Ice doll   --- sc.002

いつもと変わらない朝が訪れた。
平穏すぎる不変の中で一生を過ごすのが嫌で、近い内に…と計画を立てている。
紙に書き出すこともなく、コウの脳内だけに広がる無限の計画は、その時を今か今かと待ちわびていた。
朝が来て、時間が流れ、夜が来る。
変わらないはずの日常は、この日だけは別の道を辿ろうとしていた。
誰も、その事を知らない。
運命は、どこから変わってしまったのだろうか。







「コウ。今日もあそこに行くの?」

キッチンの方から母の声が聞こえた。
動き易い服装に着替えていたコウは、彼女の質問に答えるように声を上げる。

「ええ。あそこが一番落ち着くの。これももうすぐ終わりそうだし…読みきってしまうわ」

そう答えると、今しがた部屋に入ってきた兄が驚いたように目を見開いた。
話の始まりは聞いていなかったが「読みきってしまう」と言う部分だけである程度はわかる。

「まいったな…。それを読破される前に新しい本を探さないと」
「期待しているわ、兄さん。兄さんの探してくれた本ははずれが無いから嬉しい」
「…お前は人を使うのが上手いよ、ほんとに。妹ながら天晴れだ」
「兄さんの妹ですから」

クスリと笑ってから、彼と同じ色の髪を邪魔にならないように結い上げた。
気に入っているから切るなよ、と言われて、もう2年ほどになるだろうか。
毛先を揃える程度に切っていた髪は、今や腰を覆い尽くそうとする長さだ。

「よし。行って来ます」
「遅くならないようにな」

ポンと頭を撫でて見下ろしてくる兄に笑いながら頷き返し、コウは家を出た。















第六感、とでも言うのだろうか。
あるいは、虫の知らせという奴なのかもしれない。
コウは、本に落としていた視線を上げた。
まず前方へと視線を向け、次の左右に意識を振る。
それと同時に、己の身にまとっていたそれを自身を中心に半径20メートル近くまで広げる。
それにより、己の周囲には森の動物すらも居ないことが分かった。
動物は本能的に危険を察知すると逃げ出す習性がある。
もし、その本能が何かを感じ取っているのだとすれば―――
コウはトンと木の枝から地面に飛び降りた。
そして、周囲への意識は絶やすことなく、村の方へと歩き出す。

「……これは…血の臭い…?」

いくらか村に近づいたところで、コウはその嗅覚でそれを嗅ぎ取った。
鉄臭いそれは、誰しも覚えのある臭い。
誰かが怪我をしたのだろうか―――そんな風に、間の抜けた考えは浮かばない。
こんなにも離れているのに嗅ぎ取ることが出来る、と言う事は、想像以上の血が流れているということ。
近づくな、という本能と、確かめなければ、という理性とが複雑にぶつかり合う。
近づくにつれて、むせ返る様なきつい鉄臭さに眉を顰める。
けれど、決して足を止める事はなかった。
視力で村を確認できる所まで来ると、彼女は完全に気配を絶つ。
そして、息を完全に殺して木の上に身を潜めた。
















立っている者の数は10以上。
視界の至る所に赤色が飛び散っていて、その上に転がっているのは昨日まで笑いあった同胞だ。
ザワリと漏れそうになる気配と吐き気を抑え込み、状況の把握に全力を尽くす。

「クルタの秘宝はどこにある?」

ふと、悲鳴や苦しむ声の中、低い男性の声が聞こえた。
そちらに目を動かせば、今朝村を出る際に挨拶を交わした老人が、地面に座り込んでいる。
その前に立っているのは、雰囲気や体格からして男と思しき人。
見るからに上等なコートに身を包み、老人を見下ろしている。
背後から見ているだけでも、汗が流れ落ちそうだった。
老人の緋の眼が男を睨みつける。

「…貴様らに教える事は何もない」
「…そうか」

一瞬だった。
殺気すらも刹那の間に消え、そこに座り込んでいる老人の身体は瞬きの間に首を失った。
目を逸らしたくなるような光景を前にしても、コウはただ唇を噛むだけで視線は外さない。
心を乱せば気付かれる。
距離はあるけれど、この程度の距離は彼らにとってはあってないようなものだろう。
全神経を研ぎ澄ませ、彼らの行動に意識を集中させた。

