Ice doll --- sc.003
声を上げるも、既に時は遅すぎた。
男の腕が兄の身体を貫いて、後ろに居るコウの目にも確認できる。
ずるりとそれが逃げていき、彼の身体が傾いてくる。
自分が血で汚れるのも構わず、彼女はその身体を受け止めた。
「兄さん!!」
「…愛し…るよ、コウ。………逃げ、ろ…」
辛うじてコウの手に載せられていた彼の手が力を失う。
感情を抑えろと言われた。
けれど、自分の兄の死を前にそれを保つことが出来るほど、彼女は鉄の精神を持っているわけではない。
「――――っ!!」
最期の兄の声が耳から離れない。
涙を溢れさせながらも、コウは立ち上がった。
そして、そのまま林の奥へと逃げようと地面を蹴る。
ザザザ、と木の葉の間を遠のいていく気配を感じながら、彼らはその場に佇んだ。
「あれ、団長。追わないの?」
「追うさ。お前たちは緋の眼の回収に当たってくれ」
「秘宝はどうするね?」
「フェイタン。拷問はまた次だ。俺が行く」
そう言うと、団長と呼ばれた彼の姿が消えた。
残された仲間は去っていくその気配を気にしつつも、彼の指示通りに近くにあった亡骸の元に跪く。
閉ざされる事のなかった瞼の下、緋色の双眸が無感情に彼らを見上げた。
自分の庭のように慣れた林の中を、コウは高速で移動していた。
土地勘は自分にある、と言っても、足の動きを緩めれば追いつかれるだろう。
枝を強く蹴って、前へ、前へ。
己の身に纏うオーラが強まったのを肌で感じ、緋の眼が発動している事を悟った。
ザワリと這うような不快感が、一瞬全身を走る。
「…驚いたな…」
まるでそうは思っていない声色が聞こえた。
ビクリと身体を揺らした拍子に、枝から足を踏み外す。
軽く舌を打ちつつ空中で身体を反転させ、タンッと地面に舞い降りた。
即座に気配のする方を見上げれば、先ほどの男が枝の上からコウを見下ろしている。
その姿には全く乱れがなく、瞬間移動でもしてきたのでは、と思わせるほどだ。
見下ろす彼の視線の先には、緋の眼を発動させた彼女が居る。
しかし、彼女の身体に見られた変化は眼の色だけではなかった。
柔らかい金色だった髪が、アイスブルーに変化していたのだ。
氷を閉じ込めたように透き通った髪は、人間のものとは思えない。
全体の色素が薄くなっている所為か、緋色の眼が酷く強調されている。
見上げる視線の鋭さ、変化した美しさに、目を奪われる。
「クルタの氷宝―――」
ポツリと呟く。
クルタの秘宝、と呼ばれるからには、長く続いた歴史の中で守られてきた宝石のようなものなのだと思っていた。
調べていくうちに、秘宝につけられた別の名前を知ったのである。
クルタの氷宝。
それが何を指すのか、目にしたことの無い彼は知らなかった。
もちろん、彼の仲間も知らない。
どんなものなのだろうかと脳内で想像を膨らませ、ここまでの道中を歩いたものだ。
彼は直感した。
クルタの氷宝―――それが、今目の前に居る彼女を指す言葉なのだと。
「なるほど。100年に1度しか見ることが出来ない、と言うのは特異体質の人間が生まれる周期か…」
漸く、頭の中の情報がすっきりと整理できた。
顎に手をやってそう呟いている彼を見上げ、コウは静かに息を吸い込む。
そして、右手を彼の方へと向けた。
中指にはブルートパーズをはめ込んだ装飾の美しい指輪がはめられている。
キラリ、と指輪の宝石が光ったかと思えば、そこから霞のような何かが飛び出してくる。
それはコウを守るように彼女の周囲をぐるりと巡ったかと思えば、その傍らにたたずみ形を作り始めた。
姿を見せたのは、氷で作られた彼女のコピー。
「具現化系の能力か」
男の声がコウの耳にも届くが、そうだとも違うとも答えない。
グッと足に力を込めると、一気に地面を蹴った。
一瞬のうちに彼との距離を詰める。
正面から向かってきたのは彼女の方。
コピーは背後から、彼を挟むように迫る。
腰を折ることで力強く繰り出された足技を避ける。
次いで背後から迫るコピーの攻撃も避けた。
ふわりと冷気が頬をかすめる。
その感覚に、彼は何かを悟った。
そうしている間にも正面からの攻撃が繰り出され、それを往なしつつじりじりと後退していく。
いつの間にか取り出していたらしいナイフの刃が彼の頬を掠め、赤い筋を一筋残した。
避けたと思っていたのだが、ギリギリのところで掠めていたらしい。
僅かに驚いた様子を見せる男。
攻撃力や連携には拙い部分が目立つ。
しかし、彼女にはそれを補って余りあるだけの、速さがあった。
初めに村から逃げた時からは考えられないような速度だ。
緋の眼を発動させると、身体能力が向上するらしい。
「(速さはフェイタン並みだな)」
つまりは、彼の仲間内でも指折りの速さを誇る者と並ぶ、と言うことだ。
磨けばかなりの実力者になるだろう。
そんなことを考えながら、斜め下から上に切り上げるようにして迫ったナイフの刃を避ける。
彼は目の前の彼女の存在の大きさに気を取られ、それを失念していた。
気づいた時には、背中から冷気が身体を通り抜けていた。
ズル、と己の身体を通り抜けていく彼女のコピーを視覚的に捉え、漸く背後のコピーへの注意を忘れていたと思い出す。
冷気だけが身体を通り抜けると言うのは、何とも言えない感覚だ。
彼は即座に身を引いてコウから距離を取った。
念による攻撃と言うのは、目に見えない効果を持っている可能性が高い。
予想以上に出来る彼女本体に気を取られ、コピーの存在をすっかり忘れてしまっていた。
そうなるようにとコピーが『陰』により隠されていたと言うのも理由の一つではあるけれど。
離れた位置に居るコウの元へと戻るコピーを意識しつつ、彼は心中で舌を打った。
「(身体にも念にも異常はない…か)」
自分の意思通りに動かない箇所はどこにもない。
あの行動は全く意味のないものだったのだろうか―――いや、それはないだろう。
わざと自分へと意識を向けるように攻撃を仕掛けてきていたのだ。
意味もなくコピーを使ったと言う事はない。
時間差で影響が出る念かもしれない―――そう思い始めた矢先、彼女に変化が見えた。
氷を閉じ込めたようなアイスブルーだった髪が金色へと戻り、眼も紺碧へと変わっている。
まさか、感情の昂ぶりが落ち着いたと言う事はないだろう。
緋の眼をコントロールできていると思しき彼女が、何故このタイミングで平常に戻るのか、理解できない。
探るような目を向けたところで、コピーの方にも動きが見られた。
氷でコウ自身を彫刻したような姿だったコピーが、僅かにぶれる。
そして、徐々にその姿を変えていったのだ。
ものの5秒ほどでその変化は終わる。
そこに立っていたのは、氷のように透き通ったそれではなく、生身の人間と何ら変わりのない姿だった。
そして、その姿は―――
「通り抜けた者を写し取る能力か…?」
数メートルの距離を開けて、同じ男が二人、睨み合うようにして向き合っていた。
07.09.26