタのガキを一人逃がしちまったんだ。後から追いかけようと思ってて、すっかり忘れちまってた」
「ったく…。だからあの時さっさと追えって言っただろうがよ」
ノブナガの愚痴は聞こえていない。
ただ、ウボォーギンの言葉だけが、コウの脳内をぐるぐると回った。
「………コウ、聞こえたな?」
確信めいた質問だ。
頷く余裕もない彼女に、クロロは本を開いたまま続ける。
「生きる理由が必要なら、それを理由にすればいい。俺はお前を殺さない。勝手に死ぬのも許さない」
生き残った仲間との再会を理由に生きろ、と。
一人を残して全てを殺した張本人の言えた事ではない。
そう思っているはずなのに、それは声にはならなかった。
コウはそっと瞼を閉ざす。
閉ざされたそこから、一筋の涙が流れ落ちた。
「…何なんだ?」
「俺が知るか」
「あぁ、ウボォー」
「お、おう。何だ、団長」
「逃がした子供の事は気にするな。問題ない」
「そうか。そりゃ、助かった」
07.10.03