Secret doll
Will o' Wisp 06
「エルウィン様。お部屋にお戻りください。お身体が冷えますよ」
「平気よ。今日はとても調子がいいの」
庭の花を手に取り、楽しげに笑う少女。
こうしてみていると、彼女の身体は何の問題もない健康そのものだ。
しかし、その小さな身体は普通の子供よりも病弱で、風邪一つも命取りになる。
そして…幼い頃から幾度となく患った肺は、既に限界が近かった。
ごほ、と彼女が小さく咳き込むのが聞こえる。
コウは手にしていた彼女の帽子をテーブルの上に置き、椅子にかけていたストールを取った。
ドレスの裾をふわりと揺らし、エルウィンに近付く。
「冷たい空気は良くありませんよ」
さぁ、と声をかけながらストールを羽織らせる。
彼女が持つ花を受け取り、その背中を促して屋敷の中へ。
この花は、後から彼女の部屋の花瓶に活けるつもりだ。
「お人形はまだかしら」
「もう少しかかると思いますよ。楽しみですか?」
「とても楽しみよ」
「…では、昼食をいただいて、薬を飲んでから…人形のお店に行きましょうか?」
「本当!?」
「ええ、本当です。暖かいコートを着て、馬車を頼みましょうね」
穏やかに微笑んで見せれば、エルウィンは嬉しそうにコウのウエストに抱きついた。
「嬉しいわ!大好きよ、コウ!!」
「私も大好きですよ。では、用意をしてきますから、その間…」
「部屋でいい子にしているわ!」
コウが言おうとしたことを先に口にした彼女。
そんな彼女の言葉に、コウは満足げに「はい」と頷いた。
そしてエルウィンを部屋へと送り、昼食を受け取りに行く。
コウが用意する事も出来るけれど、彼女は極力エルウィンの傍を離れない。
食事を用意するのは専属のコックの仕事。
だが、メニューのアドバイスはコウが行っている。
その日の体調に合わせた食事を取ってもらう必要があるからだ。
キッチンへの道を歩きながら、コウは午後の予定を考える。
本当ならば、あの店には近付きたくはない。
けれど、エルウィンがそれを望むならば、自分の気持ちなど二の次だ。
いつもこうして主人を第一に考えてきたわけではないが、彼女は先が短い。
出来ることをしてあげたいと言うコウの想いは、決して間違ってはいないだろう。
ハンナは、工房であの日の少女を思い浮かべていた。
少女の小さな腕に抱かれる人形。
「…髪はこの色がいいかしら」
大方出来上がった身体に、髪の素材を合わせてみる。
あれでもない、これでもないといくつか繰り返し、漸くエルウィンに似合う色を見つけた。
あとは、髪に合わせて眼を選んで―――そう頭の中で流れを考えていたハンナ。
その時、コンコンと工房がノックされた。
「ハンナ、店に客人だ」
「ありがとう、ジャック!」
そう言えば朝から彼の姿を見ていなかったけれど、もしかして今帰ってきたのだろうか。
そんな事を考えながら優しく人形を置いて工房を出る彼女。
首を振り向かせた先にあったジャックの背中は危なげに揺れていた。
どうやら、先ほどの予想は正しかったようだ。
「一度ちゃんと話さないと駄目ね」
人間は夜に寝る生き物なのだと話をしてみよう。
…彼が言う事を聞くとは思えないけれど。
「お待たせしました―――あ、あの時の」
お店に顔を出したハンナは、棚の前に立つコウに軽く目を見開いた。
彼女はハンナがやってきた事に気付くと、身体ごと振り向いて優雅に挨拶を交わす。
「人形はあと三日ほどで完成します」
「では、その頃にお店に参りますわ」
「わかりました。…今日はエルウィンちゃんは一緒じゃないんですね」
「昼食後に体調を崩してしまわれて…代わりに人形の状況を聞いてきてほしいと頼まれましたので」
「あ、そうなんですか…。大丈夫ですか?」
当然のように尋ねるハンナに、コウは困ったように微笑んだ。
「ええ、午前中に身体を冷やしてしまいましたから…すぐに良くなりますよ」
口にするのは、偽りの言葉。
エルウィンの身体が良くなる事などないけれど、それをハンナに伝える必要はない。
コウがすべき事は事実を伝える事ではなく、心配する彼女を安心させる事だ。
その為であれば、コウはいくらでも偽りの答えを返すだろう。
「いえ、エルウィンちゃんもそうですけれど…コウさんは?」
コウはハンナの言葉に驚いた様子だ。
大丈夫か、など―――前にそんな事を尋ねられたのは、いつだっただろうか。
人形であるコウにその質問は必要ないからだ。
食事も睡眠も必要のない、作り物の身体。
それを維持するコウの精霊としての力は強く、身体は微塵も衰えを見せない。
たとえこの身体に不具合が出るとしても、数百年は先のことだろう。
「あなたがそう言う人だから…彼らは、人としてあなたと生きる事を選んだのですね」
彼らの生き方をどうこう言うつもりはない。
無関心とは違うけれど、本人が良ければそれでいいと思っていた。
けれど、今ここで漸く、彼らの行動の意味が理解できた気がする。
ハンナはコウとの会話にふと違和感を覚えた。
既視感にも似たそれ。
―――あなたは…いいえ、あなたたちは、その道を選んだのね。
そう、彼女は前に店に来た時も、ウィルに向かってそう言っていた。
その道…それは、精霊としての長い命を使って人間の肉体を作り、人として限りある命を生きる事。
驚くわけでもなく、彼女は即座にウィルの状況を理解した。
つまり―――コウは、初めから知っていたのだ。
精霊が…いや、精霊人形が、人間になる事が出来ると。
「どうして…」
ハンナの声が震えた。
彼女の心中など知る由もないコウは、その言葉に首を傾げた。
「どうして、あなたは選ばなかったんですか…?知っていながら、何故…。
愛する人を拒んで、精霊人形として生きて…あなたは幸せなんですか?」
「………シャムロックの話を、聞いたのですね」
怒るでもなく、コウは冷静な声でそう呟いた。
誰が話したのかは知らないけれど…今更必死になって隠し立てするような事ではない。
「あなたは知る必要のない事ですよ。もちろん、彼らも」
「でも、イグニスたちはあなたを心配して…!」
「時が来れば精霊に戻ります。あなたと関わる事はありません」
「コウさんはそれでいいんですか!?」
ハンナが声を荒らげた。
夕暮れに差し掛かる時間帯、店を訪れる客はいない。
コウは彼女に向けて、無表情な顔で言った。
「これは…あなたには理解できない世界なのですよ」
明らかな拒絶の色を浮かべた声。
コウは室内だからとはずしていた帽子をふわりと髪に載せた。
「では、三日後にまた。よろしくお願いします―――人形師のお嬢様」
完璧すぎる笑顔を残し、コウは店を後にした。
カラン、コロン。
店のベルが寂しげな音を立てる。
10.01.26