水面にたゆたう波紋
012
いつの間にか外は静まっていた。
おそらく、ビクトールあたりが二人を止めてくれたのだろう。
「―――私の話は、これで終わり」
口を挟むこともなく話を聞いてくれていたティル。
コウは、そう言って話の最後を締めくくった。
数秒の沈黙が二人の間を支配する。
「今は…」
「?」
「今は、体調はどうなの?」
唐突…ではなかったのかもしれないが、やや場違いだったのだろう。
何かしらの感想的な言葉があるものと思っていた彼女は、数回目を瞬かせた。
それから、思い出したようにはっと我に返る。
「えっと…うん。大丈夫。見ての通り、紋章も凄く存在感を露にしているし…」
「そっか。……間に合ってよかった」
柔らかく微笑んでそう言った彼の言葉に、コウは図らずも頬を薄い朱色に染める。
とても偽りとは思えない表情と声で「よかった」なんて。
そんな風に言われたら、免疫のない彼女がそうなってしまうのも無理はなかった。
「…そろそろ皆の所に戻らないといけないわね」
話を逸らすようにそう言って椅子から立とうとする。
しかし、ぐっと腕を引かれてその場所から動けなくなった。
「まだ時間はあるだろ?僕も…話しておく必要があると思うから」
「でも…」
「君の話だけを聞いて、自分の話さないわけにはいかないよ」
聞いてくれるなら、だけど。
そう言って苦笑いに似た笑みを浮かべた彼に、コウは軽く浮かせた腰を椅子の上に戻す。
話を聞く意思があると言う姿勢だ。
「…この世界に来てそう長くないコウは知らないと思うけど…昔は、こんな国じゃなかったんだ」
一呼吸を置いて、ややトーンを落とした声でそう話し始める。
その表情はとても晴れやかとは言えず、彼自身の苦悩が見て取れるようだった。
「父さんから数え切れないほど何度も話を聞いた。
いずれは、僕もこの国のために働くんだって、それを誇りに思ってた」
ほんのひと月前までは、確かにそう思っていた。
けれど、実際に目にした光景は、自分の信じていたものとは大きく異なっていたのだ。
自分の知っていた世界など、本当に小さな範囲でしかなかった。
「自分の生まれた町に帰ることも、親友を助け出すことも出来ない…」
ティルはそう言って机の上で拳を握り締める。
手の甲に映る紋章に、彼は眉を顰めた。
「親友が…テッドが、ずっとこの紋章を守ってきたんだ。帝国には渡せないって、僕が受け取った」
「…テッドさんは…」
「僕たちを逃がすために帝国に連れて行かれたよ。後のことは…わからないんだ」
そう言って目を伏せる彼に、コウはかける言葉を見失っていた。
励ましも慰めも、浮かぶ言葉はあっても、そのどれもが彼の望むものではないような気がしたのだ。
「…ティル」
コウの言葉に、彼はゆっくりと目を開いた。
そして拳へと落としていた視線を持ち上げていくと、真っ直ぐにこちらを見ている彼女と視線が絡む。
「何て言ってあげたらいいのか…分からない。けれど、これだけは言える。―――テッドさんは生きているわ」
迷いなくそう言った彼女に、気休めはやめてくれ、と言おうとした。
しかし、彼女を見て、その言葉は発せられない。
「…分かるの?」
「ええ、感じる。名残程度の小さな気配だけれど…帝都の方に、ソウルイーターの気配があるの」
「――――…ありがとう」
お礼を言う所じゃないのかもしれないけれど、彼女の言葉は確実に自分を救ってくれた。
何となく気まずい空気を醸し出している室内。
ここに入っていかなければいけないと思うと、少しばかり気が滅入る思いだ。
はぁ、と溜め息をついたのは、ほぼ同時だったと思う。
お互いのそれが聞こえたのか、二人は顔を見合わせて苦笑した。
「なんて説明すればいいのかしら?」
「そうだね…。ここは、秘密、とでも答えておこうか」
「…そうね。それが一番かもしれないわ」
深く追求されなくて、と笑うコウ。
そんな彼女に向けて、ティルも小さく微笑んだ。
開けるよ、と言う彼女に頷き返し、ぎぃ、と悲鳴を上げて開いていく扉を見つめる。
