水面にたゆたう波紋
039
クワンダ・ロスマンの軍を破って三ヶ月。
仲間集めも順調に進み、城も少しずつ活気付き始めていた。
「コウさーん!」
本の整理をしていたコウは、開け放たれた扉の向こうから自分を呼ぶ声を聞いた。
持っていた本を机に置いて、自分を呼んだ人物を待つ。
「今、解放軍のメンバーが到着したみたいですよ!」
「新しい仲間?喜ばしい事ですね」
「何でも、初期のメンバーもいるみたいで。青雷のフリックさんもいましたよ!!」
興奮気味に語る兵の彼に、コウは大きく目を見開いた。
本当?と確認すると、彼は元気にはいと答える。
その答えを聞いて、コウはその場から走り出した。
普段、こんな風に廊下を走る事などコウにはありえない。
彼女がそうしてしまうような状況だったという事だ。
大広間まで駆けつけたコウは、僅かに息を弾ませながらその人を探す。
少しずつ集まっている人々の中に、青いマントを見つけた。
「フリック!!」
声を絞るようにそう呼べば、誰かと話していたその背中が大きく揺れる。
振り向いた彼の顔に笑顔が浮かぶのをみた。
コウはその場から駆け出し、その勢いのまま彼の腕に飛び込んでいく。
「コウ!!良かった、無事だったんだな。怪我はないか?」
丈夫な鎧があたると身体が痛いけれど、そんな事は気にならない。
無事かどうかわからなかった大切な人が今、コウの目の前にいるのだ。
即座に彼女を案じる彼の言葉に答える余裕すらなく、彼女は顔を俯かせた。
「感動の抱擁だって事はよーくわかるんだがな、お二人さん。まるで恋人同士の再会だぞ」
「「!」」
冷やかしの声に、二人が勢いよく身体を離した。
そして、声の主であるビクトールを見る。
「だって…嬉しいの。フリックが無事かわからなくて、心配していたのよ」
「俺だって、無事をこの眼で確認するまでは安心できなかったんだ。
解放軍のリーダーの傍に女魔道師がいるって噂を聞いてたから、たぶん無事だろうとは思ってたけどな」
「お前ら双方の言い分はよくわかってんだよ―――俺はな。だが、新入りの連中が見たら誰だって誤解するぜ」
ニヤニヤと口元を歪めるビクトールに、二人が顔を見合わせる。
お互いにそう言う男女の色恋感情は一切ない。
だからなのだろうか―――二人には、何を誤解する事があるのかわからないようだ。
「所で、オデッサはどこだ?」
コウが無事だったのだから、とフリックの目が期待を浮かべるのを見た。
しかし、彼の言葉にその場にいたフリックと彼と共に来たメンバー以外が顔を強張らせる。
コウは、全身の血が凍りついたような錯覚を起こした。
忘れていたわけではない。
けれど、事実を知らない彼の口からオデッサの名前が出る事により…再び、現実がコウの眼前に横たわった。
「オデッサは―――いない」
さりげなくコウを下がらせ、ビクトールがそう答えた。
その言葉に、フリックがわけがわからないと首を傾げる。
「オデッサがいないってのはどう言う事だ?」
答えを求めるようにビクトールたちを見るフリック。
コウはその視線に耐えられず、顔を俯かせた。
「ここは新しい解放軍の本拠地じゃねぇのか?」
彼はレナンカンプのアジトが襲われてから、各地に散った解放軍のメンバーを集めてここに辿り着いた。
ここが新しい解放軍の本拠地だと聞いて、オデッサがここにいるのだと思って。
彼女の笑顔が迎えてくれる事を想像しながらここに来たのだろう―――コウは、唇をかみ締めた。
ぎゅっと握り締めた手が、不意に別の手に包まれる。
顔を上げると、いつの間にか来ていたらしいティルが微笑んでいた。
「ティル…」
「…大丈夫だよ」
安心させるようにコウの頬を撫でてから、彼はフリックの元へと歩いていく。
その迷いのないまっすぐ伸びた背中を見つめ、コウは自分の震えがとまっている事に気付いた。
彼に続くようにマッシュが歩を進めていく。
コウは天井を仰いで息を一つ吐き出し、心を落ち着かせた。
そして、自分もまた、フリックの元へと近付いていく。
「―――オデッサは、死にました」
マッシュは自らがオデッサの兄であり、解放軍の軍師であると名乗り出た。
そして、その後…無表情な声で、彼に残酷な現実を告げる。
フリックは信じられない様子で言葉を失った。
しかし、他のメンバーの言葉を聞いて、ティルがオデッサの跡を継いだ事を知ると、感情的な目を彼に向ける。
「冗談じゃない。おい、いいのかよ、ハンフリー!サンチェス!!こんな奴にオデッサの代わりが務まるのかよ!」
馴染みのある仲間を順に見つめるフリックの目は、やがてコウを映した。
「コウ、お前も…こいつに乗り換えたってのか?オデッサを慕ってたのは嘘だったのかよ!!」
「やめろ、フリック!!」
ビクトールが止めるのも聞かず、フリックはコウへと近付く。
その腕が乱暴に彼女に伸ばされた、その時。
「やめてください。彼女はオデッサさんが亡くなったことを誰より―――」
コウを背中にかばってまっすぐ自分を見つめるティルに、フリックは頭に血が上るのを感じた。
「お前は黙ってろ!!」
「ティル!!」
感情のままにティルを殴りつければ、その身体が磨かれた床に転がる。
コウが悲鳴にも似た声を上げて彼に駆け寄ろうとした。
しかし、そんな彼女の腕を掴んで引き寄せるフリック。
「何でだよ…何で、助けなかったんだ!?お前の魔法なら助けられたんじゃないのか!?」
「…っごめんなさい…!!」
「何ですぐにこいつをリーダーに受け入れられるんだよ…リーダーはオデッサだろ!?」
「フリック!コウを責めるな!!―――落ち着け、そして離してやれ」
諭すようにそう言ったビクトールに、フリックは少しずつ平静を取り戻す。
強張った指を解いていけば、コウの白い腕に痛々しく手の跡が残っているのが見えた。
ごめんなさい、と膝から崩れ落ちたコウは、ぼろぼろと涙を零している。
それをみて、フリックはスッと頭が冷えるのを感じる。
「…俺はカクの町の宿にいる。気が変わったら来てくれ」
かつての仲間にそう言い残して、フリックは城を後にした。
その場に残された者の間に微妙な沈黙が下りる。
そんな中、ビクトールがコウに近付いた。
「…大丈夫か?」
顔を覆って肩を震わせているコウ。
オデッサが死んだあの時以来、涙を流そうとしなかった彼女が、泣き崩れている。
それだけ、フリックの言葉がコウにとって痛いものだったのだろう。
既に身体を起こしていたティルは、紋章越しに伝わる彼女の心に表情を歪めた。
「…コウ」
彼女の傍らに膝を付き、そっと肩に触れる。
泣き止みそうにない彼女を強く抱きしめ、マッシュたちを見た。
「明後日…カクの町に行くよ。頭を整理する時間が必要だろうから。…僕たちにも、彼らにも」
「…そうですね。それが良いでしょう。今は少しでも戦力がほしいところですから」
マッシュの言葉に頷くと、ティルは立とうともしないコウを抱き上げた。
そして、誰も引き止めない大広間から出て行く。
力なく胸元の着衣を握る彼女を見下ろし、ティルは明後日の話について考えていた。
10.01.31