Secret doll
Will o' Wisp 01
皆が精霊に戻って、でも私の声に帰って来てくれた。
どうしようもなく嬉しかったあの日から一ヶ月。
人間となった皆にはそれぞれに問題や苦労もあったけれど、ほんの少しだけ日常に慣れ始めた今日この頃。
リンゴーン、というベルの音を聞いて、私は作業の手を止めて工房を後にした。
「いらっしゃいませ」
お店へと顔を出すと、そこには初めて見るお客様が二人。
一人はまだ小さな女の子で、着ている服装からそれなりの家柄であることが窺えた。
もう一人は私より少し年上と思しき女性。
ふわふわとしたアイスブロンドを緩くまとめ、深い藍色のドレスを纏っている。
親子と呼ぶには年が近い。
けれど、何故か姉妹だとは思わなかった。
「エルウィン様。ご挨拶を」
棚に置かれた人形に魅入っていた少女は、私の声に気付かなかったらしい。
トントン、と肩を叩く女性の声により、少女は漸く振り向いた。
人形のように可愛らしい少女は、栗色の髪を揺らしてちょこんと頭を下げる。
「初めまして」
「はい、初めまして。どのような人形をお求めでしょうか?」
少女の挨拶に返事をして問いかけると、彼女は女性を見上げた。
女性はニコリと微笑み、彼女に代わって答える。
「先日、エルウィン様の大切なお人形が壊れてしまいましたので、新しいものを探しています」
女性の声は酷く心地良い音で、思わずその声に聞き入ってしまいそうになる。
しかし、私は女性の言葉を聞くなり表情を曇らせた少女のことが気にかかった。
「…コウ、私…やっぱり…」
「いけませんよ。不自然に空いた棚を見て悲しんでいるエルウィン様を見たくないと言う奥様のお心です」
「でも…」
代わりはいらないもの。
少女は、小さな声でそう言うと、まるで泣き出してしまいそうな表情でコウと呼ばれた女性のドレスを掴む。
コウはその少女の手をそっと握り、視線を合わせるように腰を折った。
「代わりではありません。新しいお友達です」
「新しい…?」
「ええ。私がエルウィン様に贈る、お友達です。それでも、いけませんか?」
コウの問いかけに、エルウィンは少しだけ悩み、首を振った。
よかった、と微笑んだコウは、彼女の背に手を添えてお店の中を一瞥する。
「エルウィン様、こちらのお店にあるお人形の中で、好きなお人形はありますか?」
「…わからないの」
「そうですか。では、私にお任せください。さぁ、馬車に戻りましょう」
エルウィンにそう声をかけると、彼女はそっと私を振り向いた。
「人形師のお嬢様。少しの間お待ちいただくことは可能でしょうか?」
「あ、はい!」
「エルウィン様を馬車にお連れして、再び戻ってまいります」
その間、待っていてほしい。
彼女は静かにそう求めた。
店内には他に客もなく、急がなければならない用事もない。
何より、折角きてくれているお客様の小さな願いだ。
一も二もなく頷く私に、彼女は「ありがとうございます」と頷く。
そして、少女を連れて店を後にした。
それから数分後。
彼女は宣言通りに一人で店に戻ってきた。
店内に入るなり、店の人形には見向きもせずにまっすぐ私の元へと歩いてくる彼女。
「ハンナ・エリントン…様で間違いございませんか?」
「はい!いやだ、私ったら、自己紹介もせず…!」
「いいえ、構いません。私はコウと申します。先ほどのお嬢様は、プリーストリー家のご息女です」
プリーストリーと言えば、アーヴィン様の家にも勝るとも劣らない貴族だ。
そんな家のお嬢様が、という驚きを隠せない私に、彼女は穏やかに微笑む。
「ヴィクター・レドモンド様よりこちらをご紹介いただきました」
「あ、ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げた私に、彼女は静かな笑みを返す。
そして、ふと棚の人形へと視線を動かし、本題に入った。
「できれば、次の人形は前の物とは似ても似つかないものが良いと思っています」
「そう…なんですか?」
壊れてしまった人形の代わり…ではないにせよ、似ている方がいいのかと思っていた。
しかし、コウはまったく逆の言葉を口にする。
そんな彼女に、呆気ないほどにあっさりと零れ落ちた疑問。
彼女は迷う様子もなく答えてくれた。
「共通点があれば思い出してしまう。新たな関係を築くには、まったく新しい出会いの方が好ましいでしょう」
「…そうですね。よく…わかります」
「人形を作っていただくには、どの程度の期間が必要ですか?」
彼女の問いかけに、私はスケジュールを記載している手帳を取り出す。
今請け負っている仕事はひとつ。
この分ならば、材料しだいだが2週間程度で十分だ。
それを伝えると、彼女は少しだけ間を置いてから頷いた。
「大きさは、お嬢様が抱えられる程度が好ましいと考えております」
「雰囲気などはどうしますか?」
「…そうですね…。出来れば―――」
「おい、ハンナ。あの人形、の―――」
突然、ガチャリ、と店の奥のドアが開いた。
接客中だと言うのに、何という間の悪さ。
「ウィル、今は…」
接客中なの、と言う言葉は、飲み込まざるを得なかった。
何故なら、彼は私ではなく、驚いたように彼女…コウを見ていたから。
知り合いだろうか、と言う疑問は、次の言葉で確信へと変わる。
「………コウ、か?」
呟かれた声には、様々な感情が含まれていたと思う。
コウもまた、複雑そうな微笑みを浮かべていた。
「………久しいわね、ウィル」
困惑に近かったかもしれない。
彼女の言葉が紡がれるのを最後まで待たず、ウィルは大股で彼女へと歩み寄った。
そして、素肌のままの手を伸ばし、彼女の頬に触れる。
その光景が、酷く神聖に思えた。
ウィルの表情は見えない。
けれど、その背中が微かに震えたように見えたのは、果たして気の所為だったのか。
「…お前、まだ…」
ウィルの呟きを聞いた彼女は、困ったように、そして悲しげに微笑んだ。
その笑顔が何を指すのか、私にはわからない。
「あなたは…いいえ、あなたたちは、その道を選んだのね」
「…あぁ」
「そう。…あなたたちの、その限りある命が幸福に溢れていることを祈っているわ」
そう言うと、彼女はウィルではなく私の方を向いた。
雰囲気に飲まれていた私は、びくりと肩を揺らしてしまう。
まるで、見てはいけないものを見てしまったような…そんな、罪悪感。
「エリントン様。人形が仕上がる2週間後、再度こちらに参ります。何か手続きを?」
「あ、じゃあ、この用紙に…」
内心はガタガタに慌てながらも、幾度となく繰り返した行動だけは何とか忘れずに出来た。
サラサラと記入された住所とサイン。
コウはペンを置くと、よろしくお願いします、と丁寧な礼をした。
顔をあげた彼女は静かに佇んでいたウィルを見る。
彼女は何も言わず、くるりと踵を返した。
ドアが薄く開かれた瞬間、ウィルが口を開く。
「…あいつらとは会わないのか?」
彼女の細い背中が揺れる。
暫くの沈黙の後、彼女はほんの少しだけ振り向いた。
その口元だけが、私たちの位置から確認できる程度に、小さく。
「…さようなら」
パタン、とドアが閉ざされる。
「ウィル、彼女は…?」
じっとドアを見つめたままのウィルの表情が読めない。
思わず問いかけた言葉に、彼の返事はなかった。
09.06.01