水面にたゆたう波紋
033
ずぶ濡れで本拠地へとやってきたエルフは、名をキルキスと言った。
彼はエルフの一族の危機を前に、単身で解放軍へと助けを求めにやってきたのだ。
彼の話によると、帝国軍の大将軍であるクワンダ・ロスマンが一族を根絶やしにしようと目論んでいるらしい。
話の全てを聞いたマッシュは、エルフの一族を見捨てると言う選択肢を選ばなかった。
少人数で状況を調べに行くことが得策であると判断し、ティルにメンバーを決めるよう促す。
そうして手早く準備を済ませ、一同は大森林へと向かった。
「こうして、一緒に遠出をするのは久しぶりだね」
不意に、隣を歩いていたティルがそう声をかけてくる。
コウは顔を上げ、彼の言葉を考えた。
確かに、本拠地である城の近くの町や村を訪れることは多かったけれど、遠出は久しぶりだ。
まだまだ城が本格的に動き出すには時間が必要で、それにはコウの助言がとても重要視されていたのだ。
そのために、彼女自身はあまり長期間城を離れることが出来ず、出歩くのは近隣ばかりとなっていたのである。
「そうね。ティルは仲間集めにあちらこちらを回っていたから、そう感じないでしょう?」
「確かに、久しぶりだとは思わないね。だけど…前に歩いた時が、遠く感じるよ」
それは、あの日から今日までの時間、彼を取り巻く状況が大きく変化していったからだろう。
時間が、それこそ走るように過ぎ去ったと感じるからこそ、ほんのひと月程度の期間を長いと感じる。
それが良いことなのか悪いことなのか。
どちらとも判断は出来ず、曖昧な思考を置き去りにする他はなかった。
「―――コウの世界にエルフはいるの?」
ティルの質問に、コウは少しだけ考えるように口を閉じた。
「いる…と思うわ。文献でも、そんな記述は何度か見かけたし。
けれど、森の奥で暮らし、人間は関わらないと言うのが通説だったから…少し、違うわね」
「あぁ、それはこっちも変わらないよ。本当なら、エルフは人間に関わってこないんだ」
人間が好きじゃないからね。
そう言って、彼は苦笑に似た笑みを浮かべる。
異なる種族なのだから、考え方の相違は仕方ないだろう。
しかし、会話と言うコミュニケーションが取れない種族ならばまだしも、一見すると彼らは人と変わらない。
姿かたちが近いからこそ、好かれていない…むしろ嫌われているであろうその事実が、少しだけ悲しいと思う。
「…種族の壁と言うのは、そう易々と取り崩せるものではないわ。
でも…今回の事が、そのきっかけになればいいわね」
完全に理解し合うことは出来ないだろうけれど、歩み寄る第一歩になればいいと思う。
そう思うのは、より多くの力を必要とする解放軍だからではなく、コウ個人としての想いだ。
ティルとの会話の間、コウは一つの視線を感じていた。
不躾ではなく、しかしこちらを気にするようにと向けられるそれ。
問うべきか、そのままにしておくべきか。
少し悩んだ末、コウは前者を選ぶ。
「キルキス?」
「は、はいっ!!」
ビクリと肩を振るわせた彼は、気付かれていないと思っていたのだろうか。
それとも元来の気の弱さがそうさせるのか―――とにかく、彼は小動物のように飛び上がった。
こちらが悪いことをしてしまったような軽い罪悪感を覚えつつ、彼と視線を合わせる。
「何か聞きたいことでも?」
安心させるように、穏やかな笑みを浮かべて問いかける。
王女だった頃に培われた笑顔だが、決して上辺だけのものではない。
ずっとコウを気にしていたキルキスも、その笑顔に安心させられたのか、少しだけ彼女に近付いた。
ティルが不思議そうに首を傾げたけれど、彼は不用意に口を挟もうとはしない。
それをありがたく思いつつ、キルキスの言葉を待った。
「コウ、様は…不思議な感じがします」
「様なんて必要ありませんよ」
「いえ、駄目です!コウ様はとても高貴な魔力を感じます」
はっきりとそう告げるキルキス。
感覚が鋭いエルフの彼は、敏感に何かを感じ取っているのだろう。
コウは彼の言葉に目を見開いた。
「高貴な魔力…ですか?」
鸚鵡返しするように呟いた彼女に、ティルが口元を寄せる。
「…王族は魔力の質まで変わるの?」
「いえ…それは聞いたことがないわ」
記憶にはない、と首を振るコウ。
魔力と言うのは生まれ持った素質が大きく関係する。
しかし、王族は彼の言うような「高貴な魔力」と言うものを持ち合わせていると言われても、納得は難しい。
生まれが関係する、と言うことなのだろうか。
「キルキス、高貴な魔力って言うのは、どういう意味?」
コウの代わりにティルがそう尋ねた。
キルキスは言葉を選ぶように悩んでいる様子を見せたけれど、考えがまとまったのか、暫くしてから口を開く。
「エルフの一族では、世界のどこかに、エルフの女王が存在すると考えられています。
女王が存在するのは、決して人間や他の種族に侵されることのない場所です」
考えられている、と言うことは、実在すると言う確証はないのだろう。
そして、彼は続けた。
「エルフはあまり他種族と関わりを持ちません。
しかし、稀に…女王は、素質を持った人間に加護を与えることがあるそうです」
「コウが、その人間だって事?」
「わかりません。けれど…コウ様の中に、エルフの魔力に似たものを感じます」
ティルとキルキスが話を進める中、コウは只管自分の記憶を探っていた。
エルフと関わりを持った覚えはない。
しかし、彼はエルフの魔力のようなものを感じると言う。
どこかで、自分の知らない間にエルフと接点を持ったのだろうか。
でも、どこで―――?
そう考えた時、ふと過去の記憶の一部が甦った。
「あ…」
思わず声を発したコウに、ティルとキルキスが言葉を止める。
どうかした?と言いたげな視線を受け、彼女はそっと口を開いた。
「昔…子供の頃の話ですけれど、父が招いた医師の中に居たのかもしれません」
コウの身体を救う術はないかと、方々に手を尽くしてくれていた父。
そんな父が遠方から招いた医師の中に、一際美しい女性が居たことを覚えている。
纏う空気そのものが澄んでいて、彼女の傍にいるだけで部屋の中が清められるような錯覚すら起こした。
今思うと、あの人間離れした美しい女性は、エルフだったのかもしれない。
「額にそっと手を添えて、魔力を送ってくれました。
本人に確認したわけではありませんけれど、何となく…人ではないものを感じました」
「もし、そうだとするとコウ様のお父様は…とても偉大な方です。
エルフの女王が人間の願いを聞きいれ、人間の土地まで出向いたんですから」
「お父様…」
どれほど手を尽くしてくれたのだろうか。
感謝してもしきれないと思う。
自分の中に確実に残っている父からの愛情を抱くように、そっと肩に手を添えた。
08.12.06