Free  act.58

意識の浮上に伴って、重かった瞼が持ち上がる。
ゆっくりと開いた視界から差し込む光は、慣れない目には少し眩しかった。

「調子はどう?」

ふと光が遮られ、その影を作った人物が自身を覗き込む。
青い目に映る自身を眺めつつ、唇を動かした。

「…調子?」
「そ。除念の途中でぶっ倒れたんだけど…覚えてない?」
「除念…」

彼女の言葉を鸚鵡返しのように紡ぎ、あぁそう言えばと思う。
コウが連れてきた世界屈指の除念師は、屋敷について早々に除念を始めた。
その途中で意識が遠のいたのを、おぼろげに思い出す。

「で、調子は?」
「…悪くは無い」
「じゃあ、手始めに発からいってみましょうか」

基本をすっ飛ばして行き成りそれか。
三ヶ月も念から離れていた者にそれを要求するのはかなり酷だろう、と言いたい気持ちを何とか押さえ込む。
だが、コウはクロロの視線で内に飲み込んだ気持ちを悟った。

「人間には学習能力があるからね。一度覚えたものは忘れないって」

そう言って、コウはそれに…と紡ぐ。
彼女は笑みを浮かべてこう続けたのだ。

「クロロに出来ないわけないでしょ?」

その言葉だけで十分だった。








「――大丈夫。どれも上手く使えているから除念は成功したみたいね」

壁に添えつけていた電話を取り、コウがそれに向かって声を発している。
恐らく相手はあの除念師だろうと、話の内容から気付いた。

「契約金の残りは明日の正午丁度に前と同じ口座に振り込むわ。………ええ、じゃあ」

そう言ってコウは電話を切る。
彼女が今しがた戻した受話器を見て、クロロはそれが室内用のものであることに気付いた。

「まだ除念師は屋敷に滞在しているのか?」
「当然でしょう?除念が成功していなければ意味が無いもの」

クロロが起きるまで居てもらうのは当然、とコウは当たり前のように言ってのけた。
金が動く以上は何事も正確に、いかなる妥協も許さない。
その信念があってこそ、今まで闇の取引さえも無事にこなして来ているのだろう。

「今、飛行船の手配と残りのお金の話も済ませたわ。これで契約終了」

ご苦労様と誰に言うでもなく…いや、敢えて言うなら今彼女の手の中にあるものに対してだろう。
コウはそう言うと、その手の中にあったものにライターで火を点した。
ぼっと下部に移った火はすぐにそれ全体へといきわたり、黒い灰となっていつの間にか用意されていた灰皿へと落ちる。

「それは何だ?」
「契約書。もう必要ないしね」

燃やす必要がどこにあると問いかければ、念には念を、と言う悪戯めいた笑みが返ってきた。
自分の手元で保管すれば安全ではあるが、それは存在自体を消してしまう以上に安全である筈も無い。
今までにも結構危ない橋を渡ってきている彼女は、いつしかそれが癖になっていた。

「別に誰かに読まれて困るものでもないけどね」

そう言って苦笑を浮かべ、コウはクロロの居るベッドの方へと戻ってくる。
そして彼の額にぴたりと自分の手を押し当てた。
自分よりも少しばかり体温の低いらしい彼女の手が心地よい。

「ま、微熱って所かな。結構しつこい念だったらしくて、その反動だと思うって」
「………そうか」

あれだけ念入りに計画を立てるような男の念だ。
しつこくて当然だろうとクロロは思う。
それと同時に、そんな念を除去できるような人物を即座に探し出した辺り、コウの敏腕は健在だと改めて感じた。
除念師がやってくるまでに三ヶ月掛かったのは、相手の予定があわなかっただけの事。
コウが除念師を見つけてきたのはゾルディックから帰ってきた翌日だった。

「兎に角…これでクロロも晴れて自由の身だね」

彼女はふと、まるで自分の事のように喜んで笑みを浮かべた。
幾度と無く向けられている筈の笑顔だが、自分のためなのだと思えば自然と頬も緩む。
激しい戦闘の後のような気だるさを無視して腕を持ち上げ、彼女の身体を自身のそれに閉じ込めた。
まだスキンシップに慣れない様子のコウだが、突き放すでもなく躊躇いがちに甘えるように擦り寄る。
その反応が何とも新鮮で、クロロは笑い声を堪えて肩を揺らした。
そんな行動を起こせばコウに気付かれるのも当然。

