Tone of time
Wand of Fortune another story 11
進めている課題の途中で、ふと発展的な魔法を思いついた。
律としては十分成立する魔法で、試さずにはいられなかったと言った方が正しい。
結果、コウは放課後前の授業を1時間だけ欠席し、湖へとやってきた。
この理論はきっと上手くいく―――ある種の確信を抱く彼女の足取りは普段よりいくらか軽い。
そうして辿り着いた湖には、先客がいた。
「…彼は…」
相手は自分に気付いていない。
不安定な水面の上に立ち、そっと瞼を伏せる横顔。
まるで水に忠誠を誓うかのようだ。
手の平に掬い上げた水を見て、彼は何を思っているのだろうか。
邪魔すべきではないような気がして、コウはその先に足を進めることが出来ない。
長く膝をついていた彼は、やがて何かに気付いて顔を上げた。
辺りを見回した彼が、最後にコウの存在に気付く。
彼は先ほどまでの雰囲気を消し、いつもの穏やかさを感じさせる笑顔を浮かべた。
「こんにちハ」
「ええ。邪魔を…してしまったようね」
少し困ったように微笑んだコウを見て、彼、ビラールはいいえ、と首を振る。
「気にしないでくだサイ。コウは、どうしてここに?」
「…新しい魔法を試してみたくて」
そう答えた彼女が湖へと近付く。
それに気付くと、ビラールが水面の上を歩いて岸の草を踏んだ。
彼女に場所を譲るように身を引いた彼に、ありがとう、と告げる。
「ここで見ていても構いまセンか?」
「…ええ。失敗してしまうかもしれないけれど」
成功の確率はかなり高い。
けれど、もしもと言う可能性も否めない。
予めそう告げる彼女に、彼はにこにこと微笑む。
「大丈夫デス。あなたハ、とても優秀。きっと、上手くいきマス」
私の何を知って、何を基準に大丈夫と判断するのか。
心の中で、コウはそう苦笑した。
殆ど関わりを持たない彼が深く知ることが出来るほど、コウは浅い人間ではないからだ。
しかし―――と思う。
彼の“大丈夫”には、不思議な力があるのかもしれない。
「―――ええ、ありがとう」
素直に受けてみよう、出来るかもしれない。
不思議と、そう思わせるものだった。
ふぅ、と心を落ち着かせるように息を吐き出す。
そして、媒介となる中指の指輪を空にかざした。
紫の宝石が、太陽の光をきらりと反射させる。
「レーナ・アクア」
水面に向けられた手の平に吸い寄せられるように、彼女の足元の水が揺らぐ。
とぷん、と水面を離れた一滴を皮切りに、蛇のように水が細い渦を成して宙をのぼる。
彼女の手に絡みついた水の蛇は、やがて空を向いた彼女の手の平に集まった。
握りこぶしほどの大きさになった水は美しい球体を形成し、太陽に揺らめく。
ゆらり、ゆらり。
自然の法則に反し、コウの手の平の上に浮かぶ水の球。
彼女はそれをじっと見つめ、僅かに目を細めた。
「レーナ・アクア。水よ、我が魔力を糧とせよ」
律を組み、考えた通りに魔力を組み合わせていく。
自分の魔力を水へと変化させ、あるはずのない水を増幅させる。
ない物を生み出すことも出来るのが魔法なのだから、それはある種、当たり前の現象だった。
手の平の水は、どんどんその量を増していく。
コウの呪文に呼応して、渦巻くそれが彼女の手に合わせて緩やかに動き出す。
手の動きを追うように長く伸びた水は、水面を二度、三度と跳ね、柔らかいアーチを築いた。
「レーナ・ルーメン。無色透明の世界に、豊かな色彩を」
四方から降り注いだ光が水のアーチを貫く。
弾け飛んだ飛沫の合間に、淡い虹が浮かび上がった。
きらきらと光を吸い、あるいは反射させて落ちてくる飛沫。
この世のものとは思えない、幻想的な光景だ。
コウは、飛沫の中でスッと腰を落として跪き、水面に触れた。
「この世界を、あなたに捧げます」
1秒、2秒―――音もなく水が降り注ぐ世界で、コウはただその場に跪いた。
そして、祈りの時間を終えたように立ち上がり、岸を振り向く。
