水面にたゆたう波紋

008

数時間ぶりの再会を果たしたコウと解放軍一行。
心配したんだから、と言ってくれたオデッサやフリック。
コウは、そんな彼らにレックナートから聞いた自分の身体のことを話せずにいた。
いや…話せないのではない。
確かな意思をもって話さないのだ。

「フリックの焦り方と言ったらなかったわよ。まるで、空が降って来たみたいな感じだったわ」

コウが連れて行かれた、そう駆け込んできた時の彼は、本当にそんな感じだった。
思い出しながらクスクスと笑うオデッサに、フリックは少しばかり頬を染めてそっぽを向く。

「まぁ、コウに何もなくてよかったわ」

彼女はそう言ってコウの頭を撫でた。
この世界にやってきてからと言うもの、よく頭を撫でられる。
年齢的なものも関係しているのだろうが…撫でたいと思わせる体質なのだろうか。
コウは、思わずそんなことまで考えてしまう。

「コウにはまだ話していなかったわね。明日から、ビクトールがグレッグミンスターに行くわ」
「グレッグミンスター…。帝国の動向を視察しに行くんですね」
「ええ、その通り。そこで、彼が居ない間にアジトを移す事になったの」

そう言うと、オデッサは地図を開いた。
机の上に載せられたのは、四方が1メートルほどはあろうかと言う大きな世界地図。
と言っても、そこに書かれているのはこの地方だけだが。

「ここよ」
「…レナンカンプ?」
「そう。ここに解放軍のアジトがあるの。コウにも紹介しておくわ」
「……この程度の距離なら、移動は3時間くらい?」

じっと地図を見下ろしていたコウがそう言うと、まさか、と言った表情で首を振るオデッサ。
そんな彼女に、コウは首を傾げた。

「とてもではないけれど、そんな短時間ではいけないわ。3日くらいはかかるもの」
「あ、そうか…こっちには、飛竜なんていないんですね」

移動が徒歩になるならば、それくらいは優に掛かってしまうのだろう。
移動と言えば飛竜が常識になっていたコウにとっては、徒歩で、と言う感覚が欠けている。
彼女の言葉に今度はオデッサが首を傾げる番だった。

「飛竜と言うのは?」
「竜ですよ。幼い頃から城で育て、人を乗せることに慣れた竜です」

懐かしむように目を細めるコウ。
レイディールはどうしているのだろうか。
きっと…自分の願い通りに、妹達を守ってくれているのだろう。

「どうしたの?懐かしそうで、とても悲しそうだわ」
「…私には、ずっと…生まれた時から一緒だった飛竜がいるんです」

兄弟のように育ってきた飛竜との別れは、本当に辛いものだった。
オデッサはコウの心境を悟り、まるで自分の事のように表情を翳らせる。
そんな彼女に気付き、コウは苦笑いにも似た笑みを浮かべた。

「飛竜はとても早いから…つい、徒歩の移動に掛かる時間を忘れてしまうんです。えっと…3日、でしたよね」
「ええ。そんなにも長く移動するのは初めてでしょう?しっかり準備していきましょうね」

話題を変えようとしていることには気付いたけれど、あえて彼女の話題に乗るようにする。
おくすりやら毒消しやらと言った、必要最低限のものを挙げていくコウ。
そんな彼女に助言をしていたオデッサが、ふと思い出したように口を開いた。

「そう言えば、この世界にも竜がいるわ。竜騎士と言って、竜に乗る人も」
「そうなんですか?」
「正式な手続きをすれば、竜に乗せて貰えるはずよ。いつか、コウも乗ってみるといいわ」

その子と同じではないでしょうけれど、と呟くオデッサに、コウは小さく頷いた。
そうして時間を過ごしていると、突然のノックの後に扉が開かれる。

「オデッサ、コウ。そろそろ出発した方がいいぜ」

顔を出したのは、すっかり旅支度を整えた…と言っても、殆ど変わりないフリックだ。
彼の言葉に、二人は同時に席を立った。
そして、先ほどまでメモしていたそれを手に、準備を始める。
動き出した彼女らを見ていたフリックだが、まだすべきことが残っているのか早々に部屋を立ち去った。














バシュッと弦が鳴り、空を切って矢が飛ぶ。
真っ直ぐに突き進んだそれが、正面に居たモンスターに深い傷を負わせた。
人が変わったかのように、コウは無心のまま矢を引き続ける。
そんな彼女に、オデッサはその身を案じるように表情を歪めていた。

