水面にたゆたう波紋
025
翌朝、徐々に起きだしたメンバーが、各々の準備を整える。
「すみません」
彼らに向かって、そう声を上げる。
そんなコウを一同が振り向いた。
「少し、別行動をさせてくれませんか?」
「別行動?」
「アジト残っていた彼らと、合流できるならその方がいいですよね?この近辺の町を回ってみます」
コウの言葉に、ビクトールが「俺も行くか?」と反応した。
元々のメンバーとして、そうすべきだと思ったのだろう。
「いいえ、一人で大丈夫」
「二人の方が手っ取り早いだろ?」
「ティルを巻き込んだのは、ビクトール。あなたなんだから。責任を持って、セイカまでお供して」
この時点で、本来ならばティルたちは解放すべきだ。
リーダーを失った組織がどうなっていくのか…彼とて、わかっていないわけではないだろう。
オデッサの遺言を聞いてセイカに向かうのだから、ビクトールはそちらについていくべきだ。
巻き込んだ張本人である彼には、その義務がある。
ビクトールは少し悩んだ様子だったが、一理ありと頷いた。
「もう南に向かってる可能性もある。この近辺だけで十分だからな。それと…用心しろよ。
帝国の奴らは、アジトを潰したのを機に、一気に畳み掛けてくるかもしれねぇからな」
「大丈夫よ。私は…ビクトールたちほど顔は割れていないから」
この近辺の村や町は、そんなに多くない。
小さな町村も多く、そこまで酷く帝国の手は伸びていないだろう。
コウは自分の荷物を片付けながら、進路の予定を立てる。
「本当に一人で大丈夫ですか?何なら、皆で回っても…」
「ありがとう。でも、逆方向だから時間のロスになります。それに、馬を使うから、一人の方がいい」
「それなら…気をつけてくださいね」
本人の意思がそうならば、とグレミオもそれ以上は深く踏み込まないことにしたようだ。
女性の一人旅になるからだろうか。
クレオはあまりいい顔はしていなかったけれど、それでも何かを言うつもりはないらしい。
こうして反応が集まり、最後に残ったのはティル。
「…大丈夫?」
何が、とは聞かない。
けれど、それが紋章のことであると理解する。
コウは、今までの状況から考え、少なくとも半月ほどであれば問題はない。
だが、そのラインを超えると、徐々に体調面に影響が出てしまうようだ。
そうは言っても、越えてしまうと突然倒れるわけでもない。
今まで病弱な身体で生きてきたコウだからこそ、体調の変化には敏感だ。
それ故に、小さな変化も見逃さない。
致命傷を負って彼の元に辿り着けない、という状況でなければ、恐らくは大丈夫だろう。
安易な考えかもしれないけれど、彼女はそう考えていた。
「うん。大丈夫。切れる前に、会いに行くわ」
声を潜め、彼だけに届くようにとそう告げる。
まるで恋人同士の語らいのような内容に、コウは軽く頬を染めた。
日の向きの関係から上手く影が入り、顔色の変化には気付かれなかったようだが。
「わかった。気をつけてね」
最後の一人が頷いたところで、壁はなくなった。
コウは木に立てかけてあった弓を手に持ち、彼らを振り向く。
「では、皆さんもお気をつけて」
先に発つことにしたコウは、彼らを見送ることなく、寧ろ背中を見送られてそこを後にした。
野宿の後は、睡眠時間の短さからか、少し身体が重く感じる。
けれど、彼女からすると、この程度は至って健康体だ。
足早に足を進め、一つ目の町で馬を借りた。
馬の背から弓を射るほどの馬術はないにせよ、移動手段として使うには、十分な技術がある。
―――これをここまで教えてくれたのもオデッサだったな。
彼女がどんどんと過去になってきているような気がして、コウは溜め息を吐き出した。
こんな人だった、あんな人だった、あんなことを教えてもらった―――
そんな風に、過去形でしか語られなくなっていくのだろう。
いずれ、彼女の面影は心の中からも薄れてしまうのだろうか。
死を常に意識して、辛うじてという人生を生きてきた。
だからこそ、自分もいつかはこんな風に過去の人になってしまうのだと思うと、切なさがこみ上げる。
忘れたくないと思っていても、人の記憶には限界がある。
「…受け止めないと…いけないのね…」
彼女が居ないと言う事実。
そして、彼女を忘れていくのだということ。
受け止めなければ前に進めないのだとしても、もう少しだけは無駄な足掻きを続けたいと思ってしまった。
馬を走らせ、レナンカンプ周辺の村や町を回る。
それぞれの場所を拠点としている者は居ても、アジトで生活していた彼らの姿はどこにもなかった。
「フリックかい?いや…見てないね」
「ありがとうございます」
「あぁ、コウちゃん。レナンカンプのアジトがやられたって聞いたけど、オデッサ様は無事なのかい?」
それだけが心配でねぇ、と年齢に見合う皺を刻んだ目元を細める。
そんな道具屋の主人に、コウは息の塊を飲み込んだ。
「ええ、もちろん。では、フリックが来たら、南で合流しようと伝えていただけますか?」
ニコリと笑顔でやり過ごし、道具屋を後にする。
ここに来るまでに、何度こんなやり取りをしただろうか。
その度に、コウは笑顔の仮面を被る。
レナンカンプのアジトが襲撃されたと言う噂は、すでに各地に届きつつある。
オデッサの安否だけがその噂にはなく、どうなんだろうと不安を抱いている時に、コウがやってきたのだ。
彼女の身を案じる問いかけが出てもおかしくはない。
それは、彼女がそれだけ多くの人の心を掴んでいたということなのだろう。
「ここで…終わりね…」
地図を広げ、そっと息を吐き出す。
かなりの距離を移動したけれど、まだ夕暮れ前だ。
この分だと彼らに追いつけるかもしれないな、と考え、地図を懐にしまう。
馬には無理をさせることになるが…夕暮れまでに、馬屋の町まで辿り着けるよう頑張ってもらおう。
ごめんね、と栗毛の首を撫でてから、コウは馬を走らせた。
08.06.16