Free  act.59

寒さに身を震わせるようなとある日。
季節は冬を迎え、スフィリアの敷地内にも穏やかな静寂が訪れていた。
そんな中、一際騒がしい屋敷内。
荷物を積み込んでは、飛行船が空へと飛び立っていた。
朝から幾度と無く見られてきた光景である。

「コウ。これはどうするの」
「どれー?」

ふと、イルミは手にした奇妙な物体を前にコウを呼んだ。
声は隣の部屋から返ってきて、少しばかり遠い上に直接見せる事も出来ない。
かといって、この物体を口で説明するのは中々難しかった。
彼女自身も忙しく動いているのか、それ以降声は無い。
仕方なく、イルミはその物体を持って隣の部屋へと向かう。

「コウ」
「ん?」
「これ」

背中を向けて、本棚からダンボールへと本を移している彼女の背中に呼びかける。
今本棚から抜き取ったそれを箱の中に移動させて、彼女は漸くイルミを振り向いた。

「あぁ、剣玉?それは仕事用の箱の中に押し込んでおいてくれればいいよ」
「…何それ」
「東の国の玩具よ。今度、孤児院に贈ろうと思ってたの」

面白い形でしょ、とコウは笑い、また手を本棚へと伸ばした。
見た事もない玩具に、イルミはその使い道すら浮かばない。
玩具と言うからには遊ぶものなのだろうが…想像するには形が不可解すぎた。

「…興味あるなら教えようか?」
「別にいい」

教えてもらいたいわけではなかった彼はそう即答する。
そして剣玉を仕事用と書かれたダンボールの中に入れた。
そう言えば同じ形のものを向こうの部屋であと4つほど見たはずだ。
くるりと踵を返してもと来た道を戻っていく彼を見送り、コウはまた作業に戻った。
部屋の中はすでに閑散としており、生活に必要であるはずのものが極端に少なくなっている。
馬鹿でかい本棚もすでに半分以上は空で、まるで歯抜けのようだ。
所々に無造作に置かれているダンボール箱は、中身が満たされれば使用人の手で外へと運び出されている。

そう―――現在スフィリア家では、屋敷をあげて引越し作業が行われていたのだ。
















事の発端は三日前。
どこかへ出掛けていたコウが、帰ってくるなり使用人をホールに集めるよう頼んだ。
彼女のお呼びが全員一度にかかる事など珍しく、無論彼らは半時間と待たせる事無くホールに集う。
それから一時間ほどホールに篭っていた彼女が部屋に戻るなり、寛いでいたイルミに一言。

「引越しは明日からだから、手伝ってね」
「…は?」

事前報告、という言葉は彼女の脳裏から綺麗さっぱり抜け落ちていた。
行動力のある使用人達は翌日と言わずに、その日のうちから様々な手配を始める。
飛行船のチャーターから、向こうでの人員確保。
古い家具の処分や、その代わりの用意。
よく出来た人間ばかりだと、この時ほどそれを感じた事はない。

「また急だね」
「あれ?シルバさんたちと相談してたんだけど…聞いてないの?」

何を今更といった様子のコウに、イルミは溜め息を吐き出した。
忙しくて連絡するのを忘れていたという事はまず無いだろう。
要するに、意図的に連絡が止められていたものと思われる。

「で、どこに移るの?」
「ここより東の島。ゾルディック家までが半分の距離になるの」

島、と答える彼女に、その資金はどうしたんだと問いかける。
彼女は笑顔でこう答えてみせた。

「半分私で、半分はシルバさんが用意してくれたわ」

その言葉に、イルミは脇に放り投げていたケータイを拾い上げ、ボタンを操作する。
自身の口座を確認してみれば、一番高い位の数字が一つ小さくなっているではないか。
どうやらとことん内密に事を進めたかったらしい。
シルバの手によって、イルミの口座からその半分と思しき金額分だけ引き落とされていた。

「…まぁ、別に腐るほどあるからいいけどさ…」

この一言で諦めが付くあたり、金銭感覚はすでに常人の域ではない。
尤も、引越し先として島を丸々買い取るコウも、あまり大差は無かった。

「実は、もう家の方は建ってるのよね」
「…本当に突然だね」
「建ってなきゃ引越しなんて出来ないでしょ?まぁ、家って言うより屋敷だけど…」
「ここはどうするの?」
「こっちで仕事をする時のホテル代わりに使う」

色々と計画は立てられているようで、大きな問題という問題はないようだ。
素晴らしい行動力だな、とイルミが心中で考えているなど露知らず、コウは必要なものを書き出している。
どこか楽しげな様子の彼女を見ていれば、別に構わないかと思ってしまう辺り自分も単純なものだ。
座っていた椅子をカタリと引き、彼はコウの背後からその紙を覗き込む。
読みやすい字で書かれたそれに上から下まで目を通し、中ほどの項目を指差した。

「これ、向こうにあるよ」
「でも、持って来るくらいなら買った方がよくない?」
「使い慣れてる方がいい」
「じゃあ、これは削除―――っと」

取り消し線によってそれを消してしまうと、コウは彼が見易いように紙を持ち上げる。
自然と、背中を彼に預けるような形になっていることに彼女は気付いていないだろう。

「他には?」
「これとこれ。まだ使える」
「………イルミって結構物を長く使いたい人なんだね」
「…って言うより、コウが買いすぎ」

僅かに笑いを含ませてそう言えば、彼女は肩を竦めてみせた。
指にその銀色の髪を絡めると、擽ったそうに笑いながら身を捩る。

「いくら使っても減らないって言うのも考え物ね…」
「それ位なら無償でやれば?」
「嫌よ。報酬の額に応じたスリルが好きなの」

それを求めるあまり、仕事が増え、腕がいいから依頼が集まる。
悪循環と言うよりはいっそ清々しいほどに循環よく仕事が済み、彼女の口座には驚くほどの金が舞い込むのだ。

「…また寄付してきなよ」
「そうする。放っておくと口座がパンクしそうだわ」

頷きながら紙の最後に『寄付』と書き込み、それを二つに折った。
ペンと一緒にテーブルの上に置き、完全に彼に凭れかかる。
背中から抱きこまれるように腕を回されれば、彼女は嬉しそうに微笑んだ。















とまぁそれが三日前の話。
流石に昨日だけで終わるほど部屋は狭くはなかった。
とりあえず昨日はまだこちらで寝泊りし、起きてから作業を再開している。
努力の甲斐有り、部屋の中はすでに殆ど片付いた。
この部屋は書庫なので、特に置いておく必要も無い。
その殆どを新居に運び出し、二人を始めとする屋敷内の者は本日始めての休憩を取った。

「思ったよりも広いんだね、この屋敷」
「まぁ、先代も私以上に稼いでたからね。有り余ってたんだと思うよ」
「…引越し先はもう少し狭くしたんでしょ?」
「少しだけね。あ、でも庭は広く取ったから」

その理由を尋ねる必要など無かった。
コウは自身の足元に伏したルシアの背と、テーブルの上で可愛らしく見上げるスノウの頭を撫でている。
庭を広くしたのは、十中八九彼らの為だろう。
屋敷の庭だけでなく、島全体が彼らの庭になるのは、そう遠い話ではない。

06.06.20