Free act.53
今は念能力を使えないクロロを後ろに下げ、コウは聳え立つ門を見上げた。
子供の頃より幾度と無く見上げたそれは、成長した今でもまだ大きい。
ゆっくりとそれに手を伸ばし、彼女はその青い目を閉ざす。
「…発」
小さな呟きと共に、爆発的な量の念が放出される。
そう力を入れる訳でもなく、彼女の手が門に触れるなりそれは勢いよく開いた。
見えない力に押された…見たままの印象的にはそれが一番正しいだろう。
実際には扉を開けようとする者の念能力の高さに応じて重くも軽くもなる代物なだけである。
無論、特注の門だ。
閉じようとするそれに手を添え、一人通れる程度に押し開いてコウは進路を譲る。
補足しておくならこの門、念を扱えない者が触れればガードマンの屋敷に連絡が入る。
もちろん暗殺者の家で雇っている者達なのだから言い訳などは通用しないと考えて良いだろう。
いっそ死んだ方が楽かもしれないという拷問が待っている―――とコウは幼少期に聞かされた。
その真実は…彼女の耳まで届いてこないのでわからない。
ゴォンと低い音と共に門が閉じ、高すぎる塀にぐるりと囲まれたそこは出口を失う。
空からという手もあるが、飼いならしたキマイラの腹に収まるのが落ちだろう。
「いつ来ても思うが…厳重な事この上ないな」
「まぁ、仕事上仕方が無いけれど…私一人の為だと思うとちょっと行き過ぎよね」
圧巻するクロロに、コウは苦笑を浮かべながらそう返す。
言葉を発しながらも足を進め、鬱蒼と茂る森の一本道を進んだ。
ここから歩く事3時間で、漸く彼女の直接的な私有地に入る事が出来る。
規模としてはゾルディック家よりも一回りほど小さいくらいだろう。
「まぁ、前に一度来てるからわかると思うけど…私達の足で屋敷まで約4時間。………歩く?」
「…任せる」
「そう?じゃあ移動は1時間に短縮しましょうか」
そう言うとコウは自身の指を唇に咥え、笛の要領でそれを鳴らす。
指笛が森の中に鳴り響いた。
待つこと数秒。
ルシアがピクリと銀毛に包まれた耳を動かす。
ガサリと草木を分ける音がして、森の中からコウの身長をも超える大きさの馬が姿を見せた。
尤も、馬と呼ぶには少しばかり風貌が異常ではあるが。
漆黒の長い毛並みに身を包んだ馬は恭しくコウに頭を垂れる。
彼女は優しく微笑んでその黒い首を撫でるとクロロを振り向いて口を開いた。
「乗馬、出来るわよね?」
車も飛行船も屋敷にはあるが、空気が淀むので極力使いたくない。と言うのがコウの意見。
もちろん、客であるクロロに拒否権などあるはずも無く…。
どうしても馬に慣れなかった彼は、仕方なくルシアの背を借りて移動する事となる。
自分の身長よりも高い位置にあるその背中にいとも簡単に飛び乗ると、コウは馬を走らせた。
人を乗せる事に慣れているルシアはクロロを気遣いながらも後れを取らずに続く。
「お帰りなさいませ、コウ様」
並んだメイドや執事が深々と腰を折る。
コウはひらりと背から飛び降りつつ目を見張った。
メイド頭の証とも言える紅のリボンを締める女性に向かって口を開く。
「私、帰るって連絡していなかったわよね…?」
「はい。お帰りのご連絡は頂戴しておりませんでした。
ですが、森の動物がざわめいているとの報せを受けましたので。コウ様に間違いは無いと、お迎えいたしました」
笑顔と共に紡ぐ彼女は、間違いではなかったと誇らしげな様子だ。
そんな彼女に微笑を返し、コウはメイドに仕事に戻ってよいと告げる。
そのあと執事の方へと向き直り、二・三指示を出した後クロロの隣に戻ってきた。
「仕事も特に無いみたい。暫くはゆっくり休めるわ」
「断ってあったんじゃないのか?」
「断ってても火急だからって依頼料倍額で頼んでくる珍客もいるの」
だから一応は確認しておかないと。
コウはそう笑いながらコートを脱ぐ。
そんな彼女に、先程のメイド頭…シュレイヤが再び声を掛けた。
「クロロ様のお部屋が整っております。不備などございましたら遠慮なく我々にお申し付けくださいませ」
前半をコウに、後半をクロロに向けてそれぞれ放つ。
二人が頷くのを見届け、彼女はコウの手元にあったコートを受け取った。
