水面にたゆたう波紋

030

メンバーが増え、それを祝う宴が催された。
コウの努力の甲斐もあり、広間は十分に機能している。
いつもより少し豪勢な食事が並び、酒類が沢山用意された。
アルコールが入った所為で、いつもよりも賑やかな声が聞こえる。
初めはそれに参加していたコウだが、広間の賑わいを背に、そっとそこを後にした。
ひんやりとした夜の風が、少し上気した頬に触れる。
窓の外に見えた月は、解放軍の門出を祝しているかのように、美しい姿を見せていた。

「コウ?」

ギィ、と蝶番が鳴き、次いで彼女を呼ぶ声が聞こえた。
振り向いたそこに、ドアを閉めたばかりのティルがいる。

「主役が抜け出して来たの?」
「今日の主役は、新しくメンバーに入った人達。僕はお飾りだよ」

その証拠に、誰も気付かなかった。
そう言って、彼は悪戯な笑みを浮かべる。
気付かなかったわけではなく、気付かれないように出てきただけの話だろう。

「リーダーなのに」
「ちゃんと出来上がるまでは付き合ったんだ。最後まで残る必要はないよ」
「…私はお父様しか知らないから…少し、変な感じね」
「そうなの?」
「宴の時には、最後まで王座に座っていたわ。
私はお酒の匂いで体調が悪くなってしまって、よく途中で部屋に戻ったけれど」

いつだって最後までそこに残り、宴に参加した全員を見守っていた。
青い顔をしてごめんなさいと告げるコウに、彼は笑って首を振ったものだ。
ぼんやりとその事を思い出していた彼女を見て、ティルがやや驚いたように口を開く。

「まさか…今日も、体調が?」
「え?」

何を心配されているのか理解できなかった。
程なくして、その意味を理解した彼女は、それを否定する。

「いいえ。あの頃とは違う、健康な身体を得ているから。お酒の匂い程度で倒れたりしないから、安心して?」
「倒れたりって…そんなに酷く?」

ギョッとした様子の彼に、しまった、と思う。
そこまで言う必要はなかった。
コウは苦笑いを浮かべ、トン、と壁に凭れかかる。

「小さい頃に、ね。部屋に戻った方がいいってメイド達にも言われていたのだけれど…少し、無理をしたの」

その結果、数秒で悪化した体調に、コウは意識を失った。
翌日、目を開いてからの城の皆の安心した様子を見て、つくづく申し訳ないことをしたと思ったものだ。

「何だってそんな無茶を…」
「お父様の誕生日だったから」

即答した彼女は、呆気にとられた様子のティルに微笑む。

「怒られなかったわ。けれど、お父様の悲しげな表情が忘れられない」

彼の為を思った行動が、逆に悲しませてしまったことへの後悔。
以来、コウは今まで以上に自身の体調に気を配るようになった。
















「実は、コウが城を直してくれて…安心したんだ」

静かに紡がれたティルの言葉に、コウは「どうして?」と首を傾げた。
助かった、ではなく、安心したと言った彼。
何故、そう思ったのかがわからない。

「コウが…助けてくれるんだってわかったから…かな」
「助けてって…当然でしょう?」

助けない理由がない。
コウ自身の考えはそうなのだが、彼は違うのだろうか。
疑問符を連ねる彼女に、彼は少し困ったように笑う。

「僕はオデッサさんじゃないから」
「…それも、当然よ?」
「リーダーとして認めてもらえるかが不安だったんだ。
リーダーが変わるって言うのは、口で言うほど簡単じゃないだろ?」

彼から告げられたその内容は、コウを黙らせるには十分な力を持っていた。
薄く唇を開いたまま、言葉が出てこない。

「コウにとってオデッサさんは凄く大切みたいだから、だからこそ受け入れられないんじゃないかと思ってた。
彼女が作った解放軍をポッと出てきた僕が引き継ぐ事を…頭では理解しても、感情が納得しないんじゃないかって」
「オデッサは…とても、大切よ。でも、私は…」

声が震え、喉が掠れてしまう。
頭の中で整理しながら話すのはとても難しく、詰まりつつ唇を動かす。

「オデッサが守ろうとしたものを、あなたが守ってくれる。私はそれが…嬉しいの」
「コウ…」
「リーダーであるオデッサが死んだ時点で、解放軍は崩れるしかなかった。けれど、あなたがいてくれた。
すぐには納得できない人もいるかもしれない。それでも、きっと…いつかはわかってくれると思うわ」

あなたには、その力があるから。
ティルを見つめるコウの目に迷いはない。

「代わりのリーダーだから従うわけではなく…あなただから、従うのよ、ティル」
「…従う、じゃないよ。一緒に戦うんだ」

強い言葉が返ってきて、コウは少しばかり口元を持ち上げる。
彼の眼から不安が消えた。

「そうね。この国が解放される時まで、共に」
「―――うん。よろしく、コウ」

その時、ティルの心の中は、どこか煮え切らないものを抱えていた。

―――この国が解放される時まで―――では、その後は?

脳内に、去っていく彼女の背中が見えてしまった。
そして、それを『嫌だ』と思う自分に気付く。












ティルの心中を知らないコウは、ふと窓の外に視線を戻した。
いや、戻そうとした。
そこで、ティルの向こうに、きらりと光る何かを見る。
それが何なのか、と考えるよりも先に、身体が動いた。

「プロテス!」

咄嗟に、魔力を絞ることなく魔法を唱える。
制限されなかった魔力は、驚くほどの強度のシールドを生み出した。
物理攻撃の威力を半減させる程度のプロテスが、飛んできた武器を弾くほどの力を持っていたのだ。
ティルは、初めのコウの詠唱に反応し、即座に戦闘態勢を取る。
その場で振り向き、彼女を背に庇うようにして棍を構えた。

「チッ!その右手の紋章を頂く。覚悟!」

舌を打ち、サッと武器を構える姿がティルの背の向こうに見える。
先手必勝と床を蹴る彼。
しかし、思いの外素早い敵により、その攻撃は避けられた。

「スロウ」

次の魔法に備え、高めていた魔力を放出する。
小さく呟いた声が空気へと溶け込むのと同時に、敵の動きが目に見えて遅くなった。
繰り出される攻撃を避けようとしていた敵は、己の身体の状況に驚いたように目を見開く。
避けられた次の動きまで考えていたティルもまた、思わぬ状況に驚いた。
しかし、即座にコウの魔法によるものと悟り、気を引き締める。
深く鳩尾を打つ攻撃に、敵の身体が数メートル後方へと吹き飛んだ。
内臓をやられたのか、口布の中で咳き込む声が聞こえる。
距離を取った敵は、苦しげに鳩尾を押さえて二人を睨み付けた。

「ティル様!大丈夫ですか!?」

バンッとドアを吹き飛ばさんばかりの勢いでパーンが廊下に飛び出してきた。
コウは思わずそちらを振り向く。
敵はそこに一瞬の隙を見つける。
ティルも僅かながらそちらに意識を向けたが、彼女のように視線を向けたりはしなかった。
飛び道具を構えた敵は、目にも留まらぬ速さでそれを投げる。
ティルではなく、コウの方へと。

「ッ!!」

弾くのは間に合わない。
ティルが息を呑むのと同時に、肉を裂く鈍い音がその場に響いた。

08.10.23