Ice doll --- sc.004
男―――クロロ=ルシルフルは今までにない状況に軽く目を見開いた。
彼がそうしている間にも、彼を写し取ったコウのコピー…クロロ・コピーとでも言っておこう。
「ジーラス、動けない程度まで攻撃して」
まるで言霊で縛り付けるかのように、凛とした声がそう『命令』する。
その声を聞き取るなり、スイッチの入った機械の様に唐突に顔を上げた。
クロロ・コピーは右手を軽く持ち上げる。
自分でも見覚えのある動作に、彼自身が眉を寄せた。
コピーの右手に現れたのは、見覚えがありすぎる本だ。
当然、突然に現れたのだから一般的な書店で売っているような本ではない。
『盗賊の極意』、スキルハンター。
クロロ自身の念能力である。
「(念まで写し取るのか…これで戦闘能力までコピーされているとすれば…厄介だな)」
自分自身と戦うようなものだ。
やりにくい事はこの上ないだろう。
相手が発動させた念能力には覚えがあるのだから、それへの対応は出来る。
しかし、逆に言えばその能力の危険性も把握していると言う事だ。
まったく、やりにくい事この上ない。
コピー如きに負けるつもりはないが、目の前にはコピーだけでなくコウの存在もある。
緋の眼を抑え込んだ以上、先ほどのような動きはないにしても、その辺の女性と一緒には出来ない。
少なく見積もっても、パクノダ程度の実力はあると考えるべきだろう。
焦った様子など微塵も見せず―――事実、彼は焦っていないのだが―――右手を上げる。
そこに現れたのは、クロロ・コピーと同じくスキルハンターだ。
2人を相手にするのに、念を使わずに、などと考えるほど馬鹿ではない。
「行け!!」
クロロ本人を指して、彼女がそう言った。
その命令を受けて、コピーの方が動き出す。
向かってくるコピーの攻撃を避け、指先で目当てのページを探す。
もう数ページ、と言うところで、肌を焼くような熱を纏った拳が眼前へと迫る。
思わず本を閉じつつ後方へと飛んだ。
追撃に備えて身構えるクロロの予想とは別に、コピーは追う事無くコウの元まで引いていく。
明らかに体勢を崩していた今、何故攻撃の手を休めるのか。
意味の分からない行動に、彼は目を細めた。
そこに何らかの弱点があると、長年の戦闘経験からそれを悟ったのだろう。
まだ何の意味があるのかはわからない。
繰り返せば自ずと答えが出る―――そう判断して、クロロは攻めに転じた。
相手をコピーするまでに掛かった時間や、今現在目の前で繰り広げられる攻防。
それらを考えれば、男の強さがより鮮明になる。
恐らく、自分ではこの能力なくしては逃げる事すら叶わない。
コピーが成り代わって戦ってくれているからこそ、こうして傍観も出来るのだ。
「―――…強すぎる…」
兄が何故あれほどに傷ついていたのか、漸く理解できた。
村一番と謳われた兄も、所詮は一端の村の最強であったに過ぎ無いと言うことだ。
世界は広い―――自分の予想を、遥かに上回って。
同胞が無念に惨殺されたと言うのに、コウの脳内はどこか冷静だった。
あまりに事が大きすぎて、感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。
それとも、自分が見たいと切望した外の世界との接触に、感情が混濁しているのだろうか。
いずれにせよ、平常心ではない。
「井の中の蛙…ね…」
小さく呟いた彼女は、ギュッと右肘を抱いた。
全てを完璧にコピーしたコウの念に対して、同等以上の実力を発揮している。
コウの念能力は、容姿や声のみならず、力から体力から念から、その全てを写し取ってしまう。
もちろん色々と条件はあるが、ここでは省いておこう。
全く同じ人間が二人居るのだと思ってもらえばいい。
本来ならば、実力が同じであるならば戦況は拮抗する筈。
