水面にたゆたう波紋

016

狙いを定め、矢を放つ。
真っ直ぐに飛んでいったそれはいとも簡単に避けられ、地面へと突き刺さる。
同時に、ティルがぐんと加速し、コウのすぐ前まで迫った。
足元を薙ぐように棍を振るう彼から逃げるように、後方へと飛ぶ。
そして、ぐっと握った左手を一気に開く。
そこの空気が動くのにあわせ、掌に炎の塊が生まれた。
追撃するように彼女を追って来ていたティルは、その炎を見ても怯まない。
逆に彼が加速したことに気づくと、コウは即座にそれを放つ。
先ほどの矢同様に避けられ、次の瞬間には首筋に冷たい感触があった。
ぴたりとそこに添えられているのは、ティルの手に握られた棍だ。
ハァハァと肩で息をしながら、コウが脱力する。
膝から崩れるようにして座り込んだ彼女。
そんな彼女に、ティルはにこりと微笑んで手を差し出した。

「僕の勝ちだね」
「…勝てる気がしないわ」

差し出された手を取り、立ち上がる。
膝が笑っているのは気のせいではないだろう。
自分よりも遥かに動いているはずの彼は、全く疲労した様子はない。

「コウの矢は避け易いよ。放つ時に、一瞬だけ迷いが生じるからね」
「……」
「紋章も同じだ。傷つける事を怖がっていたら、自分が傷つくよ」
「…そうね。分かっている…つもりなんだけど…」

最早、これは身体が勝手に動いてしまうものなのだろう。
疲労の濃い彼女に手を貸しつつ、そこにあった手ごろな岩へと近づく。
そこに彼女を座らせると、自分はその前に膝をついた。

「体力はこれから自然と身についてくる。だけど、覚悟だけは自分で決めないと」
「…ええ」

それが出来れば苦労はしないのだろう。
漸く息が整ってきたらしいコウを見つめ、ティルは心中で苦笑した。
彼女の気持ちはとてもよく分かる。
自分も、随分と前に同じ壁にぶち当たったのだ。
あの時背中を押してくれたのは、軍人として名高い父の言葉。

「僕は、自分の信じたもののために戦ってる。仲間だったり、自分の心だったり…そう言うものを、守るために」
「守るために…」
「君が出来ないなら、僕が代わりに戦うよ。だから、コウは僕達の傷を癒してくれればいい」

彼は優しかった。
自分を無理に戦いに引きずり込もうとはせず、それから遠ざけようとしてくれる。
傷つけるのではなく、その傷を癒す役目を渡してくれる。
彼の言葉に甘えるのは簡単だった。
けれど―――

「大丈夫。今は無理でも…ちゃんと、覚悟を決めるわ」

誰かの後ろに隠れていて過ごせる世界を生きていない。
これから、帝国と解放軍の戦いはより激しさを増していくだろう。
そんな時、自分がその弱点となるわけには行かないのだ。
人に守ってもらっていて生きていられる時代はもう終わった。
これからは、自分の身は自分で守らないと。

「…そっか」

心の片隅で、残念に思う自分が居る。
彼女が武器を手放してくれたらどんなにいいだろう。
戦を知らない彼女を、それに巻き込みたくはなかった。
けれど、自分自身、彼女が頷かない事は分かっていたようだ。
残念だとは思うけれど、それもまた彼女と言う事なのだろう。

「じゃあ、現実的な話をしようか」

にっこりと笑った彼に、コウはきょとんと目を瞬かせた。
そして、彼は彼女の手にある弓を借りる。

「少し重いね。その所為で、的が少しずれるんじゃないかな」
「そう…なの?」
「いい武器は自分の手に馴染む。僕には軽いくらいだけど…君の腕力を考えると、ちょっと重いと思うよ。
それから…弓は絞る時にずれ易いから、クロスボウのようなものの方がいいかもしれないね」

弓の弦や矢を指先でなぞりながら、彼はぶつぶつと呟いた。
後半部分はコウに向けたものと言うよりは、自分の中での考えだったのだろう。
彼の考えが纏まるまでの間、コウはその様子を眺めていた。
ふと、彼の脇に置かれたままになっている棍が目に入る。
彼が使っている武器―――少しだけ、興味を惹かれた。
もう一度視線を戻してみると、集中しているらしい彼。
コウは手を伸ばしてその棍を持ち上げた。

「…重い…」

長さの所為だろうか。
細身だからそこまで重くはないだろうと思っていたが、予想以上に力を使う。
ティルが簡単に扱っている所為で、もっと軽いものだと思っていた。

「それはまだ軽い方だよ。父さんから言わせれば、僕の腕力も大した事なくて…随分探してくれたみたい」

棍を握っているコウを見て、彼はそう言った。
どうしても思うように扱えない息子を見かねて、父親であるテオが色々と当たってくれた。
その結果、とある武器商人から購入できたのが、この棍と言うことだ。
世界に二つとない特注品だと聞いている。

「僕は父さんのように剣を使いたいとは思わなかった。ずっと、これと一緒に戦ってきたんだ」

剣のように派手な致命傷を与える事はない。
けれど、使う者によっては十分な威力を発揮する。
これでどれだけのモンスターを倒しただろうか。





「二人ともー。夕食の準備が出来ましたよ」

少し離れた所でその準備をしていたグレミオが二人を呼んだ。
携帯食しか持ち合わせていなかったはずなのに、即席のスープを作り上げてしまうその技術には感服だ。
大人組みは既に火を囲んで腰を下ろしている。

「…行こうか」

弓をコウに返し、代わりに棍を受け取りながらそう言った。
彼女が隣に並んだところで歩き出し、思い出したように口を開く。

「今度鍛冶屋があったら相談するといいよ。腕のいい武器商人に巡りあえたら、自分だけの武器が持てるから」
「そうするわ」

そう答えたところで、ふと彼の腕に一筋の傷がある事に気付く。
彼への攻撃は全て避けられていたと思っていたのだが、その内の一つが掠めていたようだ。
コウは彼の腕に自身の掌を翳す。
そして、心の中でケアルを唱えた。

「!」

紋章とは少し違う、柔らかい魔力の波動。
ピリピリと小さな痛みを伝えていた傷が癒えた事に気付くと、ティルは驚いたように彼女を見た。
紋章を唱えていた様子はない。
これが、彼女が前に話してくれた「魔法」だろうか。

「魔法に制限はないの?」
「紋章のように回数の制限はないわ。魔力が底を尽いたらそこで終了だけど」
「ふぅん…君の世界ではこれが普通だったって言ってたけど…僕たちには使えないのかな?」
「魔法と紋章は、使う魔力の質が違うみたい。恐らく、この世界の人たちは紋章の魔力しか持っていないから…」

多分無理なのだろう。
紋章の得意な人ならば分からないけれど―――そう考えた所で、ルックを思い出した。
もしかすると、魔力の仕組みさえ覚えれば、彼ならば使えるかもしれない。
コウは自分の中に流れる魔力の存在を意識して、きゅっと掌を握り締める。

08.04.01