Free  act.29

「逃げろ…コウ…。お前、だけでも………せめ、て…俺の分も…」
「ザキッ!!もう喋っちゃ駄目っ!」

咽るようなくぐもった音の後、彼が口元に添えた手から赤い筋がいくつも流れる。
コウは慌てて彼を止め、致命傷を負わせているとわかっている傷を塞ぐようその身体を強く抱きしめた。
そんな彼女の着衣を握り、彼はその耳元へと口を寄せる。
震える唇が最期に紡いだのは、たった一言。

「………生きろ、よ」
















愛しい者がいるかと問われれば、私は間違いなく「ザキ」と答えた。
たった一人の、理解者。
そして、たった一人の愛しい片割れ。

「ザ……キ…?」

目の前に横たわる者を見て、コウは身体を震わせた。
地面が彼から流れ出る液体を吸って赤く染まる。
割れ物に触れるようにそっと手を当てれば、触れた指先は冷たさを伝えてくる。
閉じられた琥珀は、二度とコウを映さなかった。

「どうして……ザキッ!!!」

半身をもぎ取られたような錯覚を起こしながら、コウはザキを抱きしめた。
コウの服が赤く染まり、熱はその冷たい身体へ奪われていく。

「コウ、屋敷へ入りなさい」

冷たい声がコウの耳に届いた。
虚ろな目で声の主を確かめる。
それは、コウとザキの実の父親だった。

「…ザキが……っ」
「ザキの事は俺に任せて。お前は中へ入れ」
「ザキが……まるで…死んじゃったみたいに…っ!」

必死で訴えた所で父親の目が変わることはなかった。
コウとて幾度となく人の死に触れている。
自分の今までの経験を疑わないならば、ザキの死は確かなものだった。
それを信じられないと嘆く心がそれを受け入れることを拒む。

「コウ。もう一度言う。屋敷へ入れ」

強く言われれば、それに逆らう術を持ってはいなかった。
虚ろな目は何も捉えず、ただ屋敷への道を進む。
コウに駆け寄る二匹の狼にすら、何の反応も示さなかった。

「どうしてもっとちゃんと殺さなかったの?」

――何ガ?

コウは足を止めてゆっくりと後ろを振り返った。
母親は苛立ちを隠そうともせず、父とザキの元に歩み寄る。

「中々の実力だったのかも知れんな…思ったよりも手間取った」
「逃げられるなんて…あなた動きが鈍ったんじゃなくて?」

――何ヲ、言ッテイルノ?

「コウには及ばなくとも使い道はあったかも知れん」
「使い道なんてないわ。コウを陥れるつもりだったのよ」

――誰ガ誰ヲ陥レルノ?

忌々しい、と母はそう言い捨てる。
そして自身の足元の亡骸を前に、「あぁ、でも…」と言葉を繋げた。

「どうせならコウにやらせてあげればよかったかしらね」
「自分でコイツを殺せと?」
「そうすればあの子の心の迷いも消えたでしょうし」

――誰ガ、誰ヲ殺ス?

屋敷へと進めていた足を二人の方へと向ける。
ゆっくりと歩いていけば二人がコウに気づいた。

「コウ!何故お父様の言う事が聞けないのですか!さっさと屋敷へお戻りなさいっ!!」
「ザキは…誰が殺したの?」
「…コウ、何も言わずに屋敷へ入りなさい」
「教えて!誰がザキを殺したの!!」

コウが初めて、親に声を荒らげた。
そんなコウに、両親は驚愕の表情を浮かべる。
コウの目にはもはや怒りしか映っていなかった。

「父さんが…ザキを殺したのね!!私をゾルディック家に連れて行ったのも…全部ザキを殺すために仕組んだのね!?」

いくら幼いとは言っても、コウは尋常でない特訓を受けていた。
その分精神的にも異常なまでに発達を遂げていたのである。
両親の会話を聞いて、コウは全てを理解していた。
そして、その怒りを隠す事なく両親に向ける。

「…コウ。感情を見せるなと、何度言えばわかるんだ」
「私たちは道具じゃないわ」
「怒りは刃を鈍らせる。落ち着きなさい」

ライドの伸ばした手を、コウは勢いよく叩き落した。
その動きはライドすら眼で追えないほど。

「道具じゃないっ」

コウの頬を、一筋の涙が伝う。

「コウ?何も考えずにお父様の言う事をお聞きなさい。コウはザキと違っていい子だから…わかるでしょう?」
「ザキだって私と同じだった!いつかは…愛してくれるって…そう思ってたのに…」

それだけを思って、二人で苦しい修行にも耐えてきたのに。
何度も首を横に振りながら、コウがそう叫んだ。

「…聞き分けのない子ね。次は何を失えば大人しく言うことを聞くのかしら」

その言葉にコウがビクッと過剰な反応を見せる。
伸ばされた手から逃げるように、コウはルシアの背に乗った。
コウを乗せて走るには十分な大きさのルシア。

「コウ!戻りなさい!!」

ルシアは母の声が追ってくる中、彼女の考えをわかっているのか、そのまま突き抜けるように森を走り出した。
その横を離れないようにスノウが走る。
銃声が後ろからコウの耳に届く。
それが父親の放つものだと言う事を、コウは理解していた。
コウには一発も当たらない。

「私は…父さん達の道具だもんね」

小さく呟くと、コウはルシアにしっかりと抱きついた。
ルシアは飛行船の方へと走り続けた。















「シルバ様!!スフィリア家のお嬢様が…っ!」

珍しく慌てた執事の声と同時に、扉が勢いよく開く。
執事に背中を支えられる形で、彼女はそこにいた。

「コウか?どうした?」

ボロボロと涙を流すコウに、シルバが静かに問いかけた。
腕を上げて執事に下がるように指示を出す。
頭を深く下げると扉が閉じられた。
閉じる音と共に、コウが床にぺたりと座り込む。
その横では二匹の狼が浅い呼吸を繰り返していた。

「ルシア…スノウ……ごめん…ごめんねっ!!」

純白と白銀の毛は赤く染まっている。
その浅い呼吸は、誰が見ても手遅れとわかる。
やがて静まっていく呼吸を聞きながら、コウはその二匹を抱きしめていた。


















「家には帰りません」

翌日、コウははっきりとシルバにそう告げた。
迷いのないその眼に、シルバが笑みを浮かべる。

「そうか…。なら、ここにいればいい」
「え…」
「元々イルミの婚約者だ。問題はないだろう。婚約と言っても形だけ。要はこの家にいる口実になるだろう?」
「でも……」
「安心しろ。スフィリア家からの連絡は一切受け付けん」
「…では、仕事を手伝わせてください。私にも…出来ることはあると思います」

コウの訴えを、シルバは僅かな笑みと共に受け入れる。
彼の反応を見て彼女は漸く表情を緩めた。






ゾルディック家の敷地内。
少しだけ開けた所に、コウは蹲る様にして佇んでいた。
コウの前には、盛り上げられた土の山が二つ。
両方に気持ち程度の花が添えられている。

「コウ、そろそろ戻りなさい」

今しがたその場所を訪れたシルバが、コウにそう話しかけた。
その声に反応して、コウがゆっくりと身体を向ける。

「…はい」

すでに涙はなく、赤く腫れた目が痛々しかった。
そして、その小さな手には白銀の毛と、銀色の毛が一房ずつ握られていた。

「…形見か?」
「いいえ。もう少しで念が使いこなせるようになるから……その為のモノ」
「そうか…。ついて来い。部屋に案内する」

踵を返したシルバの後を、コウが続く。

Rewrite 06.02.11