「コウ…無理はしなくてもいいのよ。あなたはまだ慣れていないんだから…」
「…大丈夫、です」

人の命を奪う事は罪とされるのに、何故モンスターの命を奪う事を咎められないのか。
過剰すぎるほどに生と死に反応するコウにとって、戦闘はとても苦しいものだった。
やらなければやられる。
分かっているのだが、知識と理解とは必ずしも一つに結ばれているものではない。
ここ数日でフリックに教えてもらった弓は、実に彼女によく合っていた。
矢を番える速度も、打ち込む角度の正確さも―――直接的な剣や斧よりも遥かに上手い。
既に、最低ラインを教えるだけだったフリックの手を離れている。
彼自身の得意とするのは剣術なのだから、それも無理はない。
本当ならば、彼に合わせるべきだったのかもしれないけれど…コウには、剣を持つ勇気はなかった。

「…コウ」
「何?」
「魔法を頼む。そっちの奴は、直接攻撃よりも魔法の方に弱いんだ」

フリックの言葉に、コウは矢を番えようとしていた手を止める。
そして右手を額の辺りへと持ち上げ、意識を集中させた。

「ファイラ」

音を立てて燃え盛る焔に巻かれるモンスター。
魔法はいい。
殺した感触が手の中に残らない。
けれど…残らない故に、感覚が麻痺してしまいそうだ。
自分が今しがた奪ったのは、他のものの命なのだと。
その感覚が薄れてしまう事が、怖いと思う。
グッと表情を歪めつつ、コウは新たな魔法を使うべく意識を集中させる。
一瞬、血など一滴も被っていないはずなのに、この手が赤く染まっている光景が浮かんだ。
魔法と言うのはある種の集中力を要する。
詠唱を始めたが最後、発動し終えるまでその集中を途切れさせてはならない。
もしそれを途切れさせると、魔力の暴発に繋がってしまうからだ。
分かっていた筈なのに、一瞬の光景が集中力をプツリと途絶えさせた。

「っ!」

掌に集めていた魔力が乱れる。
それらが余波となり、コウの周囲に無秩序な風を生み出した。

「コウ!?…っきゃあっ!」

コウを取り巻く風に吹き飛ばされたオデッサ。
即座にそれに気づいたフリックが彼女を支え、特に怪我などは無かったようだ。
彼女を支えつつ、フリックが慌てたようにコウの名を呼んだ。

「コウ!魔力を集中させろ!」

襲い来る風に吹き飛ばされないよう体勢をやや低くし、彼はそう声を上げる。
その声にハッと我に返ったコウは、掌で暴れるそれにもう片方の手を翳した。
同等の力をぶつけることにより、それを拡散させようとしたのである。
パァン、と言う派手な音が響き、その場の風が止んだ。
暴走した所為で必要以上に魔力を消費したコウは、息を荒くする。

「コウ!!」

支えてくれていたフリックの元を離れ、オデッサがコウへと駆け寄ってくる。
バッと彼女の手を取ると、そこは無数の傷により真っ赤に染まっていた。

「何て事を…フリック!おくすりを取って!」
「オデッサ…怪我はない?」
「私は大丈夫よ!それより、あなた自分の事を…」
「…怪我がなくて、良かった」

それだけを言うと、彼女はその場にへたり込むようにして座り込んだ。
体力の消耗が激しいのだろう。
肩で息をしていると、ドクン、と一際大きく心臓が動くのを感じた。
義務的な何かを感じて左手を見下ろすと、紋章が僅かに光を帯びている。
やがてそれが失われると、前に見た時よりも更に薄まった。
その代わり、倦怠感が軽減したのを感じ、彼女は目を細める。

「…早く見つけないと…」

命に関わるものでなくとも、この紋章は自分を守ろうとしてくれるようだ。
そして、その力には、紋章に宿されたそれが使われる。
つまり、身体に負担をかければかけるほど、底を尽くのが早くなってしまう。
呟いた声は、心配して駆け寄ってきていた二人には聞こえなかった。

「大丈夫です。オデッサ、フリック。先は長いんですし…行きましょう」

手を差し出してくれたオデッサの厚意をありがたく受け、それを借りて立ち上がる。
膝が笑う感覚もなく、あっさりと立ち上がることが出来た。
まだ自分を案じている彼らを安心させるように微笑み、歩き出すコウ。
強がりかもしれないと分かっていたけれど、オデッサとフリックも彼女に続いた。
自分達の進んでいる道は、この程度の事で立ち止まっていられるほどに容易なものではないのだから。

08.02.24