水面にたゆたう波紋

035

牢の方から話し声が聞こえる。
聞きなれない声も含まれていて、牢に閉じ込められているのがティル達だけではないことがわかった。
紅の隣を歩いていたはずのシルビナはいつの間にか前の方を歩いている。
声を聞いても躊躇わなかった事がその距離を生んだのだろう。
少し速度を上げて彼女を追えば、牢の中が見えるようになった。
シルビナに注目していた者の目がコウを捉える。

「コウ!」

そう声を上げたのはティルだった。
彼の方へと足を進めれば、どこか安心したような表情を見せる彼。
コウの姿が見当たらず、心配してくれていたのだろう。

「良かった。無事だったんだね」
「ええ。長時間に亘って解放されなかったことを除けば、とりあえず」

格子越しに視線を交えてそう言えば、ティルは苦笑を浮かべる。
そう言えば、見知らぬエルフに半ば誘拐されるように連れ去られて以来だ。
心なしか肩が軽くなったような気がして、自分も彼らを案じていたのだと気付く。

「…彼女は?」

知らない女性がティルに近付いてきて、コウを見た。
コウはその女性と視線を合わせてから、説明を求めるように彼を見る。

「彼女はコウ。僕たちの仲間だ」
「よろしくお願いします。コウと申します」
「あ、あぁ…よろしく。私はバレリアと言う」

丁寧に腰を折るコウに、女性…バレリアは、やや慌てたようにして彼女に倣う。
お互い、もう一度視線を合わせ、同時に苦笑を浮かべた。

「出来れば、格子を挟まずに言葉を交わしたいものだな」
「ええ、本当に。でも、それなら彼女が…」

そう言って、思い出したようにシルビナのほうを見れば、丁度彼女が鍵を取り出している所だった。
ガシャン、と牢の扉が開く。
と同時に、何かがそこから走り去った。

「…誰、あれ」

既に見えなくなった青い髪のエルフを指差し、そう問いかける。
グレミオの説明により、スタリオンと言う名前らしいという事はわかった。

「キルキスも逃げて」

そう告げるシルビナに対し、キルキスは静かに首を振った。
逃げるわけには行かない、と言う彼に、心中で疑問符を抱くコウ。

「バレリアさんの言っていた焦魔鏡を何とかしないと…」

彼の呟きを聞いたコウは、牢から出てきたティルへと歩み寄る。

「焦魔鏡と言うのは?」
「帝国が作った兵器だ。この森を一瞬で焼き尽くせる規模らしいね」
「…それを、どうしてあなたが?」

コウの視線を受けたバレリアは、その真っ直ぐな目に息を呑む。
強制されたわけでもなく、偽ることを憚られる―――そんな不思議な力を持つ眼だ。

「私は…帝国の仕官だ。噂で得た情報だが…確認はしてある」
「どうして、帝国の人が?」
「この森には私の故郷もある。エルフの村を標的にすれば、被害は免れないだろう」

そうなってしまった時の事を想像したのか、彼女はギュッと握り拳を作る。
解放軍の一行は、そんな彼女を無言で見つめた。

「―――行こう。帝国が焦魔鏡を使う前に、何とか阻止しないと」

沈黙を破るティルに続き、キルキスがドワーフを頼ることを提案する。
足音を忍ばせて牢を離れた一行は、時間をかけてエルフの村の大樹の下へと辿り着いた。
残していくシルビナと言葉を交わすキルキスの傍らで、バレリアがティルに同行の許可を求める。
二つ返事でそれを了承したティルは、彼らを連れて歩き出した。
向かう先はドワーフの住む鉱山だ。











「コウ」

不意に、隣を歩いていたティルに名前を呼ばれ、そちらに顔を向ける。

「バレリアと話した方がいいよ」
「え?」
「気になるんだろう?」

彼は笑顔を浮かべてそう問いかける。
少しだけ悩むように口を噤んだ彼女だが、やがて諦めたように肩を竦めた。

「あなたにはお見通しね」
「紋章様々ってところかな」

手袋越しにそれを指差し、得意げに微笑む。
平常心の時には何も感じないけれど、感情の起伏には敏感だ。

「隠し事が出来なくて困るわ」
「本当に隠したいことなら、誤魔化してくれれば追求はしないよ」
「でも、感情は何となく読めるでしょう?」
「喜怒哀楽その他諸々は、一通りね。考えがわかるわけじゃないし…」

プライバシーも何もあったものじゃないと思える部分もある。
しかし、正確な思考が伝わるわけではなく、あくまでも感情が伝わるだけだ。
その程度であれば、この手の事に聡い人間であれば、似たような結果にはなる。

「少しだけ、話して来るわ」
「うん。その後は、戻って来てくれると嬉しいな。離れていた時の話が聞きたいから」
「ええ、そうね」

お互いに、と告げ、速度を変えてバレリアの方へと近付いていくコウ。
そんな彼女を見送るティルに、グレミオが近付いてきた。

「坊ちゃん、コウさんはどうしたんですか?」
「謝りたいんだよ」
「謝る?」
「状況を知らなかったから、仕方がないんだ。だけど、結果としてはバレリアを疑ってしまったから」

それを謝りに行ったんだよ。
ニコニコとした表情でそう答えるティル。
グレミオは、その話を聞いて疑問を抱く。
いつの間に、二人はこんなにも簡単に理解しあうようになっていたのだろうか。

「グレミオ?」

悩みだした彼の名を呼べば、彼は驚いたように大袈裟に肩を揺らした。
はい、と声を上ずらせる彼に、どうしたの、と問う。

「坊ちゃんはコウさんの事がよくわかるんですね」
「…うん。何となくね、解るんだ。僕は…この世界では、一番コウに近いと思うよ」

多分ね、と誤魔化すように笑う。
そして、それ以上は何も言わないという姿勢を見せるように、彼の目は前を向いた。
そんなティルの横顔を見下ろしたグレミオは、不思議な感情を抱く。
頼りになる大人へと成長しつつある事への喜びと、そして―――

「…喜ばしいこと、ですね」

コウは、見知らぬ世界で懸命に生きている。
ティルが彼女を支える大役を担っているということ、それは喜ばしいことだ。
そう思って、少しだけ痛んだ心に蓋をした。

09.02.28