Secret doll
Will o' Wisp 10
カラン、コロン。
ドアベルが鳴る度に、馬鹿みたいに大きな反応を繰り返す。
時間が許す限りお店で過ごすようにして、ハンナはただ待ち続けた。
目当ての来訪を告げたのは、三日後―――5度目のベルの音だった。
「こんにちは」
「コウさん!」
カウンターに伏せてしまいそうな様子だったハンナは、コウの来訪にパッと顔を上げた。
花開くような笑顔に、くすくすと笑う。
「来てくれたって事は…?」
その先の答えを求めるハンナに、コウはコツ、とヒールを鳴らして近付いた。
そして、洗練された動作で彼女の顎を取り、その額に口付ける。
まるで、母が子に送るように優しく、そしてあたたかい口付けだ。
初めて彼らの熱を感じた時と同じ感動がハンナの中に込み上げてくる。
良かった―――本当に、心からそう思う。
報われないまま精霊に還ってしまうなんて、悲しすぎるから。
「…もう、会えないのかと…」
「本当は精霊に還ろうと思ったのだけれど…奥様が、私が必要だと言ってくれたから」
シャムロックが転生していたとしても、それだけではコウが人間になる理由としては足りなかった。
あと一つでも切欠があれば―――そう思いながらも精霊に還ろうとしたコウ。
そんな彼女を止めたのは、他でもないプリーストリー家の当主だった。
自分の代で終わる事になろうとも、この家を守りたい。だからこそ、その手助けをしてほしい、と。
彼女の言葉は、コウが望んでいたあと一つの切欠には十分だった。
「あの…ウィルから聞きました。
コウさんは力が大きかったから、自分が欠けた時のバランスを考えて人間になれなかったと」
彼女がその説明を求めているのだと知り、コウは頷いた。
「精霊人形として力を制限して生きてきた数百年の間に、私の力は少しずつ失われたの。
自然は緩やかな変化を受け入れることが出来た」
たとえコウと言う精霊が消えたとしても、その穴を補うことが出来るようになったのだ。
それは今だからこそ、出来た事。
「それで、シャムロックは…?」
「さぁ…どこに生まれたのかもわからないわ。けれど…いつか、会えたらいいと…そう思っているの」
そう微笑んだ彼女はやはり美しかった。
今までのような悲しみを滲ませた笑顔ではない。
純粋に、見惚れるような笑顔を浮かべた彼女を見て、ハンナは再び良かったと呟いた。
「所で、エミリーはどこにいるのかしら。良ければ会いたいのだけれど」
「エミリー、ですか?彼女なら奥に…」
首を傾げながらも呼んできますね、と言い残し、ハンナが奥に引っ込む。
彼女と入れ替わるようにしてイグニスが店に出てきた。
彼はコウに近付き、そっとその頬に触れる。
「…お前も、選んだのだな」
「えぇ」
「もし再び会えたなら…今度は受け入れるのか?」
「さぁ…記憶を持って生まれているかどうかはわからないわ。なるようになる、と言うべきかしらね」
そう答えた彼女は、今までのように何かに囚われている様子はなかった。
在るがままに身を任せると言う彼女の目に迷いはない。
彼女もまた、イグニスと同じよう自らの役目から解放されたのだろう。
「後でウィルたちにも顔を合わせてやってくれ。お前を心配していた」
「そうね。そうするわ」
そう話が一段落したところで、エミリーを連れたハンナが戻ってきた。
「コウさん…。良かったですね、ハンナ様」
「うん!あ、コウさんはエミリーに話があるのよね?私、少し奥に入っているから」
お店をよろしくね、とハンナが再びドアから出て行った。
来客のない店の中にはエミリーとコウだけが残っている。
「“ハンナ様を悲しませないでください”―――私はあなたの願いを叶えられたかしら」
「…えぇ。ずっと落ち込んでいたハンナ様の顔に、漸く笑顔が戻ってきましたから」
「それならば安心したわ。所で、私はあなたたちにお礼をしたいと思っているの」
「ハンナ様に、ですか?」
「彼女と、あなたに」
コウの言葉にエミリーは「私にも…?」と首を傾げた。
彼女はハンナのためを思って言っただけだろう。
―――コウさん。どうか、ハンナ様を悲しませないでください。
―――あなたが幸せになれなければ…彼女は笑ってくれません。
ハンナのために紡がれた言葉は、自分にも誰かに笑顔を与えられるのだと教えてくれた。
小さな事だけれど、コウ自身が感謝しているのだという事に変わりはないから。
「私は力が強かったから…この身体を作って尚、力が残っているの。
私は、あなたの目に親愛だけではなく…慕情を見た気がした。だからこそ、問うわ。私に…望む事はない?」
「…これ以上の、望みなんて…私には過ぎた願いです」
「あなたの望みを叶える事が、いずれ彼女を幸せにするなら…それが私からのお礼になると思っているの」
だから、あなたの望みを聞かせて?