「いつの間にメイド頭に?知らなかったんだけど…」
「コウ様が発たれてすぐです。本来ならば最終的な判断を頂きたかったのですが、何分時間が無く…」
「…別に構わないわ。あなたならちゃんと出来るんだし。さて、部屋はどこに?」
「クロロ様のお部屋は二階奥にご用意させていただきました」
それを聞くと、コウはありがとうと残して階段の方へと足を運ぶ。
不必要に、しかし屋敷の規模としては当然の幅広い階段を上る二人。
「ここに来ると、改めてスフィリア家の大きさを痛感するな」
「そう?案外慣れるとそうでもないわよ。ゾルディックも同じくらいだし」
寧ろ家族が多い分あちらの方が大きいかもしれない、コウはそう言って最後の一段から足を離す。
二階へと場所を移すが、まだ例の部屋は見えていない。
この場所から東棟に移り、更に奥まで進んだ突き当りの部屋が彼の為に用意されているのだ。
玄関までの道のりで普通の人間ならば根を上げるだろうな、とクロロは思う。
尤も、コウ曰くそれを見越して移動距離を稼ぐために広い間取りの屋敷になっているらしい。
彼女が設計したわけでもないしそれを望んだわけでもないのでメイドやら執事から人伝に聞いただけだが。
「ちなみに遺産はどれくらいあるんだ?」
「何?狙ってるの?」
そんな質問を返しながらも、コウはクスクスと笑う。
明らかに本気ではない問いかけだ。
「そうねー…遺産だけでも島一つくらいなら買えるわね。更に、旅団全員…孫の代まで余裕で養えると思うわ」
「………島…」
「私の貯金だけでも山程度なら余裕。三ヶ月で町一つ分は稼げるから、どんどん増えるんじゃない?」
基本的に消費よりも収入の方が遥かに多いのだ。
ちなみにコウは電脳ネットワークの極秘会員に登録してある。
他にも様々な方法で自身と情報屋『ルシア』の情報を隠してあった。
無論、それに金をかけてもまだ有り余っているのが現状なのだが。
「………情報屋は必要ないんじゃないのか?」
「まぁ、ね。一生で使いきれる額じゃないから、問題は無いんだけど…」
そう言ってコウは苦笑を浮かべる。
廊下の窓からは眩し過ぎない日差しが差し込んでいた。
「ただ、好きなの。始めてみてやっぱり思ったわ。私はこの仕事が好き」
依頼の額やその内容に関係なく、ただ好きだと思えるのだ。
それだけで十分だとコウは言う。
最近ではあまりに莫大な財産になりつつあるので、それなりに対処もしていた。
あくどく稼いでいる輩からの依頼は高額で請け、その依頼料を寄付と言う形で様々な場所に分けている。
コウがすんなり電脳ネットワークの極秘会員に登録できたのも、そんな功績があったからだろう。
「…思った以上に色々しているんだな、コウも」
「まぁね。色んな事を見て回るのは面白いし、知らない事に出逢うのは楽しい」
世界を一つ知れば、自身の小ささを痛感する。
その大きさに驚きながらも、果無と呼べそうなそれに向かうのは楽しい。
自分にはこれしかないのだと感じずにはいられない。
この家に生まれた事も、今となっては感謝できる事だと彼女は思っていた。
「さて。ここがクロロの部屋。シュレイヤも言ってたけど、何か不備があったらいつでも声掛けて」
「あぁ、ありがとう」
「私の部屋は銀のプレートの付いた電話を使えば直通だから。金の方は待機室か執事室ね」
部屋の鍵をクロロに手渡すと、コウはすぐに部屋を後にしようとドアへと向かう。
挨拶を交わすとパタンと扉を閉めて、彼女は自室のある三階へと足を運んだ。
「あら、ご苦労様」
水差しを持って部屋から出てきたシュレイヤと鉢合わせ、コウはそう言って笑んだ。
シュレイヤはとんでもないと首を振り、彼女に向き直る。
「お飲み物をご用意しましょうか?」
「そうね。じゃあ、紅茶をお願い」
畏まりましたと頭を下げる彼女が譲った廊下を歩き、自室の扉をくぐる。
それが閉じられる直前にシュレイヤがあっと声を上げた。
その声に反応するように、コウはドアから顔を覗かせる。
彼女はにこりと微笑み、唇に言葉を載せる。
「お帰りなさいませ、コウ様」
「…ただいま」
06.04.15