「クロロ…っ」

怒鳴りたいのだが、恥ずかしさが先に立って頬を染める。
少女のような反応に、クロロはいよいよ堪えられないとばかりに笑い声を上げた。
それに対してコウが更に咎めるような声を発するのだが、赤い顔をされて怒られたところで怖い筈もない。
結局、コウが子供のように拗ねるまで笑い倒し、クロロはその日の大半を彼女の機嫌を直す事に費やす事となった。
















常に付きまとっていた焦燥感が、今ではその足跡さえも残していない。
何とも心地よい感覚にクロロの機嫌は頗る快調だ。
やはり、気にしていないように見えても念が使えないと言うのはある程度応えた様子である。

「………クロロ、力試しがしたいなら門でも開けてくれば?」

生態系破壊はその辺にしておけ。
暗にそう含め、コウはそう言った。
笑顔すら浮かべるクロロも前には、彼に襲い掛かったと言う以外は何の罪も無い動物の屍累々。
弱肉強食の食物連鎖の中に生きているとは言え、ここまで力の差が歴然だと止めたくもなる。
放っておけばこの種の動物が絶滅しそうだと判断し、コウは口を挟んだのだ。

「あぁ、そう言えばそうだな」
「ルシアに送ってもらいなよ。片道4時間掛かるから」

そう言ってコウは指を唇のところへと運ぶ。
しかし、音が発せられる前にクロロがそれを止めた。

「いや、自分で行ってくる。片道4時間だな?」
「あー…うん。私の足で普通に歩いたら」
「なら、一時間だ」

自身に向けてそう言うと、クロロはトンと地面を蹴った。
風のように走り出した彼は瞬きの間に豆粒大になる。

「………あんなに機嫌のいいクロロ初めて見たかも…」

よほど嬉しいらしい、とコウ自身も表情を緩めた。
そして、目の前に積まれた動物達(彼の上機嫌の被害者)を見て、溜め息を漏らす。

「……………仕方ない、か。毛皮になってもらおう」

活用されずに埋められるよりはマシだろうと思い、ケータイで屋敷の者に連絡を入れる。
電話一本で即座に応対する彼らに後の処理を頼み、自分は帰路へとついた。
彼が帰るまでの2時間、久しぶりに料理でもしてみようと頭の中でメニューを考えながら。
















――ピピピピッ――

ポケットに押し込んだままだったケータイが電子音を奏でる。
生憎思いついた料理に必要な食材が無く、今日の料理は断念した彼女は部屋で寛いでいた。
そんなコウの耳に届いた音。
慣れた様子でポケットからそれを引きずり出し、片手で折りたたみのそれを開き耳元へと運ぶ。

「はい?」
『コウか』
「そうだけど…何かあった?まだ一時間よ」

チラリと時計を見上げてコウが問いかける。
電話口の向こうで躊躇う様子を見せるクロロに、読んでいた本から視線を外した。

『………悪い』
「は?」
『門が壊れた』
「…………………手加減って言う言葉をご存知?」

門を作っている材料は、ドラゴンでも壊せない材質、と言うのが売り文句だったはずだ。
本気で信じていたわけではないが、かなりの硬度を持ち合わせている事は自分でも確認した。
それを壊したというクロロ。
無論、彼の事だから嘘偽りを態々ケータイで連絡してくるはずも無い。

『いや、久々で加減が上手くいかなかったらしい』
「…直せないの?」
『俺には無理だな』

クロロの返答に長い溜め息を落とし、コウは持ったままだった本をベッドに放り投げる。
そしてケータイから耳を外し、室内でのびのびと寛いでいたルシアを呼んだ。

「ごめんね、門までよろしく」

そう言って頭を撫で、ルシアの背に軽く飛び乗る。
同時にベランダへと駆け出したルシアはコウを載せたままトンッとそこから飛び降り、大した衝撃も無く中庭に降り立った。
そのまま止まる事無く駆け出すルシアの背で、コウは再びケータイを耳に寄せる。

「30分程度で着くから、それまで後ろの害虫駆除をよろしく」
『…気付いてたのか。わかった』
「さっきから罵声がクロロの声に重なって聞こえてるわ。死人は出さないでね。処理が面倒だから」

了解、と言う言葉の後通話は切られる。
それと同時に、ドゥンと腹に響く爆発音が遥か向こうの門の方から響いてきた。
更に壊すつもりか…と呆れつつ、コウはルシアの背を撫でる。
彼女の手の動きに応えるようにルシアの速度が上がった。

06.06.05