Secret doll
Will o' Wisp 09

ウィルがプリーストリーの屋敷に向かってから、家の中は微妙な空気に包まれていた。
監視されるようにソファーに座る事を余儀なくされているイグニスは、苛立ちを隠そうともしない。
彼自身、コウが解放される事に思うところがあるのだろう。
誰もが言葉を発する事を躊躇う時間の中、ふとハンナが顔を上げた。

「今、何か…?」

きょろ、と周囲を見回す彼女に、彼らが顔を見合わせる。
競うように沈黙を保っていたのだ。
誰かが彼女に声をかけたと言う事はないし、もし誰かが話したとすれば必ず聞こえる距離にいる。
疑問の眼差しを受けながら部屋の中を見回したハンナの視界に、青い光が映った。
彼女は驚いたように視線を戻す。
そこには、あの日以来見る事のなくなった光―――精霊がいた。
何かを訴えかけるように強く弱く光るそれ。
ハンナは導かれるように精霊に近付いていく。

「―――…10…いいえ、20年、前?」

ハンナの力が弱いからなのだろう。
精霊の声は、途切れ途切れにしか聞き取れない。

「…ロンドン…?ごめんなさい、よく聞こえないの」

何かを訴えようとしているのだと言う事はわかる。
ハンナもまた、必死にそれを聞こうと努力した。
繰り返される言葉のパーツを拾い上げていく。

「ロンドン…生まれた…?…20年前にロンドンで生まれた…何のこと?」

光が答えようとしているのはわかるのだが、声が聞こえない。
ハンナは堪らず彼らに助けを求めた。

「声が聞こえないの。皆は?」

いつの間にか近くにいた彼ら。
そんな彼らを振り向いて問いかけるが、返ってくるのは否定のそればかりだ。

「残念だけど、僕には聞こえない。見る事もできないみたいだ」
「どうやら、私もルディと同じのようだ」
「俺も聞こえないな。そこに精霊がいるのか?」

ルディ、ジル、ジャックには、その姿すら見えていないようだ。
そう、と肩を落としたハンナは、イグニスとエミリーを見た。

「申し訳ありません。私にはお力になれないようです」
「私も同じだ」

この場で精霊を見る事ができているのはハンナだけ。
自分が頑張るしかないのか、と思ったその時だった。

―――………。

「え…?」

最後のパーツが、聞こえた。
ハンナが驚きを隠せない様子で精霊を振り向く。
しかし、そこにはもう何もいなかった。
いや、いないのか、見えないのか―――ハンナの目に、精霊の姿は映らない。

「ハンナ?精霊は何と?」

ジルが優しく問いかけてくれる。
ハンナは穴が開きそうなほど精霊のいた場所を見つめ、口を開いた。

「―――“シャムロック”」
「…何だと?」
「…精霊が、シャムロックって…」

驚きが彼らへと広がる。

「…他には何を!?」
「わからない!もう聞こえないし、姿も見えない!」

イグニスがハンナの両肩を掴んで声を上げる。
彼女は頭を振ってそう答えた。

「…昔読んだ書物の中に書いてあったが…人間の魂は死後、永い時を経て生まれ変わる、と」

言葉を選びながら呟いたジャックの言葉。

「稀に、ある筈のない記憶を所持して生まれる人間がいるらしい。尤も、転生説を立証した者はいないが…」

その先をあえて語る必要はなかった。
つまり、と呟くハンナ。

「20年前に、シャムロックがロンドンに生まれている…って事…?」
「正確には、シャムロックの魂を持った人間が、と言うべきだろうね」

では、何故精霊が必死にその事を伝えようとしたのか…ハンナは、ハッと気付く。

「コウさんに教えてあげないと…!」
「…今の時間ならば、表通りで馬車を拾う事が出来るだろう」

時計を見上げたジルがそう言うと、ルディがハンナの手を掴んだ。

「行くんだろ?」
「うん!エミリー、私…!」
「いってらっしゃいませ。皆さんの分の紅茶を用意してお帰りをお待ちしています」
「行って来ます!」

そうして、彼らは慌しくエリントン家を後にした。















「20年前に、生まれているんです!」

ハンナの言葉に、はぁ?と間の抜けた声を零したのはコウではない。
後ろに立つウィルが、呆れたような表情を浮かべている。

「もうちょっとわかるように話せ」
「だから…生まれてるの!ロンドンに、20年前に!」
「何が生まれたんだ?」
「シャムロックの魂を持った人が!」

ウィルを振り向いてそう叫んだハンナは、コウへと顔を戻した。
彼女の表情が時を止めたように驚きを露にしている。

「精霊が教えてくれました。20年前に…シャムロックがロンドンに生まれていると」
「…転生…。………確かに、彼ほどの力を持った人ならば…ありえない事ではありません」
「コウさん。精霊に還ってしまっていいんですか?また…会えるかもしれないんです」

コウの眼が揺れる。

「………彼が、今この場にいてくれたらと…考えた事があるわ。
精霊人形として過ごす数百年の間に、私は少しずつ力を失ってきた。だから、今ならば…」

コウの言葉の意味を理解できたのは、ウィルだけだっただろう。
彼だけが、かつての彼女がこの道を選ばなければならなかった理由を知っているから。
力が衰えたと言う事は、自然のバランスに与える影響が小さくなったと言う事。

「コウさん、今度こそ…幸せになれませんか?」

ハンナが震える声でそう問いかける。
コウはゆっくりと彼女を見て、そして微笑んだ。
その微笑みを捉えた瞬間―――視界が大きく変化した。

「え?」

ぱちくり、と目を瞬きするハンナ。
目の前には、同じく驚いた顔をしたエミリーの姿があった。

「ハンナ、様?」
「え、ここ…家?」

エミリーは戸惑うハンナに、はい、と答える。

「コウが飛ばしたらしいな」
「ウィル!それに皆も…」

自分のことで精一杯で、彼が声をかけてくれるまでその存在に気が付かなかった。
振り向いた先にはあの場にいたコウ以外が揃っている。

「コウさんはどうなったの…?」
「わからない。だが、今から彼女を訪ねるべきではないだろう」
「あぁ。何かしら、思うところがあって俺たちを家に戻したんだろうからな」

ウィルはそう言うとリビングを出て行った。
それを追うようにイグニスも動き出し、他のメンバーもそれぞれに動き出す。
ハンナは納得できていない様子でその場に佇んだ。
そんな彼女を見て、ジルが苦笑を浮かべる。

「僕にとっては大きな決断だったよ。きっと、コウにとってもそうだろうね。
だからこそ…一人で考える時間がほしいんじゃないかな」
「…ルディもジルも…心配なのね?」

その顔を見ていればわかる。
意識の一部がここにないような、そんな様子だ。

「…皆も、同じような想いを抱えているだろう。私も…彼女には色々と世話になっている」
「そう、なの?」
「そうだよ。なんて言っても、彼女は始まりの人だからね」

彼らの言葉を聞いて、ハンナは自分の心が落ち着いてくるのを感じていた。
自分よりも付き合いの長い彼らが、心配しながらも彼女を待つと言うならば。
ハンナがすべきことも、決まっている。

「エミリー。紅茶を入れてくれる?」

エミリーは、はい、と微笑んだ。

10.01.29