しかし、彼女の目の前に広がっているのは、コピーの方が押されていると言う現状だ。
そう大きな差ではないが、肉眼でも確認できる程度の差。
再度、やや不自然に自分の元へと舞い戻ってきたコピーの肩に出来た傷に触れる。
小さすぎる傷が消えたことに、男は気付くだろうか。
コピーが地面を蹴って男本人へと向かっていく。
「あれー?団長が2人居る」
そんな暢気な声が聞こえたのと同時に、コウはビクリと肩を揺らした。
目の前の戦いに意識を奪われすぎていたらしい。
心中で軽く舌を打ちつつ、声から遠のくように地面を蹴った。
「片方はこの子の念でしょう?凝で見れば分かるわ」
「へぇ…面白い能力だね。念までコピーするんだ」
金髪の青年がそう笑う。
いつの間にか先ほど見た顔ぶれが揃っていて、コウは逃げ道がない事を悟った。
リーダーと思しき男だけが追いかけてきて、それ以外の残った仲間が何をしていたかなど…考えるまでもない。
奪われた同胞の緋の眼は、一際大きな男が背中に提げているアレの中に入っているのだろう。
無念にも殺され、目を奪われた彼らの代わりに、自分に何が出来るのか。
そう考えてみたけれど、自分はあまりにも無力だった。
「団長!この子も緋の眼でしょう?どうするの?」
「殺すな」
「了解。じゃあ、マチ」
「はいよ」
気がつけば、身体の自由が利かなくなっていた。
目に見えない何かに縛られる感覚に、凝を行なう。
漸く見えたそれは、コウの動きを制するように身体に纏わりついた念の糸だった。
あまりにもあっさりとした幕引き。
念使いだと分かっていた筈なのに、油断した自分の愚かさを悔やむ。
「…この子、さっきより念が弱まってない?」
「コピーの方に注ぎすぎてるんじゃないかな。向こうを強くするために、自分の念が極限まで低下するんだよ、きっと」
彼の言う事は、強ち間違いではない。
コウは肯定も否定もせず、最早諦めたように目を閉じた。
そして、俯いたまま口を開く。
「ジーラス、解除」
声が聞こえる距離ではなかっただろう。
しかし、彼女の言葉に反応してコピーに変化が見られた。
クロロの姿を写していたそれは、一瞬の内に元の氷の姿へと戻り、そして彼の元を離れる。
やがてコウの傍らまで移動してくると、まるで霞のように消えた。
具現化系か、仲間の誰かがそう呟く。
先ほどまで微弱であった彼女の念が、始めに感じたのと同じ量に戻った。
サク、と草を踏みしめる音が聞こえ、コウは俯けた顔を上げる事無く目だけを開く。
すぐ前に、男のつま先が見えた。
自分自身と戦うと言うのは、些か厳しいものだったようだ。
「そう言えば。クルタの秘宝、見つからなかったんだ。家の中も全部探したんだけどさ」
「あぁ、それなら見つけた」
一人の言葉に彼がそう答える。
そして、コウの金色の髪に指を指しいれ、強く後ろに引く。
頭皮を引っ張るような痛みに僅かに表情を歪めたコウは、そのまま顔を上げさせられた。
紺碧の目が彼を睨みつける。
「こいつがクルタの秘宝だ」
「…この子が?」
「特異体質だな。眼だけじゃなくて、髪色まで変化するらしい」
「へぇ、見てみたいな」
どこか期待したような眼差しを向けてくる仲間の一人から視線を逸らす。
そのまま顔を背けようとするも、男の指が強くコウの顎を掴んで放さない。
「…どうやら、緋の眼の発動をコントロールできるらしい。殺そうとしても見せないだろう」
「仲間の死体を見ても緋の眼にならなかったんだ。やるだけ無駄だろ。さっさと引き上げようぜ」
面倒そうにそう言った男に賛同する数名。
残りの者もはっきりと声を上げたわけではないが、反対の意見はないようだ。
次の瞬間、コウの視界が揺れた。
首裏に伝わる鋭い痛みが、手刀によるものだと気付くのに時間は必要ない。
けれど、それを理解する前に、彼女の意識は深いところへと沈んでしまった。
07.09.28