Secret doll
Will o' Wisp 03
皆が、話は終わったとばかりにそれぞれの生活へと戻る。
先ほどまでの空気を感じさせない自然な動き。
けれど、その心中が渦中の人であるコウに向いている事は明らかだった。
ハンナはまるで夢現の中に居るような感覚を覚えていた。
その時、ふと視界の端でイグニスが部屋を出て行くのが見え―――考えるよりも先に、身体が動く。
彼女が廊下に出た時には、イグニスの姿はそこにはなかった。
しかし、バタン、と店へと繋がる扉が閉まる音が聞こえ、彼女はそちらに急ぐ。
そっと押し開いた扉の隙間から見えた彼は、引き出しから何かを取り出し、視線を落としていた。
「イグニス」
小さく声をかけると、彼は驚いたようにこちらを見る。
「…ハンナ」
彼女の名を呼んだ彼の手が引き出しを閉ざしたが、彼女はそれを気に留めていなかった。
「少し…いい?」
「…あぁ」
悩む素振りを見せた彼だが、やがて静かに頷いてくれた。
そんな彼にほっと安堵の息を零し、歩み寄るハンナ。
「さっきの話…どうしても、わからない事があったの。どうして、会わなければいけないの?」
「…それが、私の義務だからだ」
イグニスは、そう答えた。
義務―――その言葉に、ハンナは驚いたような表情を見せる。
「まさか、あなたはまだ、何かに縛られて…?」
「違う!…すまない。義務と言ったから、話がわからなくなるのだな。…私が、そうしたいのだ」
縛られているわけではない、これは、自分の意思なのだ。
イグニスは、その思いを彼女に伝えかねていた。
「………」
「……座らないか、ハンナ」
立ち話で終わる話ではない―――そう思ったイグニスは、ハンナを椅子へと促した。
「初めに、これだけはわかってほしい。
シャムロックに強制されているわけではなく、私の意志なのだと言うことだ」
「…わかったわ」
イグニスの言葉に静かに頷くハンナ。
納得はできていなかったのかもしれない。
けれど、彼がそう言うのならば、信じようと思った。
「…何から話すべきなのか…。シャムロックは、私たち同様に、彼女を案じていた」
遠い日を見ているような、そんな横顔で語り始めるイグニス。
彼の脳裏には、過去の情景が浮かんでいるのだろうか。
「彼女は自らの意志で精霊に還ることが出来る。だが、彼女は優しかった。
シャムロックは、自分の死後、彼女が誓いに縛られはしないかと…案じていた」
「誓い…」
「シャムロックの血筋を、見守っていくと…彼女は、そう誓いを立てた」
「どうして?」
ハンナの問いかけに、イグニスは首を振った。
「…今は…話せない」
「そう…」
「…今も人形であることから考えて、彼女は誓いを守っているのだろう」
そう呟いたイグニスの表情は、とても哀しげなものだった。
彼にとって、彼女はどんな存在なのだろうか。
そんな疑問を抱きながらも、ハンナはそれを尋ねられない。
少しの沈黙の後、哀しげな表情を消したイグニスは、小さく笑みを浮かべた。
「ハンナ、お前と話すことで、コウもまた、変われるかもしれない。…私たちと同じように」
だから―――時が来れば、全てを話そう。
その日のイグニスとの話は、それで終わり。
翌日、少しすっきりしない頭を抱えて朝食を食べ終えたハンナ。
店の掃除に向かおうとした彼女を、階段を下りてきたウィルが呼び止めた。
「イグニスを知らないか?」
「知らないけれど…居ないの?」
首を傾げるハンナに、ウィルは、あぁ、と答える。
そして、何かを思案するように顎に手を当てた。
「あいつ、まさか…」
「ウィル?」
「イグニスはコウの居場所を知らねぇんだよな?」
確認するような問いかけに、ハンナは頼りなく頷く。
あの時店に居たのはウィルだけだったから、彼自身もそれを知っているはずだ。
そう考えていた彼女は、ふと昨晩のことを思い出した。
そう言えば、あの時―――
「ウィル、ちょっと待って」
ハンナはそう告げると、足早に店の中へと入っていく。
表のカーテンを開けていない店の中は、日の光が僅かに差し込む程度の明るさだ。
それを頼りに、昨日イグニスが立っていた場所に立つ。
確か、彼はこの引き出しを開けていた。
ある種の確信を持って、ハンナは引き出しの取っ手を引いた。
「…やっぱり…」
「どうかしたのか?」
後ろから付いてきていたらしいウィルがそう尋ねてきた。
そんな彼に、ハンナは厚みのある紙束を見せる。
それは、ハンナが今まで人形を作った依頼主たちに書いてもらった名簿だ。
その一番上には、昨日コウに書いてもらった用紙が挟んである。
依頼主の住所も記されていた。
「…ごめんなさい、ウィル…」
口を閉ざしてしまったウィルに、ハンナは申し訳なさそうに謝罪した。
昨日の様子だと、彼はイグニスがコウに会いに行くのを反対していたと言うのに。
私がもう少ししっかり管理していれば…と後悔する彼女。
ウィルは溜め息と共に首を振った。
「今回は盗み見した方が悪い」
だから気にすんな、そう言って、彼はハンナの頭をぽんと撫でた。
そのまま店を出て行こうとするウィルの背中を呼び止めるハンナ。
「イグニスはどうするの?」
「行っちまったもんは仕方ねぇだろ。帰ってから状況を聞いて判断する」
それ以上は何も聞くなとばかりに、扉が閉ざされた。
「で、お前らはどこに行く気だ?」
丁度玄関へと向かっていたジルとルディに声をかけるウィル。
二人はそれぞれ別の表情を浮かべて振り向いた。
「どこって…決まってるじゃないか。コウに会いに行くんだよ」
「私たちも、彼女と会うのは久しぶりだからね。積もる話がないわけでもない」
「場所も知らないのに、か?」
その言葉に、ルディがフン、と鼻で笑う。
「プリーストリー家の娘なんだろう?僕の元オーナーも同じ貴族だからね。その位は知ってるさ」
「ウィルは眠っていたから知らなくても無理はないだろうけれど、有名な貴族だよ」
「…そうか。ジャックはどうした?」
二人だけなのか、と問う彼にジルが苦笑を返した。
聞くと、朝食後一番に出掛けて行ったらしい。
「恐らく、元オーナーの所に行ったのだろう。…ジャックも、少しコウのことを気にしていたようだから」
「そう言う事。で、ウィルはどうするの?」
玄関をちらりと意識してから問いかけるルディに、ウィルは少し考えるように沈黙した。
やがて、溜め息と共にリビングへと向かう彼。
「上着、取ってくる」
それ以上の答えなど必要なかった。
09.06.22