Free  act.58

ザクザクと短い草木を踏みしめる。
芝生よりもやや長く、それでも生い茂ると言うにはいささか貧相だ。
そんな半ば獣道になってしまっているような所を進む二人。
イルミはコウに付き従うかのように、決して彼女の前には出ずにきっちり二歩分だけ斜め後ろを歩く。
そんな彼を気配だけで気にしながらも、彼女は久々に歩く道をただ只管進んだ。
やがて、林を抜けて開けた場所へと出る。

「…久しぶり、かな」

屋敷の者には、敷地内のどこを移動しても構わないと伝えてある。
そんな中、彼らの中で暗黙の了解となっている不可侵の領域。
そこが、今コウが立っている場所であり、前当主とその妻そして現当主コウの片割れの眠る場所でもあった。
踏みしめられていない屋敷からの一本道が、コウ以外にこの場を訪れていない事を示している。
季節の花が己を誇示するように咲き乱れ、それらが風に揺られて踊る。
敷地内でも、この場所は一際自然のままに美しい景観が保たれている場所だ。

「中々来なくてごめんね」

まるでそこにある者に語りかけるかのように、優しい声色でそう紡ぐ。
コウの眼前には、今しがた彼女が持ってきた花束を置いた墓石があった。
刻まれた名は彼女の片割れのもの。

「…中々来ないの?」
「ええ。仕事も忙しかったし…それに、やっぱり辛いから」

時に人の未来を奪う仕事をこなしながらも、やはり彼女は持って生まれた優しさを捨てきれない。
同業者から言わせればとんだ甘えなのだが、それでもそれがコウと言う人物の人格を支えているのは間違いなかった。
切っても切れないもの。
そう受け入れなければ、自身の人格すらも否定する事になる。

「ザキには甘えてばっかりだったから…駄目なのよね。それが出てきてしまう」

苦笑を浮かべ、コウはそっと墓石に手を伸ばす。
死者を守るかのように立つ砦をその掌で撫でた。
愛しむ様な眼差しを向けた後、彼女は立ち上がって別に用意していた花束を他の二つにも添える。
複雑な表情ではあったが、死して尚蔑ろに出来るほど彼女は荒んだ心を持ち合わせては居ない。
今となっては言葉を交わす事も叶わないのだから、こちらが歩み寄る事も何ら問題はなかった。

















「さて、と。お墓参りはこれくらいにしておこうかな」

静かにそう呟き、コウは三つ並んだ墓石を見下ろす。
そして、静かに二度ほど深い呼吸を繰り返し、唇を開いた。
全身が心臓になってしまったような感覚。
脈打つ鼓動が視界を触れさせそうなほどに、彼女は久しぶりの『緊張』と言うものを味わっていた。
特に何をするでもなく後ろで彼女の動向を見守っていたイルミは、空気でそれを感じ取る。
何か緊張するものがあったか、と周囲の気配を探ってみるが、興味や警戒心を惹かれるものは何も無い。
それを確認すると、彼はまた静かにコウの背中に視線を向けた。
しかし、視界に入り込んだのは背中ではなく、こちらを向く彼女だったが。
数歩分の距離を埋めるように、彼女は短い草を踏みしめてイルミに歩み寄る。

「何かなぁ…凄く不本意に緊張するんだけど…」
「何が?」
「あー…こっちの話。いいから黙って聞いていてくれると有難い」

ひらひらと手を揺らして軽い口調でそう言っているようにも見えるが、表情が硬いのは気のせいではない。
内心首を傾げて疑問符を浮かべつつも、イルミは素直に口を閉ざした。
それを見て、コウはふぅと一つ息を吐き出す。

「…イルミ=ゾルディック」

フルネームを唇に乗せる事は決して当たり前のことではない。
幼い頃からの慣れで、彼女はいつも名前で呼んでいるのだから当然だ。
大きく驚いた様子を見せないまでも、彼は少しばかり眼を見開く。
そんな彼を真っ直ぐに見つめ、コウはそっと腕を伸ばし彼の着衣を指に絡めとる。

「私は…あなたを愛しています」

好きと言う表現だけでは足りないと思った。
ずっと心の奥底で温めてきた想いは、この時初めて外へと零れる。
声として発すると、それは思ったよりも自然に唇に馴染んだ。
すとんと本来あるべき場所に戻ったかのような、そんな当たり前と思える感覚。
それを感じて、コウは口元を緩めて緊張を解く。

「今までこんな経験無かったから、自分の感情に振り回されていたの」

ごく一般の女性としての道を歩いてくれば、自然と通ってきた筈。
けれどもコウにはそれを教えてくれる人も、歩むべき道もなかった。
そんな彼女が自分で掴んだ、確かな感情なのだ。

「でも、漸くわかった。………イルミの…傍に居たい」

最後の一歩を踏み出し、コウは彼の胸に額を預ける。
その頬には照れからかほんの少し朱を走らせていた。
イルミは自身の胸元に寄るコウを見下ろし、その背中に腕を回して指を組む。

「コウにしては理解が遅かったね」
「…そう?」
「ま、教えられるものでもないから仕方ないけど…」
「…ごめん。随分待たせた」

少しだけ声のトーンを下げ、コウはそういう。
未だに顔は俯けられているので彼からその表情を窺う事は出来ない。

「俺、言ったよね。婚約の時に好きだって」
「うん」
「待ってるとも言った」
「…ん、覚えてる」
「…ちゃんと、答え見つけられたんだね」

そうして笑いを含ませるのは珍しい事なのだが、今のコウがそれに気づく事はなかった。
照れながらも甘えるように彼の着衣を握る彼女に、普段の情報屋としての鋭さは無い。
腕の中の彼女の新たな一面に、イルミは静かに口元を緩めた。

「所で、何でここ?」
「んー…ザキが、背中を押してくれると思ったから」

どうしようもなく恥ずかしいような気がして、中々言えなかったのだと。
コウはそう言って自嘲の笑みを零した。
シチュエーションなどを考えての結果ではなく、自分が言えそうな場所が此処しか思い浮かばなかっただけなのだ。
いつまでもザキに頼りっきりだ、と思いつつも、これからもそうなのだろうと言う諦めに近い確信。
それでも、脳裏には自身の喜びを自分の事のように笑顔で喜ぶ彼が浮かんでいた。

『ありがとう』

声にならないその言葉を、自身の片割れに向けて囁いた。
同じ年齢のザキは、あの頃と変わらぬ子供の姿で屈託のない笑みを浮かべる。
そんな様子が、コウの脳裏に浮かんでいた。
よかったね、姉さん。
そんな祝福の声は気のせいではないとばかりに、二人の背中を風が撫でていった。






『ねぇ、イルミは婚約の意味がわかってるの?』
『コウよりはわかってると思うよ』
『…ふぅん』
『俺、コウの事好きだよ』
『………好きって何?』
『さぁ?自分で理解した方がいいんじゃない?』
『そうなの?』
『うん。俺は待ってるから。自分でちゃんと答えを見つけなよ』

06.05.31