Tone of time
Wand of Fortune another story 17

リゲイルの気配が消え、コウは漸く肩の力を抜いた。
そして、改めてアルバロを見る。
彼は相変わらずリゲイルが消えた窓を睨み付けていたけれど、視線に気付いて彼女の方を向いた。
いつもはまとめ上げている彼の髪がさらりと肩を流れた。
無意識に、その髪に手が伸びる。
髪が指先に触れ、二人の視線が絡み合った。

「…良かった」

ヴァニアは目が覚めるのを待つだけと言っていた。
つまり、目が覚めさえすれば大丈夫と言う事だ。
コウの脳裏に、意識を失っていたアルバロの姿が過ぎる。
目覚めてくれてよかった―――安堵が、彼女の表情を笑顔に変えた。
そんな彼女を見たアルバロの目が見開かれる。
ただその無事を喜んでいたコウは、純粋な驚きを表した彼に気付かなかった。

「身体は辛くない?」
「あぁ…少し、重い」

例えば目の前にいるのが別の誰かだったなら、アルバロはいつもの笑顔で「大丈夫だよ」と誤魔化した。
相手が誤魔化されたと気付かぬほど、巧みに。
けれど、この部屋の中にいるのはコウだけ。
その事実が、少しばかりアルバロを素直にさせていた。

「固有の毒を持っていたらしいわ。大人しく横になって」

アルバロの毛先に触れていた手が、やんわりと彼をベッドへと促す。
やはりここでも、彼はその手に逆らわず、ベッドへと腰掛けた。
しかし、そのまま横になる事はせず、ベッド脇に立つコウの腰を引き寄せる。
座る彼と、立ったままの彼女。
目線はコウの方が高い。
引き寄せられるままに近付いたコウは、アルバロの肩に手を添えた。
見つめ合う二人を包むのは、沈黙。

「―――ねぇ、どうして…私を庇ったりしたの?」

どうして。
頭の中で何度も繰り返した言葉が、漸く彼に届いた。

「どうして…か」

小さく呟き、心中で苦笑する。
その答えは、わかっている。
いや、わかった、と言うべきだろう。
自分の意思とは無関係に身体が動くなんて、アルバロにとっては信じられない事だ。
しかも、危険が迫っていたのは自分の身ではない。
普段の彼であれば間違いなく気付かない振りをした。
自分の身体を張って庇うなんて行動―――これが仕事中だったなら、馬鹿としか言いようがない。
少なくとも、過去の自分が今の自分を見たなら、愚かな事だと嘲っただろう。

「どうしてだと思う?」
「――――――」

問いかけるアルバロを、コウは唇を結んで見つめた。
その目を見て、彼は僅かに目を細める。
それなりに長い付き合いだ。
彼女の目を見れば、何を考えているのかは大体見当がつく。
そして、彼女がアルバロの行動の意味を理解していると悟った。

「あぁ。その考えは恐らく、間違ってない」
「…でも…」
「あの時、頭で考えたなら動かなかった。身体が勝手に動いたんだ」

それが、答え。

彼自身がそれを認めようと、認めまいと、結論は変わらない。
理解するまでの時間が長いか短いかの話だ。
そしてコウもまた、気付いている。
浮かぶのは戸惑いばかりだけれど、自分の中に芽吹いた感情は、自覚した今となっては認めざるを得ない。
恐る恐る伸ばした手が、アルバロの頬に触れる。

「この感情は…本物?」
「…それを俺に聞いても、納得のいく答えは返せそうにないな」

自分の感情と向き合うような生活を送らなかったコウ。
自分の感情と向き合わない生活を送ってきたアルバロ。
違う世界を生きていながら、二人はどこか、共通していた。
互いの隣を心地よいと感じたのも、それが理由なのだろう。

―――あなたの心の奥深くに眠る、小さな恋心。いずれその心は成長し、大輪の花を咲かせるでしょう。

いつだったか、ヴァニアに言われた言葉。
まるで、この事を予見していたかのようだと思った。



「アルバロ―――」

名前を紡ぐ以上の言葉が見つからず、距離をゼロにするように彼の首に腕を回す。
最後の数センチのところで、はた、とそれに気付き動きを止める彼女。
正面の怪我に躊躇ったのだと気付いたアルバロが、彼女の背を引き寄せた。

「アルバロッ」
「もう治ってる」

肩口でやや咎めるような声を上げる彼女。
言葉数少なく問題ないのだと告げてやれば、彼女は大人しく緊張を解いた。














パタン、とドアを閉ざす。
廊下に出たコウは、小さく息を吐き出した。
部屋の中では忘れていたけれど、彼女もまた、ある意味では病み上がりの状態なのだ。
軽い眩暈に額を押さえ、歩き出す。

「姉さん」

不意に、そう呼ばれたコウは落としがちだった視線を持ち上げた。
自分が進もうとしていた先にエストの存在を認め、ごく自然に額を押さえていた手を振る。
安心させるように微笑み、彼との距離を詰めた。

「どうしたの?」
「姉さんが目を覚ましたと聞いたので」
「そう。もう大丈夫よ。ヴァニア先生に魔力を分けていただいたし。少しすれば馴染んで回復するわ」

そうですか、と安堵したように息を吐く彼に、コウの表情は穏やかだ。
こんな風に心配してくれる家族がいて、嬉しくないはずがない。

「…彼、は?」

言葉を躊躇い、けれど問う。

「大丈夫。さっき目を覚ましたから」

そう答えた彼女の表情に変化はない。
それでも、何かに気付いたのは、生まれた時から共にいる家族だからなのだろう。
何かしらの変化があり、それに気付いたけれど、エストは何も言わなかった。
わかりました、といつもの淡白さで踵を返そうとした彼を呼びとめたのは、他でもないコウ自身だ。
今一度振り向いたエストに、コウが唇を開く。

「…エスト、私」
「…わかっています。自分の感情を、理解したんでしょう」

顔を見ればわかる。
そう言いきるエストに、コウは目を見開いて瞬きをした。

「信用できないと言った言葉は撤回します。
他においてはどうだが知りませんけど…姉さんの事に関しては、アルバロは誠実みたいですから」

誠実なんて言葉、アルバロにだけは絶対に似合わない言葉だと思っていた。
けれど、いつもの余裕すら捨て、コウを庇った姿を目の当たりにした今は違う。
気付かなかった、間に合わなかった。
あの混乱の中なのだから、そんな振りをして自分を守る事だってできたはずだ。
それをしなかった所に、彼の真意があると思う事にした。
それに、全部を納得したわけではないけれど、あんなに取り乱したコウを見てしまえば、反対なんてできない。

「僕は、姉さんが傷つかないなら…それでいいんです。だからもう、アルバロとの事には口を挟みません」

苦笑交じりにそう言ったエストに、コウが笑顔で彼を抱きしめる。
やや過剰なスキンシップもコウならば許せる。

大人しくその腕の中に納まったエストは、服越しの体温に身体の芯まで安心した。
この体温が奪われなくてよかった。
彼女を守ってくれた彼に、心の底から感謝する。

11.01.29