Free  act.55

東国の言葉を借りるなら、窮鼠猫を噛む。
何も問題の無かったはずの仕事。
それなのに、一瞬の油断は大いに状況を悪化させた。




隠れるでもなく、真正面から屋敷の中へと侵入を果たす。
たちまち反応を見せる屋敷内の者を気にする事も無く二人は中央部分の階段を進んだ。
丁度二人が玄関に背を向けた時、その背後では黒い上下に身を包んだ男が銃を構える。
コウはそちらを振り向くでもなく脚のホルダーから愛銃を引き抜いた。
そして肩の上から背後向けてそれを構え、弾丸を撃ち込む。
炸裂音が背中に届く。

「悪いけど、邪魔するなら容赦しないよ。大人しくしていれば他の人間に用はないから」

その言葉を残す時ですら彼女は決してその顔を見せはしなかった。
たった一発の弾丸は、寸分狂う事無く彼女を狙った男の銃口を打ち抜く。
そこに見えるのは確かな実力。
男に続いて銃を構えていたガードマンに、それを下ろす以外の道など残ってはいなかった。
彼らの行動に、コウの前を歩いていたイルミが振り向く。

「甘いね。全部殺してしまえば楽なのに」
「それも面倒よ。何人いると思ってるの?」

標的だけで十分、と彼女は肩を竦める。
非日常的なことを日常会話のような声色で話す二人に、恐怖心すら抱く。
自身の命はあの二人の手の内なのだと感じられないほどに、経験は浅くは無かった。
渋るイルミをコウが押す形で二階へと消え、やがてその足音も届かなくなる。
そうするなり、フロアの全員がガクリと膝を落とした。












「どこ?」
「一番奥」
「人数は?」
「自室に人を入れるのは嫌いなんですって」

短い会話を交わし、二人は大理石の上を歩いた。
潜められることの無い足音は、確実に奥の部屋へと向かう。
先程撃った一発分の弾を補充しつつ、コウは前を行くイルミに向かって口を開いた。

「どっちが行く?」
「俺が殺るよ」
「んじゃ、後方支援と言う事で」
「それも必要なし」

確かに彼に後方支援など必要ないだろう。
しかし、それを容認すると自分が何のために来たのかわからなくなってしまうではないか。
コウはそんな事を考え、苦笑を浮かべた。
















コウの思案を他所に、二人は例の部屋の前に着いていた。
躊躇いも無くイルミが派手な装飾の施されたドアのノブに手をかける。
だが、ガチャンと言う音と共に無機質なそれに侵入を拒まれた。

「…………………」

無言のままにイルミはそれを見下ろし、ゆっくりと自身の腕を持ち上げる。
しかし、その腕は後ろから伸びてきたしなかやな手によって動きを制された。

「はいはい、そこまで。破壊しなくても大丈夫」

そう言って彼を脇へと促すと、コウはドアの前に膝を付く。
黒い上着の裾につけてあったヘアピンを外し、それを指先で曲げると鍵穴に差し込んだ。
カチャカチャと数回音を立てたかと思えば、小さな開錠音が耳に届く。
片手の指で足りる程度の出来事だった。

「ピッキングくらいは朝飯前です」

ニッと口角を持ち上げて笑みを作ると、彼女は持っていたヘアピンをぽいっと放り投げる。
それは床に落ちる前に空気へと同化して消えた。
彼女の念によって作られていたものらしい。

「壊しても変わらないと思うけど…」
「ものの5秒なんだから、鍵開けて入れば問題ないでしょ」

ほら、とそれ以上の問答は無用とばかりに彼女はドアノブに手をかける。
今度は抵抗無くそれが下部へと下がり、予想通りに重量感たっぷりな扉が薄く口を開いた。
尤も、彼女にとっては羽の如く軽い扉なのだが。
お先にどうぞ、とばかりに進路を譲る彼女を横目にイルミは部屋の中へと入る。
その背中を見ていたコウだが、不意に何かを感じたかのように視線を歩いてきた廊下の方へと向けた。
しかし、そこには長い廊下と数個の扉があるだけ。

「………気のせい…?」

囁くように小さな声で呟くと、彼女は視線を扉へと戻して自身も中へと入る。









彼女が明るい部屋の中に入ると、すでに事は終わってしまっていた。
部屋の中には、何事も無かったかのようにサイドボードの引き出しを開けているイルミ。
そして今回のターゲットである中々ガタイの良い男がベッドにうつ伏せで倒れているだけだ。

