Secret doll
Will o' Wisp 02
ガタン、と椅子が床に転がった。
いつもならばエミリーのお叱りの声が飛ぶのだけれど、そんな余裕のある空気ではない。
音の原因であるイグニスは、ただただ驚いたようにウィルを見ている。
「…本当、なのか?」
「………あぁ」
確認するように問いかけた彼に、ウィルは静かに頷いた。
それを聞くなり、イグニスは食事中であるにも関わらず、食卓を離れてドアの方へと走る。
流石にこれは、と思ったのかエミリーが口を開こうとした。
しかし―――
「待てよ、イグニス」
彼を止めたのは、エミリーではなくウィルだった。
イグニスはドアに手をかけたところで、その動きを止める。
なぜ、と問う言葉が発せられる前に、ウィルが言葉を続けた。
「どこに行く?」
「止めるな、ウィル!彼女に会わねばならん」
「会ってどうすんだ。あいつはそれを望んでない」
「…っ!!しかし、会わねばならんのだ、私は!!」
「相手がそれを望んでないのにか?随分身勝手な言い分だな」
そう言い終わったところで、食事を終えたウィルが席を立つ。
そして、未だドアのところで進むことも戻ることも出来ていないイグニスを見た。
「とりあえず、話は後だ。能面の顔が般若に変わる前に食え」
ウィルはドアの前のイグニスを押しのけながらそう言って、リビングを出て行った。
無情に閉ざされたドアを見つめていたイグニスだが、やがてシリアスな空気を背負ったまま席へと戻る。
何かを言おうとしていたエミリーだが、小さなため息と共に口を噤んだ。
ふとこちらを見た彼女と視線が絡み―――互いの心中の疑問を分かち合う。
きっと、理解できていないのは私たち二人だけ。
ジルもルディもジャックも―――何となく、イグニスと似た空気を背負っていたから。
ぎこちない夕食タイムを終えて、イグニスは真っ先にリビングを出て行った。
いや、正確に言うと、出て行こうとした。
「イグニス」
冷静すぎる声が、再び彼を引き止める。
ドアのところで振り向いた彼の目に、エミリーの姿はどう映っただろうか。
「先ほどからハンナ様が置き去りにされていると感じるのは…私の気の所為ですか?」
「…いや。しかし、これはお前たち二人には…」
「そこで無関係だ、などと言うなら、明日の食事は自分で作ってくださいね」
思わず口を噤んだイグニスから視線をそらし、彼に続こうとしていた面子を見る彼女。
「あなた方も同罪です。ハンナ様に説明もせず、蚊帳の外に置いたまま部屋を出るおつもりでしょう?」
「…だが、無関係であることに変わりはない。これは俺たちの問題であることは事実だ」
「ジャック。エミリーが言っているのはそう言う事ではないだろう」
冷静なジャックの言葉に、ジルが否定の声を上げる。
そして、彼はルディと視線を合わせ、頷いた。
「イグニス、ウィルを呼んで来てよ」
「ルディ!しかし…!」
「同じ家で暮らしておきながら、何も説明しないわけには行かないだろ」
「そう。すべてを話すことは不可能でも、多少なりとも知る権利はあると思うよ」
ルディとジルに宥められたイグニスは、複雑な表情で私を振り向く。
そして、短く息を吐いてから「呼んでくる」と言い残して部屋を出て行った。
しんと静まる室内。
「…お茶でも用意しましょうか。ハンナ様手伝っていただけますか?」
それがエミリーの気遣いだと理解しながら、もちろん、と彼女に続く。
これからの話が、私にどんな影響をもたらすのか…少し、不安を感じながら。
全員が各々の好きな場所へと腰を落ち着ける。
「もうわかっているだろうが…コウは―――人形だ」
誰ともなく口を噤む中、イグニスが口を開いた。
もしかすると、彼が一番彼女に近かったのかもしれない、と思う。
「我々と同じ、精霊人形としてシャムロックの手によって生まれた」
そう説明したところで、いや、とそれを否定する。
「少し…違うのかもしれない。彼女は、シャムロックに精霊人形としての器を貰っただけに過ぎなかった」
「どう言う事?」
