Tone of time
Wand of Fortune another story 14
黒い視界に、赤が舞う。
自力で踏みとどまりながらも、膝から崩れ落ちる身体。
何を考えるまでもなく、コウは自分に向かって倒れ込んでくる身体を受け止めた。
当然、体格の差から完全に受け止めることは出来ず、倒れ込む勢いを弱めただけ。
コウは地面に座り込み、倒れてきた彼―――アルバロを受け止めた。
いつもの飄々とした表情ではない。
視線を動かせば、ローブの下のブラウスが赤く染まっているのが見えた。
それは、じわじわと広がり続けている。
「アルバロ…どうして…っ」
そう、“どうして”だ。
彼は、こんな風に誰かを庇うような人間ではない。
少なくとも、自分が怪我をしないよう上手く立ち回れる人。
それなのに、何故―――彼は、コウを庇ったのか。
困惑の中、コウは鮮血溢れるアルバロの腹部を押さえる。
「どうして私なんか庇うの…っ?」
その問いかけに答える声はない。
その事実が、コウを酷く追いつめた。
心臓が擦り切れるようにずくずくと痛む。
怪我を負った彼を見るよりも、自分が怪我を負った方が遥かに良かった。
アルバロがコウを庇って、獣の爪を受けた。
目の前で起こった出来事に、エストは驚愕で呼吸を忘れた。
彼らに襲いかかった獣が、地面に着地し、もう一度二人を睨み付ける。
力強く地面を踏みきったことに気付いたところで、漸く我に返るエスト。
止めなければと魔法を唱えようとした彼だが、それよりも早く彼女が口を開いた。
「レーナ・ルーメン」
静かな、けれど強い声、そして魔力。
一瞬のうちに膨らんだ光の魔力が、影の獣を内側から破壊した。
それは、一瞬のこと。
影に生きる獣は、跡形もなく消滅した。
「姉さん…」
自分は成功と聞かされて生きてきたエスト。
しかし、今の魔法は、エストの魔力すら上回るものだった。
コウの属性は、エストと同じ闇。
本来であれば、自分の属性以外の魔力をあれほど高められるはずがない。
現に、ユリウスが大きく目を見開いている。
あれは、負傷したアルバロに驚いているのではなく、彼女の魔法に驚いている顔だ。
他の合成獣の所為で右往左往していた生徒たちも、徐々にこの状況に気付き出した。
生徒の中から負傷者が出たこと、それがあのアルバロだと言うこと―――生徒から悲鳴が上がる。
「アルバロ…ッ」
信じられないものを、見た。
あのアルバロが怪我をしている光景も十分信じられない部類に入る。
けれど、エストにとってはそれ以上の衝撃。
コウが―――泣いている。
エストの足は、その場に縫い付けられたかのように動かなかった。
「コウ!」
遅れて状況に気付いたノエルが二人の元へと走った。
制服が汚れるのも構わずその場に膝をついた彼は、アンバーを掲げつつ彼女に言う。
「君はそのまま止血を続けてくれ。完治は出来ないが、応急処置程度なら…!」
そう言った彼が魔法を使う。
「ノエル、とりあえず魔法は止血することだけを考えた方が良いかもしれない。
黒の塔で研究されていた魔法生物だから、どんな特殊能力を持っているかわからないから…」
「そうデスね。治療ハ彼らに任せるべきデスが…あっちも大変そうデス。手伝いにいきまショウ」
「うん。すぐに先生を呼んでくるから」
研究者も教師も、他の合成獣の所為でこちらに気付いていないらしい。
一度は駆け寄ってきたユリウスとビラールが、再び教師らの手伝いのために離れていく。
魔法を使っていたノエルが表情を歪めた。
「…癪なことだが、ユリウスの言うとおりだな」
「え?」
「この傷は普通の魔法で癒える傷じゃない。とりあえず、血を止めることを優先しよう」
そう言って魔法を続けるノエル。
コウはアルバロを見下ろし、彼の血で染まる自分の手を見て―――唇を噛む。
何かを考えるようにぎゅっと目を閉じ、やがてそれを開いた。
その目に浮かぶのは決意。
「レーナ―――」
掠れるような小さな声は、魔法の維持に全力を注ぐノエルには届かなかった。
しかし、感じたことのない魔力がその場に流れたことだけは、嫌でも気付く。
一体何が―――ノエルにわかることは、コウが何かの魔法を使ったと言うこと。
そして、その魔法が…ノエルの魔法の手助けをしていると言うことだけだ。
「動物たちがやけに騒ぐと思って来てみれば…何なんだよ、この惨状は!」
「あぁ、ラギ。丁度いいところに。手を貸してくだサイ」
今まさにこの場に辿り着いたラギは、目の前の光景に眉を顰める。
彼に気付いたビラールが、自分の隣に彼を引きずり込んだ。
「一刻も早く、この場を鎮めなければなりまセン」
「だから何なんだよ、こいつらは…」
「今日の授業で使われるはずだった合成獣が逃げ出したんだ。重傷者も出てる」
訳が分からないラギに、そう説明したのはユリウスだ。
わからないながらも剣を抜き、致命傷にはならないよう獣を斬るラギ。
傷を負った獣が地面に跳ねたところで、ビラールの魔法が檻を作る。
「重傷者だぁ?授業で怪我人が出てる…の、か―――って、おい、あれ…」
「アルバロ、デス」
「アイツが怪我ァ!?相手は何だ、化け物か!?」
ラギがそう声を上げるのも無理はない。
この場にいる殆どがそれを感じているだろう。
「コウを庇ったみたいデスね。アルバロもやる時ハやる男だったようデス」
「うん、確かに。でも俺はそれよりもコウの魔法が気になるよ、凄く。早く落ち着いて、話がしたい」
「いや、もう…わけわかんねぇ。何で俺はこんなことに付き合わされてるんだ…?」
緊張感があるのかないのかわからない二人に、ラギはがくりと肩を落とした。
「まぁ…何ですの、この騒ぎは」
この場合は、タイミングが良いと言うべきなのだろうか。
最後の1匹を檻に閉じ込めたところで、ヴァニアが姿を見せた。
帰ったその足でここにやってきたのか、普段よりも少し正装した姿。
彼女はその美しい眉を吊り上げ、漸くコウたちの元へと向かう研究者たちを見る。
そして、悲惨な様相を呈している広場を見て、深く溜め息を吐き出した。
「何てこと…守護役の私たちが留守の時に限って…。モルガナ様に顔向けできませんわ…」
そう言って心底悲しげに首を振る。
やがて、彼女はコウたちの元へと歩いた。
「後は我々が引き受けますから―――あの、君?」
「コウ、聞こえているか?コウ?」
研究者やノエルの声に、コウは反応していなかった。
ただ、彼女の手の平を中心とする不思議な魔力が、アルバロの傷口を覆っている。
それに気付いたヴァニアの目がスッと細められた。
彼女は持っていた日傘を畳み、コウの傍らで腰を折る。
そっと、手套越しにコウの手を握った。
「コウ、もう良いのですよ。魔法を止めなさい」
そう言って最後にもう一度、コウ、と強く優しく、その名を呼ぶ。
そうして漸く、コウの目に光が戻る。
我に返ったのか、彼女の手から魔力が飛散した。
「ヴァニア先―――」
自分を見下ろす眼差しに気付き、彼女を呼ぶも、抗い難い疲労感が意識を閉ざしていく。
その名前を最後まで呼ぶことも叶わず、コウはその場に倒れた。
10.12.11