コウの言葉はまるで魔法のようだった。
エミリーは何度か口を開いては閉ざして迷い、そして―――
「私、は…」
「…やっぱりお前の仕業か、あれは」
招かれたリビングで紅茶を飲んでいたコウが、やってきたウィルの声に顔を上げた。
どこか疲れた様子の彼に、にこりと微笑む。
「随分疲れているわね」
「お前の所為でな」
「本人が望んだ事よ。でもまぁ…あなたにとっては恋敵を増やしてしまった事になるかしら」
「恋敵…?」
訝しげな表情を浮かべる彼に、わかっていないならそれでいい、と答える彼女。
納得していない様子だが、それ以上追及する気はないのか―――不意に、ウィルがコウの手を取った。
手套を外していた素肌に彼の熱が触れる。
「…同じ、だな」
「何を今更」
そう微笑んで、解放された手で紅茶のカップを取る。
ウィルの向こうからジルが歩いてくるのが見えた。
「君がこの道を選ぶ事になるとは思わなかった」
「選ばない方が良かった?」
「いや。また会えて嬉しいよ、コウ」
元々の性格も関係しているか、とても優雅な仕草でコウの手を取り、口付けるジル。
皆がコウの肌に触れるのは、人形にはあるはずのないその体温を感じるため。
わかってはいるのだが―――コウは苦笑を浮かべた。
「ジル、お願いだから他所のお嬢様に同じ事をしないでちょうだいね」
「何故?」
「そんな親愛の篭った目で見つめられて口付けられた日には、女性は誤解してしまうでしょうから」
「普通の挨拶だと思っているのだが…」
「違うとわかっていても期待してしまう女性はいると思うわ」
諭すようにそう言えば、気をつけよう、と答える彼。
「そうそう。女の子は甘い口付けに弱いからね」
ソファーの後ろからくいと顎を引き寄せられ、抵抗するまもなく頬に口付けられる。
見上げたそこには輝かんばかりの笑顔を浮かべたルディがいた。
「…ホブルディ」
「やだなぁ、コウ。いつもみたいにルディって呼んでよ。君の声でそう呼ばれたい」
「はいはい。わかったから放してちょうだい、ルディ?」
「君の頼みなら、聞かないわけには行かないね」
指先に触れた熱に満足したのか、彼はあっさりとコウを解放した。
「ジルは無意識だから仕方がないけれど…ルディ、あなたの場合は故意に勘違いさせそうね?」
「酷いなぁ。僕がそんな男に見える?」
ルディの言葉にウィル、ジル、そしてコウが沈黙する。
長い付き合いだから見えないとは答えられないし、見えると答えれば彼が拗ねる。
結局どっちも言えずに沈黙したのだが、それが肯定である事は誰の目にも明らかだ。
「…時々、君たちって僕が嫌いなのかなと思うよ」
ルディが口元を引きつらせた。
それからジャックが姿を見せる。
彼も他と変わらずコウに近付いてきたかと思えば、手を伸ばし、そして。
「ふむ…体温はハンナより少し低い、か」
「………ジャック。女性は優しく扱えと教えられなかったのかしら?」
優しいとは言えない手つきで両頬を挟まれ、ぐいと上を向かされた。
ぐき、と首の辺りから変な音が聞こえたのは気のせいではないだろう。
少し痛かったのか、コウの口元が怒っている。
「ジャック。触れるなら優しく。女性の身体は我々の身体よりも繊細だからね」
「そうか。ハンナはそうは見えないが」
「彼女はとても快活だからそう見えるだけだ」
「なるほど。性格も関係している、か。確かめてこよう」
即座に踵を返すジャックに、その場にいた面々が目を見開く。
何をどう確かめようというのか。
ジャックが消えた先から“彼”の声が聞こえて、コウたちは顔を見合わせて苦笑する。
「…どうやら、僕たちはお呼びじゃないらしいね」
ルディの声に皆がそれぞれに頷いた。
「まったく…好奇心も度が過ぎると困ったものですね。コウさん、紅茶のお代わりは如何ですか?」
やや肩を怒らせながらリビングにやってきた彼…エミリオは、コウに向けてにこりと微笑んだ。
彼はエミリーの男性体だ。
女性体として人間になったエミリーだが、コウは彼女が心の中に隠していたハンナへの慕情に気付いていた。
望みはないかと問うたコウに、彼女が何度も躊躇いながら口にした願いがこれ。
女性だったはずのエミリーが男性であるエミリオに変化してしまって、一番戸惑っているのはハンナだろう。
それを受け入れられるかどうかは彼女次第だが―――
「ハンナ様も紅茶を如何ですか?焼きたてのスコーンもありますよ」
「そうね。…いただくわ」
慣れない彼に頬を染めながらも、ちゃんと目を見て答えているハンナ。
これなら、きっと大丈夫だろう。
コウはカップを置いた。
「エミリオ。紅茶はまた今度いただくわね。今日はもうお暇させていただくわ」
「そう…ですか?残念です。もっと色々お話したかったのですが…」
「ごめんなさいね。放っておくと奥様も仕事に没頭してしまう方だから」
そう答えたコウに、エミリオは笑顔で頷いてくれた。
身に覚えがあるのか、ハンナが恥ずかしそうに視線を逃がす。
「では、玄関までお送りしましょう」
お手をどうぞ、と差し出された手をコウはやんわりと断った。
気になる様子でこちらを見ているハンナに気付いていたから。
本人が自覚するのはもう少し先になるだろうけれど…良い傾向だと心中で微笑む。
「では…“また”ね」
次が見える別れの言葉に、それぞれが自由な反応を返してくれた。
帰路を歩く人の流れの中、コウもまた、屋敷への道を歩く。
ふと、コウは何かに惹かれるように振り向いた。
すれ違った人々の背中が見える。
そんな中、一人の男性が彼女と同じように足を止めてこちらを振り向いていた。
二人は視線を合わせるが、何を言うでもなくそれぞれの道を歩き出す。
もしかすると、と言う思いはあった。
けれど、コウは彼に背を向けた。
シャムロックに囚われるのはやめにすると―――そう、決めたから。
同じ魂であっても、生まれた彼は別の人間なのだ。
シャムロックに重ねてはいけない。
コウは数百年間抱き続けた想いを、精霊の自分と一緒に昇華した。
また、新しい恋をしよう。
その相手が彼なのか、それとも別の人間なのかはわからない。
ただ、いつの日か―――ハンナの言うように、幸せになれたらと、そう思う。
10.01.30