「シャムロックの力により、器に入ったわけではないのだよ。そう言う意味では、我々とは異なる存在と言える」
イグニスの説明に続くように、ジルがそう言った。
精霊人形でありながら、少し違う特殊な人形。
それが、コウ。
「でも、彼女が人形だって言うなら、どうして…。解放には、全員の鍵が必要だったんじゃなかったの…?」
何となく、そうなのかもしれないと思い始めていた。
店内でのウィルのあの行動は、彼女がまだ人形であることを確かめるためのものだったのだろう。
触れた指先に伝わる冷たい感触―――彼は、何を思ったのだろうか。
「そう。それを説明できるのは…恐らく、イグニスだけだろうね」
ジルの視線がイグニスへと向けられる。
他の視線も集めた彼は、少し考えるように沈黙し、やがて頷いた。
「この中では、私が一番彼女と付き合いが長いだろうからな。彼女は…最期までシャムロックの傍にいた」
「そうらしいね。僕は結構早くにシャムロックのところを出たから、その辺はよく知らないんだけど」
「…コウは人形という器に入ってはいるが、器に縛られているわけではないのだ」
イグニスは静かに語りだした。
力を大幅に制限され、人形という身体を得た彼ら。
彼らは自らの力では人形という器を離れることは出来ず―――1年前、漸くその器から“解放”されたのだ。
しかし、彼女は違うらしい。
器に入れば力そのものは制限されるが、決して縛られているわけではない。
自らの意思で、精霊に還る事が出来る。
彼は、そう説明してくれた。
「彼女はとても強く、博識な精霊だ。確かに、器を離れることくらい、彼女には簡単なことだろう」
イグニスの説明を聞いたジルは、納得したようにそう頷いた。
「私たちは、もう何十年も彼女を見ていなかった。だから、当の昔に精霊に還ったのだとばかり…。
まさか、今もまだ人形として生きているとは…」
呟く声が小さくなっていく。
そう思っているのは、ジルだけではないらしい。
ずっと黙っているけれど、ウィルだって、きっとそう思っているのだ。
―――…お前、まだ…。
あの言葉が、全てを語っているような気がした。
「ねぇ、コウ。お人形はいつ届くの?」
「二週間後になるようですよ。それまでは、寂しいかもしれませんが…会えるのを楽しみにしましょうね」
「うん」
「さぁ、もう寝る時間ですよ。今夜のお友達はどの子にしますか?」
「…ウサギさん。右の」
「ウサギ…あぁ、これですね」
ふわりと抱き上げたそれをエルウィンに手渡す。
ベッドの中からそれを受け取った彼女は、小さな腕でそのウサギのぬいぐるみを抱きしめた。
「おやすみなさい、エルウィン様」
「おやすみなさい」
明かりを絞り、部屋を出て行く。
廊下に立ったところで、向こうから歩いてくる女性の存在に気付き、姿勢を正した。
「あぁ、コウ。エルウィンはもう休んだかしら」
「はい」
「そう…今日の体調は…?」
「大変よろしいようでしたので、ご紹介いただいた人形師のお店まで出掛けてまいりました」
「レドモンド氏の紹介だったわね。どうだった?」
「お気に召した人形はなかったようですが、新しいものを作っていただくよう依頼して帰りました」
婦人はそう、と頷き、閉ざされた扉を見つめる。
「ねぇ、コウ。あの子は…」
続きを紡ぐ事を躊躇う彼女。
コウは、安心させるように微笑み、首を振った。
「さぁ、奥様ももうお休みになった方がよろしいですよ。夜更かしはお身体に障ります」
「でも、仕事が残っているの」
「私が出来る範囲でしておきます。顔色が優れないようですから、お部屋にお戻りください」
そう言って婦人の背中をやわらかく押す。
少しくらい強めに言わないと、この女性はすぐに仕事に戻ってしまうのだ。
数歩進んだところで、彼女が自らの意思で歩き出したことを悟り、そっと手を離した。
「おやすみなさいませ、奥様」
「ええ、おやすみなさい。…ごめんなさいね、コウ」
悲しげに微笑んだ彼女に、コウは笑みを浮かべたまま首を振る。
自室のドアへと消える彼女を見送り、そっと仕事部屋へと踵を返した。
09.06.02