Tone of time
Wand of Fortune another story 18

魔法と言うのは素晴らしい効力を持っている。
実は致命傷に近い重傷だったアルバロも、三日で回復させてしまうのだ。
もう大丈夫だと言われたその日、彼は病室を出た。
いつもと変わらぬ色に染めた髪が、廊下を吹く風にさらりと揺れる。
病室も十分に換気されていたはずなのに、久し振りに新鮮な空気に包まれているような気がした。
思わず目を細めてその場で立ち止まる彼。
ふと、何気なく視線を向けた廊下の先から、コウが歩いてくるのが見えた。
彼と一緒に、今日病室を出ると聞いていたから、迎えに来たのだろう。
立ち止まるアルバロに気付くと、彼女は不思議そうな表情で近付いてくる。

「どうかした?」
「いや…病室は好まないと思っただけだ」
「それは…誰でも同じだと思うわ」

そう言っておかしそうに笑う彼女。
ごく自然に隣に並んだコウ。
その存在を当たり前のように受け入れている自分。
昔の自分だったならば滑稽だと思える光景が、そこにあった。
医療棟を離れ、寮への道を歩く。
授業が終わる時間ではないから、生徒の姿はなかった。
それに気付くと、アルバロがコウに向かって問いかける。

「授業は?」
「あぁ…休んだわ」

少し体調が悪くて、と小さく笑ったコウは、どう見ても不調とは思えない。
上手く誤魔化したのか、教師が誤魔化されてくれたのかはわからないけれど。

「大丈夫よ。ヴァニア先生だから」

この時点で、教師の対応が後者である事が明らかになった。
あれだけ恋する乙女の味方を豪語する彼女が、コウを引き留めるはずがない。
きっと、とてもいい笑顔で送り出したのだろう。

「あ、そうそう。これ、ヴァニア先生から」

そう言ってコウが差し出した手紙を受け取る。
封を切って中を読んだアルバロは、迷惑そうに眉を顰めた。

「あの女…」
「…先生に向かって失礼ね。何だったの?」

問いかける彼女に、答えの代わりに手紙を見せる。
ザッと目を通したコウは苦笑する以外なかった。
そこに書かれていたのは、身体を気遣うような内容ではなく…休んでいた間の課題だ。
少なくとも、三日間の量ではない。

「いつも適当にしていたつけが回ったと思って諦めたら?」
「コウ」

名前を呼ぶのと一緒に向けられた笑顔に、何を言われるのかを悟った。

「暇だよね?」

予想通りの言葉に、深々と溜め息を吐く。














向かった自習室に生徒の姿はない―――はずだったのだが。

「………」
「………」

二つの溜め息が重なった。
図書館の本を山のように積み上げ、机に突っ伏している姿を見れば、顔を見ずとも誰なのかがわかってしまう。

「…もしかして、夜からずっと…なのかしら」
「そうでもないみたいだよ?ほら、ローブだし」
「あぁ…じゃあ、空き時間に調べ物をして、そのままって感じね」

彼らしいな、と思いつつ近付いたコウは、その後ろから彼が下敷きにしているものを見た。
途端に、その表情が真剣みを帯びる。

「コウ?」
「…まぁ、彼は優秀だから…気付くだろうとは思ったけれど」

その言葉はアルバロに対する返事ではなく、ひとり言のような呟きだった。
怪訝な表情を見せる彼に気付いたのか、コウは苦笑を浮かべて少し離れた席へと腰を下ろす。
彼もまた、その隣に座った。

「あの時の魔法の事を調べているみたい。恐らく、ノエルと…エストも気にしていると思うんだけど」
「エストくんまで?」
「あの子は私の属性の事を知らないから」

簡潔に答えるコウに、アルバロは少しばかり驚いた様子だ。
コウはエストにだけは隠し事なく全てを語っていると思い込んでいた。
その認識は間違いだったらしい。

「話すつもりは?」
「…聞かれたら、話すつもりよ。少なくとも、エストには」

そう答えると、この話は終わりだとばかりに立ち上がるコウ。
そして、自習室に据え置かれている本棚から必要な本を抜き出して机へと運んできた。
既に課題を広げていたアルバロの傍にそれを置く。

「君が優秀で助かるよ」
「手伝わされる身としては喜べない褒め言葉ね」

そう言いつつも、手元では役立つページに付箋を付けている。
昨日終わらせたばかりの課題だから、ページを探すのは難しい事ではなかった。
そうして順調に課題を片付け始め、2時間ほど経った頃。
ガタン、と椅子の動く音がしてそちらに視線を向けると、積まれた本が床へと落ちていくところだった。
バサバサッと派手な音をさせて落ちていく何冊もの本。

「…ぅん…?」

その音によって、漸く彼、ユリウスが目を覚ましたようだ。
身体を起こした彼は、ぼんやりした様子のまま床の本を拾い始める。
その動きが手馴れているように見え、よくある事なのだと気付かせた。
最後の一冊を拾い上げたところで、ユリウスは眠気を払うように大きく伸びをする。
そこで漸く、コウたちの存在に気付いたようだ。

「コウ!!」

宝物を見つけた子供のような表情。

「丁度良かった!君に色々と聞きたい事があるんだ。うん、本当に色々!」
「…ええ、そのようね」
「昨日声をかけようと思ったんだけど、女子寮に入っていく所で呼び止められなくて…
あぁ、そんな事はどうでもいいや。コウに聞きたいのは―――」

苦笑するコウの様子にも気づかず、その肩を掴んで立て板に水のように話し出すユリウス。
あまりの勢いに彼女が少し仰け反ったところで、グイッと後ろから引っ張られた。
驚き目を見開くコウの身体に回る腕。

「ユリウスくん。コウが困ってるから、ちょっと落ち着いてくれる?」
「あ、アルバロ。いたんだ?」

相手がノエルだったなら、確実に噛みついてくるような事を平気で言ってのける彼。
もちろん、アルバロはノエルではないのでそんな事は気にしない。
後ろから抱きしめたコウの頭の上に顎を載せ、有無を言わさない笑顔で着席を促す。
その反応がアルバロらしくない気がして、ほんの少し戸惑いの表情を浮かべるコウ。

「…アルバロ、何か変わった?」
「さぁ?大事なコウが困っているのを見かねただけだよ」

いつものような軽い口調なのに、それは彼の本心だ。
何となくそれに気付いたコウは、くすぐったい感情に小さく笑う。
その表情は、後ろにいたアルバロ本人には見えなくても、前にいるユリウスにはしっかり見えている。

「…やっぱり、コウは可愛いね」
「…ユリウスくんって、かなりいい度胸してるよね」

ユリウスには聞こえないように呟かれた低い声もまた、彼の本心だった。

11.02.05