その時。
水面がゆらりと揺れ、細い渦が空にのぼる。
やがてそれは、音もなく人の姿を取った。
『美しい世界をありがとう―――時の娘』
水の身体を持つ彼女は、そう言って静かに微笑んだ。
目の前に姿を見せた彼女に、コウは驚き、そして瞬きをする。
しかし、岸で自分以上に驚いているビラールの存在を思い出した。
「レーナ・ルーメン」
コウは即座にそう唱え、パチンと指を鳴らす。
驚き一色に表情を染めていた彼に、その魔法を逃れる術はない。
強烈な光により意識を飛ばした彼は、どさりとその場に崩れ落ちた。
「まさか…姿を見せてくれるとは思いませんでした」
『どうして?魔法の途中、幾度となく私に語りかけてくる声を聴いたわ』
「あなたは精霊。そして精霊は孤高の存在。魔法院の一生徒が近付ける存在ではありません」
『…では何故、あなたは私に語りかけてきたの?』
わからない、と首を傾げる彼女には、あまり表情がない。
元々、人とは違うものなのだから、感情そのものが希薄なのかもしれないと思った。
「精霊の存在を、感じたかっただけです。水を増幅させた時に力を貸してくれた―――それで、十分でした」
『………あなたは無欲ね。どうして、この美しい世界を私に?』
「力を貸してくれたから。私が確かめたかったことは、他者の魔力の影響を自らの糧とする魔法。
あなたは十二分に私に応えてくれた。そのお礼です」
コウは小さく笑う。
他人の魔力は、影響こそあれどそれを自らの糧として魔法を使う事には、それなりの力量を求められる。
より単純な律でそれを行う事―――それが、今回の彼女の課題だった。
相手は誰でもよかったけれど、出来るならそれは強い魔力を持つ者が好ましい。
コウが選んだのは、裏山の水源に宿ると言われている精霊だった。
精霊の彼女は少し沈黙し、やがて視線を岸へと投げた。
『彼は?』
「魔法院の生徒です。おそらく―――誰よりもあなたを求めている」
祖国、ファランバルドの地は枯れている。
国ほどの規模ともなれば、一端の水魔法を覚えても無駄だ。
彼が求める先にあるのは、おそらく精霊の力。
「こんな形であなたに会わせるべき人ではありません」
『…けれど、彼は私を見てしまったわ』
「いいえ、彼は何も“覚えていません”から」
水の上を歩き、彼の元へと近付く。
そして、口元で小さく呪文を唱え、バンダナ越しに額に指を触れさせた。
『………では、私も彼の事は忘れましょう』
「ありがとうございます」
『…先ほどあなたは精霊を感じたいと言ったけれど、あなたはもう、十分にその存在を知っているはずよ。
あなたは“時”に愛されている』
それだけを言うと、彼女は水の中へと消えていった。
彼女が消えた場所を見つめるコウ。
やがて、最後の一粒が水面に落ち、世界が静けさを取り戻した。
「私ハ―――」
目を覚ましたビラールが、ゆっくりと身体を起こした。
それに気付くと、コウは時間を潰すためにと纏めていた今回の結果を本の中に閉じる。
「身体は平気?」
「コウ?私ハ、一体…?」
「ごめんなさい。魔法途中で光魔法が暴走して…怪我はないと思うけれど、心配なら医務室に行きましょう」
「なるほど。私ハ大丈夫。それより、あなたハ大丈夫デスか?」
「ええ、私は大丈夫よ」
「なら、良かった。では、そろそろ帰りましょう。日が暮れてしまいマス」
気にした様子もなく立ち上がった彼は、傍らで腰を下ろしていた彼女に向かって手を差し出した。
小さく微笑み、その手を取って立ち上がる彼女。
ビラールは、自分に促されるままに歩き出す彼女の背中を見つめ、そして湖を振り向いた。
夕暮れに染まる湖を見つめ、しかし何も言わず、コウと共に歩き出す。
その背中で、トプン、と水面が揺れた。
『私を眠りから解放するほどの、強い魔力―――あなたの力は、人よりも私たちに近い』
呟いた彼女は、それ以上何も言わず、静かに湖に消えた。
10.12.03