Free act.54
「クロロ、明日ちょっと出かけてくるわ。」
コウがクロロに提供している部屋を訪れてそう切り出した。
窓際のソファーに腰掛けて読書に勤しんでいたクロロが顔を上げる。
「行くのか?」
「ええ。早い方がいいと思って。」
すでに屋敷に帰ってから三日が経っている。
「クロロは適当に時間を潰しててくれる?恐らく明後日には帰れると思うわ。」
「わかった。幸い本も読みつくせないほどあるからな。それより――」
そこまで話して、クロロが口を噤む。
それを不思議に思ったコウが、窓の外の景色から視線を外して彼を振り向いた。
「何?」
「付いていかなくても大丈夫か?」
酷く真剣な様子のクロロに、コウは一瞬言葉を失う。
自分を心配してくれていると言う事が、嫌と言うほど伝わった。
自然と緩む頬を叱咤しながら、コウは答える。
「平気よ。」
そう言うと、コウはクロロの隣に腰を降ろした。
少しだけ開いた窓からの風がコウの髪を揺らす。
考えるように、しばしの間口を閉ざす。
そして、コウはクロロの肩にコトンッと頭を乗せた。
クロロは少しだけ角度を変えて彼女を一瞥すると、再び本へと視線を落す。
「どうした?」
「別に…。」
「……やっぱり不安か。」
決して大きくはない音量でそう言うと、クロロはページを捲る。
疑問系ではない言葉に苦笑を浮かべ、静かに口を開いた。
「まぁ、不安でないと言えば嘘になるわ。お世話になった時間は数ヶ月じゃないから。」
今まで生きてこられたのはあの家のおかげだと、断言できる。
世間知らずだった…殺す事しか知らなかったコウはあの家で様々な事を学んだのだから。
「落胆される事が怖いわ。」
「それはないだろう?」
「…多分ね。きっと、笑って喜んでくれるとは思うわ。それでも不安なのは仕方ないでしょう?」
頬にかかった髪を払いながら言った。
その間もクロロが本を読むのを止める事はない。
クロロは真剣な話の時にまで本を読むほど非常識ではない。
それでも今彼がそれを止めないのは、恐らくコウがそれを望んでいるから。
向かい合って、視線を絡めて話をしたいのではない。
ただ、ポツリポツリと。
まるで零れ落ちたかのような会話を求めているのだ。
それがわかっているからこそ、クロロはこうして自分の肩を提供するに止めている。
「…ありがとう。」
わかってくれる彼に。
ほんの小さな感謝を込めて。
翌日、コウはクロロに見送られながら自分の屋敷に背を向けた。
向かうはククルーマウンテン―――ゾルディック家。
飛行船から降りるなり、コウは指笛を吹いた。
高い音が森に響く。
もっとも、そんな音がなくともミケはやってくるのだが。
程なくして森の中から姿を見せた大きな番犬ミケ。
コウの姿を認めるなり、嬉しそうに尾を振って彼女に歩み寄った。
「久しぶり、ミケ。いつも通りに屋敷まで連れて行ってくれる?」
身体を屈めてコウが乗りやすい体勢を作ると、ミケは答えるように一声上げる。
地面を蹴ってミケの背に乗り、コウはその毛を撫でた。
走り出すミケを追うようにしてルシアとスノウが駆ける。
頬を撫でる風を感じながら、コウはこれからを思ってその目を閉じた。
「お帰りなさいませ、コウ様。」
「ただいま。お久しぶり、ゴトーさん。」
「コウ様・・・いつも申しておりますが」
「呼び捨てで、って事でしょ?」
ゴトーの言葉を遮るようにしてコウは言葉を被せる。
下げていた頭を上げてコウの方を向く彼に、コウはにっこりと微笑む。
「呼びなれてるんだから・・・諦めて?」
その綺麗な微笑みの中に、有無を言わさぬ何かを添えて彼へと送る。
ゴトーは苦笑しながらも頷いた。
コウが廊下を進みだしたのを見て、ゴトーもその一歩半後に続く。
「シルバさんとゼノさんは?」
「今日は仕事で留守にしておられます。イルミ様はご在宅ですが・・・。」
「・・・仕事じゃ仕方ないわ。帰りはいつ?」
「明日の深夜と伺っております。」
「そう・・・予定を聞かずに帰ったのがいけなかったわね。」
苦笑を浮かべながらそう言うと、コウはゴトーを振り向いて足を止めた。
「シルバさんとゼノさんが帰ったらすぐにでも知らせてくれる?話があるの。」
「わかりました。」
「あ、でも二人には言わなくていいわ。疲れているでしょうから。」
再び了承の言葉を述べるゴトーに満足げに頷くと、コウは自室へと足を向ける。
「参ったわね・・・明後日に帰るのは無理だわ・・・。」
自室に入るなりベッドに倒れこむ。
髪をシーツに散らばらせたまま、ポケットに無造作に入れてあったケータイを取り出した。
慣れた手つきでボタンを操作して覚えのある番号を引き出す。
そのままボタンを押すと、ケータイを耳元に寄せる。
数回のコールの後、聞きなれた声がコウの耳に届いた。
「あ、クロロ?コウだけど・・・。ごめんなさい、読書の邪魔した?」
『いや、丁度休憩していた所だ。どうした?』
「それはよかったわ。あのね、帰りの事なんだけど・・・。」
『明後日には帰ると言っていた分だな。遅くなるのか?』
「そう言う事。話が早くて助かるわ。どうにも二人とも仕事で出かけているらしくてね。」
『俺の方は好きにさせてもらってるから問題ないぞ。じっくり話してくればいい』
「・・・ありがとう。そうさせてもらうわ。」
用件を話してから数分間通話を続けると、コウは自分から電話を切った。
そうしないとクロロが切らない事は経験済みである。
『電話を切った後の音ってなんだか寂しいよね』
そう言ったのはもう何年も前の事。
談笑の間に言った言葉で、そう深い意味はなかった。
けれど、それ以降クロロが先に電話を切ることはない。
律儀な人だなと思いつつも、それを喜んでいる自分がいることも確かであった。
「ありがとう、ね。」
届くはずのない礼の言葉ではあるが、言わずには居られなかった。
横になったまま天井を見上げれば、見慣れた模様が視界に入る。
それを見るともなしに視界に納めて、コウは呆けたように動かなかった。
06.04.25