7人分の視線が一気に二人に向けられた。
「…話は終わったの?」
「はい」
「そう。それなら、今度はこちらの話し合いに参加してもらってもいいかしら」
少しだけ先に進めてしまったんだけど、とオデッサが告げる。
コウはそれに対してしっかりと頷き、ティルに目配せしてから彼女の元へと歩いた。
オデッサ、ビクトール、それから…フリック。
三人が並んで座っている所へと歩き、既に低位置となっているフリックの隣に腰を下ろす。
自然と視線が絡んだけれど、フイッと逸らされてしまった。
そんな様子を見て、オデッサがクスクスと笑う。
「拗ねているのよ。まだ妹離れができていないの」
「オデッサ!」
止めるように声を上げたフリックに、コウは思わずクスリと笑ってしまった。
そしてさり気無く視線を動かすと、向こう側では逆とも取れるような状況になっているではないか。
グレミオによりガクガクと揺さ振られるティル。
何とか止めようとはしているようだが、興奮気味の彼の前では無力に等しい。
仲間も何度か声をかけているが、状況は変わっていなかった。
説明しようにも、揺さ振られていてはどうにもできない。
耐えかねたティルの拳が勢い良くグレミオの腹に決まった。
「…ぐ…」
腹を抱えてその場に座り込む彼を前に、ティルは乱れた襟元を正す。
自業自得だ、と言わんばかりの視線を見て、仲間の二人が溜め息を吐いているのが見えた。
どうやら、日常的に繰り返されている行動のようだ。
微笑ましいな、と思いつつ見ていると、不意に横から視線を感じた。
そちらを見てみれば、オデッサが穏やかな表情でこちらを向いている。
「オデッサ?」
「顔色が良くなったわね」
「え…悪かった?」
「ええ、とーっても。倒れるんじゃないかってくらいに白い顔だったのよ、あなた」
彼女にそう言われ、初めてその事実に気づく。
白いな、とは思ったけれど、今までは青白いと言うレベルで生活していた所為で普通だと思っていた。
自分では気づかないものだな、と苦笑する。
「まぁ、元気になったならそれでいいわ。じゃあ、本題に入るわね」
そう呟いてから、オデッサは一旦口を噤んだ。
そして、その前に、と彼らの方を見る。
「寝床は提供するわ。色々とあって疲れたでしょうから…休んだ方がいいんじゃないかしら」
「……わかりました。ありがとうございます」
「じゃあ、俺が案内してやるよ」
そう言ってビクトールが立ち上がり、付いて来いと顎でドアへと促す。
彼に続いて一行が出て行くと、その場は一気に静まった。
「彼らには聞かせたくない話ですか?」
「そう言うわけじゃないけれど…聞かせてしまうと、どうしても道が限られてしまうかもしれないから」
聞いてしまったと言う事実は変えられなくなってしまう。
先ほどの提案は、彼らが聞かずに済むようにとの彼女の心遣いだったのだ。
ごねる事もなくそれを受け入れたティルもまた、その思いに気づいたのだろう。
彼は年の割にしっかりした人格の持ち主のようだ。
ビクトールが気に入ったのも、無理はないのかもしれない。
「どうしても手に入れたいものがあるの」
真剣な表情でそう言ったオデッサ。
「けれど、私は別件で動く事ができない。だからフリックに頼もうと思っているわ」
「…それで?」
「あなたも一緒に行ってくれないかしら。経験を積むいい機会だと思うし…世界を知らなければならないでしょう?」
本当ならば彼一人の方が早いだろう。
けれど、コウをアジトに縛り付けていては、彼女はいつまでも世界を知る事が出来ない。
狭い世界だけを見て、自分達のこの戦いについてくるのは難しい。
共に進もうと思えば、同じ物を見られるようにならなければならない。
コウはフリックを見て、彼が頷くとオデッサへと視線を戻した。
「…行くわ」
「ありがとう。ドワーフ鉱山まで行くから、少し時間が掛かるわ。準備が出来たら出発して」
詳細を纏めたそれをフリックへと手渡し、オデッサは「よろしく」と言う。
二人は力強く頷いた。
08.03.10