水面にたゆたう波紋

038

一瞬で城へと戻ってきた。
見慣れた城の風景に、自然と緊張を解くコウ。
そんな彼女を見て、ルックは腕を掴む手に力をこめる。
ギリ、と絞まったそれに、コウの表情が歪んだ。

「何か言う事はあるかい?」
「…ごめんなさいと…その言葉を、求められている事は、わかるわ」
「そう。なら遠慮なく言わせて貰う。君は馬鹿だ。君の魔法は、ウィンディにとって未知なる物。
同時に、とても惹き付けられるものだ。多少魔道に精通する者なら、誰でもそう感じる」

コウの魔法は、この世界には存在し得ないもの。
だからこそ、人に許されざる力のような、そんな言葉に出来ない魅力がある。
紋章術を覚え、多少なりとも魔道を知る者であれば、誰でもそう感じるだろう。
憎まれ口を叩くルックですら、彼女の魔力の織り成す魅力には、引き寄せられずには居られない。

「君はもう少し正しく自分を理解すべきだよ。いかに、自分が異端の存在であるかを、きちんと知るべきだ」

コウはルックの言葉に口を噤んだ。
異端―――その表現に間違いはない。
彼女は世界を渡った人間だ。
力を求めるウィンディが、紋章術とは異なる魔法に興味を抱くのは道理。
使うべきではなかったのだと、反省する心はある。
しかし―――

「わかっているの。けれど、私は守りたいと思う。怯えているだけでは前に進めないわ」
「ウィンディの力を理解していない。君が操られた場合、解放軍にとっては大きな痛手になる」

ルックは今回の事でそれをより強く感じた。
あれほど広大な森林の火を消し去るほどの召喚魔法。
多少の疲労を感じるだけでそれを使ってしまえるコウに、畏怖すら覚えた。

「君は危険な存在だよ。使い方によっては、世界だって滅ぼせるかもしれない」

ルックですらそう感じるものを、ウィンディはどう考えるだろうか。
今後、彼女にはより多くの刺客が向けられるだろう。
恐らく、ティルと同じか、それ以上になるはずだ。

「…ごめんなさい」

コウは己の失態を認め、肩を落とした。
こんなつもりではなかったのだ。
守れるものがあるならば守りたいと…そう思っただけ。

「…とりあえず、目下は君が自分自身を守れるように強くなる事だ。今のままでは無防備すぎる」

コウの様子にこれ以上責めても仕方ないと判断したのか、ルックは話を切り替えた。
彼女は良くも悪くも良い所育ちだ。
人の悪意や偽計に慣れていない。
これからもこんな様子では、すぐに囚われてしまうだろう。

「とにかく、単独行動は控えるべきだよ。守れないなら、レックナート様のところに連れて行く」
「…守るわ」
「そう。口約束だからって破らないでよね」

神妙に頷くコウを横目に、なんて面倒に巻き込まれたんだろうと思う。
出来れば関わりたくないが、解放軍に手を貸すよう言われているのだから仕方ない。
仕事だと思えばいい―――ルックは自分自身にそう言い聞かせた。













コウが強制帰還してから一週間後。
ティルたちが城へと戻ってきた。
一週間きっちりとしごかれた彼女は、彼を見るなりパッと表情を明るくする。

「お帰りなさい、ティル」
「ただいま。なんか、大変だったって聞いたけど…大丈夫?」
「大変だったのはそちらでしょう?クワンダが操られていたと聞いたけれど…」
「あぁ、うん。色々とあったけど、仲間になってくれたよ。そう言えば、彼が君に会いたいって」

誤魔化すわけではなかっただろうけれど、出兵していた彼らの様子が気になるのも無理はない。
先に状況を答えたティルに、そう、と安堵するコウ。

「私の方は…大丈夫。ルックに沢山怒られてしまったけれど、自分の甘さを知る良い機会だったと思うわ」
「そっか。何人か仲間が増えたから、あとでマッシュにでも聞いておいてくれる?」
「ええ、わかったわ」

コウの返事を最後に二人の会話が途切れる。
居心地の悪い空気ではなく、寧ろ心地よい沈黙だった。
しかし、いつまでもそれに浸っている場合ではない。

「えーっと…とりあえず…クワンダに君を紹介しようか」
「ええ。お願い」

椅子に座っていたコウが立ち上がる。
出口に程近い場所に居た彼の元へと近付いた彼女は、思い出したように口を開いた。

「あなたが無事で安心したわ」
「心配させた?」
「勝手に心配しただけ。無事ならば、それでいいの」

ふわりと微笑む彼女に、ティルは体内の熱が頬に向かって逆流するような感覚を覚えた。
幸い、彼女は軽く荷物を纏めるために彼に背中を向けていて、その様子に気付いていない。
てきぱきと動くその線の細い背中を見つめ、やれやれと額に手を当てるティル。

「重症だな…」

笑顔一つでこんな風になるなんて。
思わず呟いたティルに、背中を向けていたコウが振り向く。

「どこか怪我をしたの?」
「いや、なんでもないよ。…行こうか」

少し強引に彼女を外へと促し、話を誤魔化してしまう。








「あなたがコウ殿ですか。私はご存知の通り…クワンダ・ロスマンです」
「お初お目にかかります。コウです。私たち解放軍に手を貸してくれるとのことで…心強く思います」

背筋を伸ばし、そう言って穏やかに微笑んだコウ。
場慣れしているなどと言うものではない。
そうすることが普通だというような、自然な仕草にクワンダは心中で感心する。
彼女は自分の取った行動を知らないはずはないのに、既に彼を仲間として、その全てを受け入れているのだ。

「エルフの森の火を止めてくれたと聞きました。私が言うのもおかしな話ですが…感謝しています」

彼女のお蔭で被害が最小限に食い止められた事は確かだ。
森と共に運命を共にするはずだったエルフの一部が、生き残ったと聞いた。
既に彼らは城で手当てを受けている。

「奪ってしまった命は一生をかけて償います」
「戦争ですから、奪い奪われる事は仕方がないのかもしれません。けれど…忘れて欲しくないと思います」

解放軍だって、無血のまま戦い続けているわけではない。
双方に犠牲者を出しながら兵を進めているのだ。
クワンダの行いは褒められた事ではないけれど、逆に責め続けられるべきものでもないと思っている。

「今生きている人たちを守りましょう。奪った命に償のはそれからです」

クワンダは不思議な感覚だと思った。
自分よりいくつも年下の小娘と言っても過言ではない彼女。
しかし、彼女の言葉一つが、クワンダの心を軽くする。
許されるのだと―――そう感じるのだ。

「…なるほど、ティル殿の下には良い人が集まっている」

これを、求心力と言うのだろう。
様々な境遇の人間が集まる解放軍を纏め上げる人間には、なくてはならないもの。
それと同時に、帝国の衰退を否応なしに実感する。

―――帝国は解放軍には勝てないだろう。

今はっきりと、それを理解した。

09.12.22