水面にたゆたう波紋
017
ホゥホゥと梟の鳴き声が聞こえる森の中。
少し開けた場所に、いくつかの人影があった。
地面に寝転がっていたり、木にもたれるようにしていたり。
動かないことと、その静けさから考えると、眠りについている事は明らかだ。
虫や鳥の鳴き声を聞きながら、コウは夜空を仰いでいた。
木々に邪魔されて、満天の星空とは行かない。
それでも、窓に区切られた夜空よりはずっと美しい。
ふと、コウは無言で身体を起こした。
少し離れた位置に、見張り役を買って出たグレミオの姿が見える。
火の番も兼ねているため、彼のすぐ傍で大きくも小さくもない火がユラユラと揺らめいている。
ぱちぱちと爆ぜる枯れ木の音がコウの元まで届いていた。
「――――…」
コウはそのまま暫く彼の姿を眺めていたけれど、やがてゆっくりと立ち上がった。
隣に眠っているオデッサを起こさないように気をつけつつ、明るい方へと近づいていく。
足音に気付いたのか、火を見つめていたグレミオがこちらを向いた。
「コウさん…。眠れないんですか?」
その問いかけに、コウは小さく頷く。
そして、彼から2人分ほど離れた場所に腰を下ろし、マントを抱きしめた。
「眠らないと明日が辛いですよ?」
「ええ、わかっています。…少しだけ」
そう言って、コウは揺らめく炎を見つめる。
そんな彼女を見ていたグレミオは、何かを言おうとし、しかし口を閉ざす。
それから、黙って向こうで眠っているティルのほうを向いた。
「少しだけ、話をしませんか?」
不意に、コウがそう声を上げた。
ティルのほうを見つめていた視線を戻し、火に照らされる彼女を見つめる。
喜んで、と返せば、彼女は小さく微笑んだ。
「………旅の野宿は慣れているんですか?」
先に話題を提供したのは、グレミオの方だった。
言葉を纏めかねているらしい彼女を気遣ったのだろう。
「…まさか。男の方と一緒に休む自体も、昔の私では考えられませんでした」
クスクスと笑い声を含ませながら、コウはそう答えた。
「ご両親は素晴らしい教育をされたのですね」
「…そう、ですね。一国の王として、私が己自身を王女としての誇れるように育ててくれました」
懐かしむように、そっと目を細めて星を見上げる。
グレミオはその目がどこか悲しげに揺れている事に気付かなかった。
「王女…なのですか?」
やや驚いたようなグレミオの表情に、コウはきょとんとした。
それから、あら?と心の中で首を傾げる。
「ティルから聞いていませんか?彼には話したのですが…」
そう答えると、彼の表情に影が差した。
自分の横に置いてあった枯れ枝を手に取り、火の中に放り込む。
「…坊ちゃんは何も話してくれませんよ。昔は…嬉しい事、悲しい事…何でも話してくれましたけれど」
これは、ティルが成長していく上で仕方のないことなのだろう。
いつまでも全てを打ち明けて生活していけるほど、世の中は清らかではない。
けれど、せめて…自分だけは、ずっとそうであってほしいと思っていた。
彼が離れていくような気がして、何とも言えない寂しさがこみ上げる。
「きっと…今は、距離を測っているんですよ」
「距離を測る?」
「男の子は、成長期に目標とする人を決めるそうです。一番多いのは父親だそうですけれど。
その背中を追って、その人に近づく為に一生懸命歩くのだと…父が言っていました」
そして、その目標は、いつかは越えなければならない壁でもある。
「それ以外の人との付き合い方は、その辺りを境に少しずつ変わるんだそうです。
今までは手放しに甘えていた人を、何かの師として見るようになったり…そんな変化ですね」
大きな目標となるのは一人だけれど、師と見るのは一人ではない。
そうして、様々な角度から多くの事を学び、成長していくのだ。
男の子に限った事ではないだろうけれど、女の子よりもそれが顕著なのだと話していた。
「思春期ですから。きっと、素直に甘えられなくなります。
けれど、ティルがあなたから離れていくことはありませんよ」
コウがそう言うと、グレミオは「そうでしょうか…」と呟いた。
まだ少し納得できない部分があるらしい。
そんな彼を見て、彼女はクスクスと笑いながら続きを話した。
「彼との会話の中であなたの名前が出てくる回数を考えれば、分かります。ティルはあなたの事が大好きですよ」
これだけは迷いなく伝えられる。
純粋で真っ直ぐなその言葉に、グレミオは自然と口元が緩んでいる事に気づいた。
「(…坊ちゃん…。坊ちゃんがコウさんと一緒に過ごす理由…何となく、わかりました)」
彼女との会話は、あたたかいのだ。
心が安らぎ、自然と穏やかな凪が訪れてくる。
何が彼女をそうさせているのかは分からないけれど、彼女はかなり慎重に言葉を選んでいる。
誰かを傷つけてしまわないように、細心の注意を払っているように思えた。
だからこそ、彼女の言葉は優しい。
「コウさんは、どうして反…解放軍に参加しているのですか?」
彼女の人となりに触れたからこそ、それを知りたかった。
グレミオの質問に、コウは彼から視線を逸らす。
じっと火を見つめ、言葉を決めたのか、唇を動かし始めた。
「私には、この戦争は関係ありません。帝国、解放軍…どちらも、私には無縁です。
きっかけは、解放軍の一人…フリックが、行き場のない私を保護してくれたからです」
あの時の事を思い出し、コウは目を細める。
そう、あの時フリックと出会わなければ、自分はどうなっていたのだろうか。
あの時すぐにモンスターに殺されたかもしれないし、ギリギリで魔法を使えたかも知れない。
確定された未来などそこにはなく、想像だけが一人で歩き出す。
「解放軍と共に戦おうと思ったのは…。町で出会った人々が、オデッサに希望を見ているからです。
彼女は間違った道を進んでいないのだと、そう思いました」
「希望を…。それは、確かにそうなのかもしれませんね」
自分の信じるものに対して希望を見るのは、決しておかしい話ではない。
況してや、帝国軍であった自分たちですら疑問を感じてしまう現状。
帝国に対して不信と不満を募らせている民衆は、解放軍に僅かな期待を寄せている者も居る。
彼らからすれば、今は小さい解放軍とて立派な救世主なのだろう。
「私は善悪を決めて行動するつもりはありません。
ただ、彼女の為に…目には見えないけれど、確かなものを背負うオデッサの為に戦いたい」
世界の為、人々の為。
そんな自己犠牲の精神は、残念ながら持ち合わせていない。
所詮は手の届く範囲しか守れないのだから、多くは望まないと決めている。
だから…コウの思いは、唯一つ。
―――大きく、そして重いものを背負う彼女を助け、彼女の為に戦う。
ソウルイーターの傍にいなければ生きていけないと言う事実から、ほんの少しだけ目を逸らした。
08.04.09