「終わった?」
「うん。資料はどこ?」
「右の引き出し下から三番目」

答えると同時に「鍵はこれ」と、今しがた男のベルトから取り外した鍵を彼の方に放り投げる。
その際にふわりと何かの香りがコウの鼻腔を擽る。
振り向く事無くそれを受け止めると、イルミは彼女の言っていた引き出しに向き直った。
先程の香りに首を傾げ、覚えのあるそれを思い出そうとする彼女の耳に、再度彼からの声が届く。

「…厳重な事この上ないね。パスワード」
「gloryXXX125850052687。…私が調べてなかったらどうするつもりだったの?」
「コウに限ってそれはないよ。………はい、解除」

迷い無く答える彼に、コウはふっと口角を緩める。
手放しの信頼が心地よいと思った。
そう考えると同時に、彼女の脳裏に先程の香りの記憶が過ぎる。


それを理解するよりも先に身体が動いたのは、長年培ってきた危機回避に対する本能故のものだろう。

「開けないで!!!」

声と共に彼の身体を押しのけるが、すでに引き出しの中にあった箱はほぼ開かれていた。
パンッと言う破裂音の後、緑色の気体が彼女の顔へと吹き付けられる。
咄嗟に息を止めるが、僅かに気管に入り込んだだけのそれが身体機能を著しく低下させた。
一瞬にして力の抜けた身体に舌を打つ暇も無く、箱から次なるものが飛び出してくる。
牙を剥いて迫るそれに、イルミは彼女の身体を引き寄せて避けさせた。
だが、一切自分の意思通りに動かない身体のコウはその腕にかすり傷を負う。

「…蛇か」

次の瞬間には真っ二つに切断したそれを見下ろし、彼は小さく呟いた。
コウは事切れた蛇を見て、僅かに眉を寄せる。

「…………毒蛇ね。かすり傷でも十分に致死量の筈」
「…毒は効かないでしょ?」
「効かないけど、無害なわけじゃないわ」

会話を交わす間にも、イルミは彼女の腕を取り毒を抜くように傷口に向かって肌を絞る。
流れ出た血は、本来の鮮やかなものではなく僅かに黒ずんでいた。

「毒が回ってる証拠ね」

そう言って彼女はゆっくりと立ち上がる。
だが、すぐにふらついてイルミによって助けられた。

「動けるの?」
「初めのあれも毒ガスの一種だけど、効力は数十秒。すでに抜けつつあるわ」

問題は後の方、と彼女は答える。
彼の手を借りながらも自分の足で立ったコウの耳に、カチと言う小さな音が届く。
考えるよりも早く、動きの悪い腕でイルミを引き寄せ、身体を僅かに左方へと動かす。
肩に走った痛み。

「…今日は厄日…っ」

身体が新たな毒を受けたらしく、霞む視界と思考でそんな事を吐き出す。
崩れ落ちそうな身体を支える腕と、自分を呼ぶ声を聞きながら彼女の思考は暗転した。
心配も無く意識を手放す事が出来るのは、相棒を信頼しているからだろう。

「ちっ!女の方に当たりやがったか…」

舌打ちと共に現れたのは、ターゲットと瓜二つの男。
いや、こっちが本当のターゲットなのだろう。
その事実にイルミは眉を寄せる。

「どの道ゾルディック家と関わるような女だ。何の問題も」

男の言葉は最後まで紡がれる事なく途切れる。
数十と言う数の針が彼の身体全体を襲った。
勝ち誇ったような声は一転して苦痛のそれへと成り代わる。

「コウに使った毒、全部きっちり説明するまで殺さない」

床の上で転がる男を見下ろし、イルミは冷たく言い放つ。
男が手放した銃を拾い上げるとそれを彼の太股へと撃ち込んだ。

「全身の傷口から血と一緒に流れ出るから毒は薄くしか回らないし、すぐには死ねないよ」

そう言いながらもう片方へも銃弾を埋め込む。

「3分以内に吐きたくなるような拷問しかしない。…どうする?」

洗い浚い吐いてしまうまでの僅かな苦痛か、タイムリミットを設けた拷問の苦痛か。
究極の選択を迫るイルミの冷たい目の奥には、確かな怒りが燻っていた。

06.05.06