Tone of time
Wand of Fortune another story 15

―――頭が痛い。

横になっていても付き纏う不快感に、コウはゆっくりと目を開いた。
視界は天井を見上げていて、ここがどこかの部屋なのだと悟る。
これは覚えがある―――これは、魔力がボーダーラインを下回ってしまった時の感覚だ。
頭痛に表情を顰め、視線を彷徨わせた。

「…?」

自分の部屋ではないことは、天井を見た時点で気付いた。
状況を理解しようと周囲を見回したコウは、その時になって漸く、自分が意識を失ったことを思い出す。
そして同時に、その原因となった出来事も、はっきりと脳裏に甦った。

「アルバロ…!!」

バッと勢いよく身体を起こし、その所為で酷くなった頭痛に思わず額を押さえる。
頭がぐらぐらして、気持ちが悪い。
横になっている時には気付かなかったけれど、酷い眩暈だ。

「急に起き上がるからですわ。ほら、まだ横になっておいでなさい」

柔らかく、艶やかな声。
とん、と額を押され、コウはベッドへと倒れ込んだ。
視線を動かして見上げた先には赤。

「ヴァニア、先生」

倒れる前には最後まで呼べなかったその名を紡ぐ。
外出用の装いではなく、いつものドレスに身を包んだ彼女は、小さく微笑んでコウの頬を撫でた。

「無理をしたわね、コウ。あなた、魔力が尽きる寸前でしたのよ?」
「先生、あの…」

アルバロは?と目で問いかければ、彼女は呆れた様子で肩を竦めた。

「こんな時に人の心配ですの?まぁ…気持ちはわかりますけれど」
「………」
「…あの子も、無事ですわ。研究者の話では、あの獣は固有の毒を持っていたようですの。
でも、それもちゃんと解毒が済んでいますし…後は、目を覚ますのを待つだけですわ」

ヴァニアの返答を聞き、コウは漸く肩の力を抜いた。
そんな彼女を見て、ヴァニアはベッド際の椅子に浅く腰掛ける。

「あたくしが魔力を分けて差し上げますわ」
「…先生、でも…」
「あなたは特に怪我もありませんし…魔力さえ回復すれば、動いても何の問題もありませんもの」

行きたいのでしょう?と彼女の目が語る。
コウは彼女から逃げるように視線を動かし、やがて諦めたように小さく息を吐き出した。
彼女の様子を見て、ヴァニアはクスリと笑う。
そして、コウの手をそっと握り、魔力を分け与える。
本来、魔力は指紋や声紋のように、一人一人違っている。
分け与えると言うことは、個性を消し、相手の一部とすること。
それは決して簡単なことではないけれど、ヴァニアは古代種であり優秀な魔女だ。
流れ込む魔力は、秒を追うごとにコウの体調を回復させた。

「今回の一件は、愚兄が取り仕切っていますわ。きっちり処分させますから、安心なさい」
「あの先生は…」

問いかけに、ヴァニアは笑みを深めただけだった。
それが答えなのだろう。

「…あたくしたちには及ばないまでも…相変わらず、大きな器ですこと。さぁ…体調はどうかしら?」
「あ…随分楽になりました」
「まだ半分ほどですけれど…どうやら、大人しくしていられないようですし。無理さえしなければ構いませんわ」

彼女の許可を得て、今度はゆっくりと身体を起こす。
先ほどのような眩暈はない。

「アルバロは隣の部屋よ。いいこと?魔力が馴染むまでの間、くれぐれも無理はいけませんわ」
「…はい」
「ただでさえ慣れない魔法を使ったのですから、不調を感じたらすぐにいらっしゃい」

何度も念を押され、しっかりと頷く。
コウ自身も、自分の身体の不安は感じているようだ。
ベッドを下りた彼女は、ヴァニアに向かって頭を下げてから部屋を出ていく。
それを見送ったヴァニアは小さく溜め息を吐き出した。
入れ替わるようにして、イヴァンが部屋に入ってくる。

「何じゃ、おぬしだけか。コウはどうした?」
「入れ違いですわね。隣の部屋ですわ」
「…無理をさせてはいかんとあれほど言っておいたじゃろうが」

むっと表情を歪めるイヴァンに、ヴァニアは呆れたような表情を浮かべた。

「これだからイロハのわからない男は…」
「何を訳の分からぬことを言っておる」
「身体を張って守ってくれた相手が目を覚ましていないと言うのに、休んでいられる女がどこにいますの?
況してや…それが恋人なら、尚のこと。行くなと留める方が酷ですわ」

うっとりと目を細めたヴァニアの視界に、イヴァンの姿は入っていないように見えた。
そんな彼女に、イヴァンはやれやれと肩を竦める。
確かに、彼女の言うことも一理ある。
それよりも。

「あのアルバロが身を挺して庇うとはのぅ」
「その点はあたくしも同意見ですわ。けれど…人の心は移ろい、育つもの。
漸く、あの子の心にも芽吹いたのかもしれませんわ―――人を慈しむ心が」
「そうじゃといいがの…未だに信じられん」

主を失い、熱を冷ましていくベッドに歩み寄る。
イヴァンは皺になったシーツを指先で伸ばし、やれやれと呟いた。

「それで、あの男はどうなりましたの?」
「仮にも同僚の教師の呼び方ではないの」
「あたくしの大事な生徒を傷付けた罪は重くてよ」
「…今頃は荷物をまとめて、ついでに上への反省文もまとめておる頃じゃろう」

イヴァンの説明に、ヴァニアはふん、と鼻を鳴らす。
当然ですわ、と胸を張る彼女に、イヴァンも静かに頷いた。













キィ、とドアが鳴く。
そっと室内に足を踏み入れたコウは、ベッドを見て目を見開いた。
静かにドアを閉ざし、そこへと歩み寄る。

「アルバロ…」

もしかしたら、と言う考えがなかったとは言わない。
だって、彼はいつでも本心を隠し、人をからかい、柳のように生きていた。
今回のことも、もしかするとこのドアを開けば彼が笑っているのではと―――ふと、そう考えたこともある。
けれど、現実は違う。
ベッドに横たわる彼は、あの時とは違って穏やかな表情で瞼を伏せ、静かに胸元を上下させていた。
その髪は黒く、色を変えるだけの単調かつ単純な魔法すら維持されていないのだと知る。

「どうして…私を庇ったりしたの?」

答えはない。
ベッド際に用意された椅子に腰かけ、彼を見つめる。
コウはそっと、アルバロの手を取った。
低い体温に、一瞬だけ躊躇い、その下に確かに熱が通っていることに気付き、安堵する。
彼の手を両手で包み、頬を寄せた。

「あなたは…誰かを庇うような人じゃない。それなのに、どうして…?」

答えがないと知りながら、何度も同じ言葉を繰り返す。
ぎゅっと彼の手を握る。

「私、は…」

その先を紡ぐことは出来なかった。
けれど、この胸に息づく感情―――それだけは、もう否定出来そうにない。
初めから存在していた物ではないけれど、いつからか確実に育ち始めたそれ。
その感情が今、はっきりと花開いたのを感じていた。

「―――アルバロ…」

名前を紡ぐだけで、胸のあたりがほんのりとあたたかい。
目覚めぬ彼を見るだけで、心臓が締め上げられているように切ない。
手を握り、体温を分け合うことしか、コウに出来ることはなかった。




「あれ、先客がいたみたいだね」

誰もいないはずの部屋の中で声が聞こえた。
振り向いた先は窓。
差し込む日差しを背負い、その人は小さく口角を持ち上げた。

10.12.17