Tone of time
Wand of Fortune another story 16

初めまして、と差し出された手を見つめ、沈黙するコウ。
じっと見つめる彼女の視線に苦笑し、その人は口を開いた。

「僕はリゲイル。ガレイの同僚…と言いたいところだけど、腐れ縁と言った方がいいだろうね」

彼女の反応も無理はない。
突然、窓から侵入してきたような相手をどうして信用できようか。
況してや、相手はガレイ―――アルバロの知り合いらしい。
ますます信用できない、とコウは眉を寄せる。
彼がその心中を知れば、酷いなぁ、と言って笑うだろう。

「でもまぁ、そう言う警戒心の強さは大事だと思うよ。それにしても…ありがとう」
「…何が」
「生きてるうちにガレイの奴がこんな風になるところを拝めるとは思わなかったよ」

そう言った彼、リゲイルがそっと視線を向けた先には、未だに目を覚まさないアルバロがいる。
その髪は黒く、冗談ではなく意識を失っているのだと言う事がよくわかった。
髪を染めるだけの単純な魔法すら維持されていない。

「同僚って聞いて驚かないところを見ると、ギルドの話は知っているらしいね」
「………」
「無言も肯定と取っておくよ。それにしても…意外だったなぁ」

上から下まで舐めるような視線を向けたリゲイルが、そう呟く。
不躾とも言える行動に目を細めるコウ。

「まぁ、ガレイの好みなんて元から知らないけどね。その無表情を崩すことを楽しんでるのかな?」

納得しているのかそうではないのか。
とにかく、彼の言葉は酷く軽いものだと感じた。

「そんな目で見ないでほしいな。ガレイの毒を治療してあげたの、僕なんだよ?」
「…?」
「僕、表向きには黒の塔の研究者だから」

にっこりと笑顔を浮かべるリゲイル。
本来ならば感謝するところのはずなのに、しようと思えないのは何故なのか。
そんなコウの心中を知ってか、彼はねぇ、と声を改める。

「僕は薬の扱いが得意なんだ。腐っても黒の塔の研究者だし。
そこで、君に提案。ガレイを―――すぐに起こしてあげようか?」

リゲイルの提案。
アルバロの知り合いが見返りもなく動く人間だとは思わない。

「何が望みなの?」

コウの問いかけに、彼は笑みを深めた。
そして、何も、と答える。

「別に何も要らないよ」
「…それは対等じゃないわ」
「対価がなければ安心できない?じゃあ…僕の言う事を聞いてくれればいい」

そう言って軽やかに笑う彼を見ていると、底知れぬ不安を抱く。
けれど、動かなければ何も始まらないことを知っているから。
コウは一度だけ頷き、何をすればいいの、と問う。

「何もしなくていい。いや、“何もしない”ことが君のすべきこと。OK?」

楽しげな声が不安を助長する。
近付いてくる彼に対して、半ば本能的に片足を引いてしまったのも致し方ない事だろう。
伸びた手が頬に触れ、その体温の低さにゾクリと背筋が逆立った。

「いいの?抵抗も行動の内だよ。ちなみに、反応は行動とは取らないから安心して」
「何を―――」

スッと首筋を撫でられ、思わず肩が揺れる。
反応―――リゲイルの言葉の意味を理解し、コウは唇を噛んだ。
楽しげな表情は、アルバロで見慣れているし、見飽きている。

そう思っていたのに―――違う、と思った。
コウの眼が揺れた。

至近距離でそれを見たリゲイルは、くっと口角を持ち上げる。
そう、これが見たかった。
無表情が動く―――アルバロも、この不思議な優越感に流されたのだろうか。

「動かないでね」

慣れない声が、すぐ耳元で。
全身が過敏に反応する。

―――違う、違う、違う。

他人に近付かれることがこんなにも不快だなんて、知らなかった。
コウにここまで近付いたのは、アルバロ以外にはいなかったから。

「―――アルバロ…ッ」

唇が首筋に触れる。
言葉にできない感情が身体の中を駆け巡り、やがてそれは、頬を伝った。












ゴキン、と嫌な音がした。
思わず、精一杯背けていた顔を戻すコウ。
そんな彼女の視界で、だらりと垂れた腕。
痛みの方が先に立つのか、リゲイルの笑みは引き攣っている。

「相変わらず―――」
「退け」

低い低い声が聞こえ、コウを壁に追い詰めていたリゲイルが消えた。
きょとんと瞬きをした目元から涙が筋を作り、頬を流れ落ちる。

「アル、バロ…」

意識したわけではないけれど、声が震えてしまった。
しかし、それは確かに彼の耳に届いたらしい。
リゲイルへと視線を向けていたアルバロがコウを振り向いた。
ラズベリルのような鮮やかな目が自分を映す様子に、酷く安堵する。
先ほどまでの出来事などすっかり忘れて、目の前の彼へと手を伸ばした。
甘んじて自身の頬に触れる手を受け入れつつ、彼女の首筋を辿るアルバロの目が冷たく細められる。
動いた彼の手がコウの首筋を撫でた。
そこは先ほどリゲイルが唇で触れた場所。
コウはアルバロの視線が何を映しているのかを理解し、居心地悪く視線を逸らした。
彼の親指が強くその個所を擦る。

「―――相変わらず…容赦ないね、ガレイ」

いたた、と言いながら起き上ったリゲイル。
それに気付いたアルバロが向ける視線は冷たく鋭い。

「どう言う経緯だ?」
「僕が、いつまでも寝たままのガレイを起こしてあげるって言ったんだよ」

リゲイルは軽い調子で答える。
それを聞いたアルバロは、目を細めてコウを振り向いた。

「こいつの専門は毒だ」

信じるな、と言われた。
そうだったのかと思う反面、どこか納得できてしまう。
薬と言っても使用用途は様々なのだから、まずはそこを確認すべきだったのか。
尤も、確認したところで彼が正直に答えるとは思えないけれど。

「えー?でも目を覚ましたんだから、それでいいじゃない。薬を使って起こすなんて、一言も言ってないよ?」

ね?と同意を求められたコウが一歩足を引く。
先ほどの不快感が消えない。
アルバロが彼女とリゲイルの間に身体を滑らせた。

「第一、何故お前がここにいるんだ?」
「元生徒だし。現研究者だし。忍び込むくらいはねー…できちゃうんだなァ、これが」

そう言ったリゲイルは、懐から学生証を取り出した。
見間違えるはずもない―――それは、ミルス・クレア魔法院の学生証だ。

「ガレイにこの魔法院を教えてあげたのは僕だよ。忘れたわけじゃないよね」
「…消えろ」
「帰れでも去れでもなく消えろ、か。ま、君らしいね」

低い声にも怯むことなく、肩を竦めた彼は、アルバロの向こうにいるコウを見る。

「じゃあ、僕は消えるとするよ。ガレイのこんな姿を見ただけでも十分だし」

リゲイルはそう言って真っ直ぐ窓を目指す。
別れの言葉は何一つなく、彼は迷いなく窓枠を蹴って外の世界へと消えた。

11.01.06