Secret doll
Will o' Wisp 05
『イグニス。私は…コウに酷い事をしてしまった。彼女が自らに誓った約束を知りながら、止めようとしなかった』
『後悔…しているのか?』
『いや、私は例え誓いのためであっても、彼女が傍にいてくれる事に満足している。
とても…愚かな人間だ。イグニス、どうか―――』
「イグニス、イグニス!」
「っ!」
ガタンと椅子を鳴らし、イグニスが目を覚ました。
目の前には彼の肩に手をかけているハンナがいる。
窓際で考え事をしているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
人形だった時にはありえない、けれども人としてはよくある行動だ。
「こんな所で転寝をしていたら風邪をひいてしまうわ」
「あぁ…そうだな、すまない」
起こしてくれてありがとう、と彼女に礼を述べる。
すると、彼の肩から手を離したハンナは、静かに口を開いた。
「帰って来てから、何だか上の空ね。コウさんとは話せなかったの?」
「!私がコウの所に行ったと知って…?」
「ウィルのお蔭で気付いたわ。書類を盗み見したのね」
「…すまなかった」
いつもの覇気もなく肩を落とす彼を見ていると、それ以上咎めるのを憚られてしまった。
ハンナはふぅ、と溜め息を吐き出し、窓に近付いてレースのカーテンを引く。
「何か悩んでいるの?私では力になれない?」
ハンナの問いかけにイグニスはそっと目を細めた。
そして、今日のコウとの会話を思い出す。
「お前は何故まだ人形なのだ!?」
開口一番にそう言ったイグニスに、コウは苦笑を返した。
「シャムロックとの誓った約束はまだ終わっていない」
「…やはり、シャムロックが案じたとおりだ…」
「イグニス?」
「シャムロックはお前がその誓いに縛られる事を案じていた」
イグニスがコウの頬に触れる。
彼女の頬は冷たく、そして硬い。
人形の身体のままの彼女に、イグニスの心が痛んだ。
「何故、何百年もその誓いを守り続けているんだ?教えてくれ。私はそれを知らなければならない」
「どうして?あなたには関係はないでしょう?」
「私が人形から解放された時、もしお前がまだ精霊人形として生きていたら…解放を説得してほしいと。
私は、シャムロックにそう頼まれた」
イグニスのまっすぐな視線に、コウは無言で目を伏せた。
その一瞬さえも、まるで絵画の一枚のような美しさだ。
人間には決して真似することの出来ない完璧な美がそこに存在している。
「安心していいわ。私と彼との誓いはまもなく終わるから」
「何…?」
「私は彼の一番の願いを受け入れられなかった代わりに、彼の血筋を見守り続けると誓ったの。
その誓いは、今もまだ続いている。解放は、彼の血が絶えるのを見届けてから…そう、決めているわ」
そこまで話す必要はなかったのかもしれない。
けれど、シャムロックから任された事があるのならば、彼も無関係とは言えないだろうから。
口早にそう説明したコウに、イグニスは漸く彼女が人形として過ごす理由を知った。
「まもなく終わるというのは…」
「血が絶える。それだけのこと」
そう答えた彼女の表情はとても寂しそうだった。
彼女自身が誓いのためだけにこの家で過ごしていたわけではないのだと、そう理解するには十分だ。
彼女が彼の血筋に固執する理由は、本当に誓いのためだけなのだろうか。
その疑問を口にしようとして、イグニスは彼女を見た。
しかし、結局何も言うことなく別れの言葉を告げて屋敷を後にする。
「シャムロックが愛した人形―――それが、彼女だ」
レースのカーテン越しに窓の外を見つめていたイグニスが、ポツリと言葉を落とした。
彼に背を向けていたハンナが驚いたように振り向く。
「愛し、た…?それは…」
「お前が私たちに抱く家族愛とは違う」
彼女が口にしようとした疑問を、先回りする形で否定する。
家族愛でないとすれば、それは。
ハンナは悲しげな表情を浮かべる。
「シャムロックは…一人の人間として、愛し愛されることを望んでしまった。
そう言う意味では、シャムロックもまた、罪に溺れた人間だったのだろう」
ハンナと視線を合わせることなく、イグニスは静かにそう語る。
「二人はどうなったの?」
「…当事者ではない私が話すべきではないのだろうが…コウは、シャムロックの想いを受け入れなかった。
人間と人形―――その境界を誰よりも意識していたのは、コウだ」
「彼女が…」
「コウはシャムロックに精霊人形の作り方を教えた事を悔やんでいたよ」
そう言って、彼はコウが遥か昔に話していた事を思い出した。
『ごめんなさい、イグニス。私が…愚かだった。あなた達を苦しめるつもりなんてなかったの』
『何故、それをシャムロックに教えた?』
『彼が孤独だったから。精霊人形を生み出す事が、彼の救いになるのだと信じていた』
しかし、その先にあったのはコウが望んでいた未来とは異なる現実。
シャムロックは彼女を愛し、彼女はそれを受け入れる事ができなかった。
姿を持たない精霊のままであれば、彼が人の道を踏み外す事などなかった―――コウは、そう考えている。
「私自身も彼女を恨んだことはある。始まりは彼女だったからだ」
「イグニス…」
「あぁ、そんな顔をしないでくれ、ハンナ。今となっては、こうして人として肉体を得た事を喜んでいる」
一年前を思い出したらしいハンナに、イグニスは急いでそう告げた。
今は恨みなどない。
寧ろ、こうして限りある命を受けた事を誇りに思っている。
「コウさんはシャムロックをどう思っていたのかしら…。過去の過ちだと…そう思っているだけ?」
ハンナがその疑問を口にした時。
タイミングよく開かれた扉から、ウィルが姿を見せた。
彼の後ろにはジルたちもいる。
その表情から察するに、二人の会話を聞いていたのだろう。
「何十年も何百年も…ずっと、シャムロックの血筋を見守り続けたんだ。察する事くらいは出来んだろ」
「コウさんも、シャムロックを愛していた…?」
「少なからず想ってたことは確かだな」
ウィルの答えに、ハンナは眉尻を下げた。
もしそうだとすると…なんて、悲しい二人なのだろうと思う。
「悲しすぎるわ、こんな…」
「君が悲しむ事はではないよ、ハンナ」
「そうだよ。あの子の新しい人形を作ること、ハンナはそれに専念すればいいんだよ」
「でも…!」
精霊人形だって、人間になる事が出来る。
それがイースターの奇跡だったとしても、ハンナはそれが現実として起こりうるのだと知っている。
しかし、今彼女がそれを知ったとして…どうなるのか。
「そう…今更、だ。シャムロックは、もう死んだんだ」
すべては、遅すぎた。
10.01.25