「団長。そのペースで殺すと場所が聞けなくなるよ」
「別に構わない」

事も無げにそう答えた男が、老人の亡骸に背を向ける。
今まで彼に向き合う事でコウに背中を向けていたのだから、必然的にコウの方を向いた事になる。
真正面から見た男の姿に、一瞬息をするのを忘れた。

「あとはこの家だけか?」
「そうみたい。最後かもしれないし、パクノダに記憶を見てもらう?」
「いや…必要ないだろう。いざとなれば、全員殺してからゆっくり探せばいい」

何故、この男達はこんなにも冷静なのだろう。
コウは働かなくなってきている頭で、そんな事を考えた。
惨状と呼ぶには十分すぎる場所に立っているのは、恐らく彼の仲間だけだ。
普通に会話を出来るからこそ、この惨事を引き起こしているのか。
混乱する頭の中、どこか冷静だった部分がそう判断する。
しかし、コウの中に一欠片の冷静が残っていたのは、次の瞬間までだった。
見覚えがありすぎる玄関から、ドサリと放り出された長身の男性。
肩から腹にかけて大きな傷を負っている彼は、何かに縛られているような格好で地面に頬をつける。
それは、彼女の兄に他ならなかった。

「兄さんっ!!!」

村で一番の強さと謳われた兄が、多くの傷を追っている。
その光景は、コウに耐えられるものではなかった。
思わず木の枝から飛び降り、一瞬の内に彼の元まで移動する。

「…あの二人が最後だね」

そんな呟きを聞きながら、コウは血に濡れて横たわる兄の元へと膝を着いた。
致命傷ではないようだが、傷は深い。
すぐに治療しなければ、いずれはその命を脅かすだろう。

「女。クルタの秘宝はどこだ」

兄の事ばかりを考えていたコウに、冷たい声が降って来た。
コウはギュッと彼を抱きしめたまま、その声の主を見上げる。
この一団の頭と思しき男が、コウを冷たい眼光で見下ろしていた。

「コウ…ッ。言うな!隙を突いて、逃げろ…」

苦痛の声と共にそう搾り出しながら、彼女の兄は動かぬ身体を起こした。
傷口から新たな鮮血が溢れる。

「兄さん!!」
「感情を抑えろ、コウ。お前だけは、気づかれるな」
「…っ」
「…いい子だ」

周囲の者に聞こえないよう、コウの耳元でそう告げる。
コウはぐっと唇を噛んだ。
感情を抑えなければならない。
今この場で緋の眼を発動させれば、彼らに目当てのものを差し出すようなものだ。

「…へぇ…この状況で緋の眼を抑えるなんて…たいした精神力だ」

いつの間にか、男の仲間が二人の傍に集まってきていた。
すでに、気配を感じる事ができるのは彼らの人数と同じ数だけ。
生き残りは居ないだろう。

「しかも、この子念の使い手だよ。それも…強い。どうする、団長?」

処遇を尋ねたのだろう。
男は桃色の髪の女性にそう尋ねられ、悩む素振りも見せずに答えた。

「面白い能力ならば奪うだけだ」

奪う、という単語にコウは眉を顰める。
能力を奪い取る、それが彼の持つ念の能力なのだろうか。
想像だけを先走らせるのは危険だけれど、ある程度の予測は必要。
忙しく動く脳内を読み取ったかのように、彼は彼女に向けて一歩を踏み出した。
ピリッと彼女の纏う空気が鋭く研ぎ澄まされる。

「クルタの秘宝はどこにある?」
「…教えない」

兄を支えつつ、林の方へと一歩下がる。
それを見た男が軽く呆れの表情を見せた。

「俺たちを前にして、その荷物を抱えて逃げられると思っているのか」

出来る筈はない、と言う考えは、仲間全員一致している。
傷を負った兄を荷物と称され、コウはギリ…と奥歯を噛んだ。
彼女の眼の色が一瞬だけ緋色に変化する。
感情がその一線を超えぬギリギリの所で揺れ動いている所為だろう。

「団長。ささと捕まえるね。秘宝の場所は身体に聞けばいいよ」
「そうだよ。今から眼を取らなきゃいけないんだし、これ以上時間を使ってられないよ」
「…それもそうだな」

メンバーの言葉に納得したのか、男はふむ、と頷いた。
そして、一度は彼らに向けていた視線を彼女らへと戻す。
黒曜石のような彼の目と視線が絡んだ瞬間、その姿が消えた。
それと同時に、ドン、と身体を押しのけられる。

「兄さんっ!!!」

07.09.25