Tone of time
Wand of Fortune another story 09

アルバロと一緒に過ごすことは多いけれど、いつも一緒と言うわけではない。
一人で廊下を進んでいたコウは、角を曲がったところで誰かとぶつかった。
それはもう、漫画のように完璧なシチュエーションだったと思う。

「どこ見て歩いてんだ、テメー!!」

高い声が聞こえた。
至近距離から大声を聞いたコウは、迷惑そうに眉を寄せる。
そして、目の前の光景にきょとんと目を瞬かせた。

「えっと………ラギ…だったかしら?」

少なくとも、人の顔と名前を憶えないコウでも、食堂の件があるのでラギと言う存在を覚えている。
それを疑問形にしなければいけなかったのは、目の前の彼がいつもの彼ではなかったからだ。

高さを維持するためにパタパタと羽ばたく翼。
短い手足。
鋭い爪。
赤い鱗に包まれた身体。

これだけ特徴をあげれば、彼が人型ではないことくらいはすぐにわかるだろう。
そこで、コウはそう言えば―――と前に聞いた話を思い出す。

「もしかして…私の所為?」
「他に誰がいるんだ!!」

普段から温厚な印象はないけれど、小さな彼はいつも以上に騒がしい。
ドラゴンとはもっと威厳のある存在だと認識していたコウは、目の前の小さなドラゴンに微妙な表情だ。
文献から得た情報とは色々な点で違いすぎている。
コウが真剣に考え始める少し前に、ラギの高度がふらふらと低下し始めた。
意図しているわけではないだろうけれど、こちらに向かってくる彼を追いやることは出来ない。
仕方なく伸ばしたコウの腕に、ぱたり、と倒れこむ小さなドラゴン。

「え、ドラゴンって体力がないの?少し怒鳴った程度でこんなにふらふらになるなんて…」

どうなの、それ。
元気があれば言いたいことは山ほどあっただろう。
しかし、ラギの前にはそれ以上に重要な問題が横たわっている。

「腹減った…」

とりあえず、動けないほどの空腹を何とかすることが先だった。






腹が減った、と言われたコウの反応は困惑だった、と言っていいだろう。
彼女の周囲の人間の中に、空腹を訴える人は少なく―――いないと言っても過言ではない。
コウの周囲に限定した時点で人数はかなり限定されてくるのだから、ある意味では当然なのかもしれない。
そして、彼女自身もまた、食に対して貪欲ではなく、エストほどではないにせよ無欲だ。
だからこそ、そう言う時の対応がすぐに浮かばないと言う悲しい現実。
赤く小さなドラゴンを不安定な腕に抱き、少しの間、自身の行動を決めかねる彼女。
本音を言えば、どこかそのあたりに放置していきたいところだ。
けれど、自身がその原因の一端であることは事実なので、流石になけなしの良心が痛む。

「…あ、そう言えば」

ふとあることを思い出したコウは、ラギを腕に抱えたまま寮への道を歩き出した。
ほんの2、3分で辿り着く距離にいた彼女はすぐに鏡へと向かう。
しかし、近付くにつれて鏡の魔獣の顔つきが険しいものへと変化していく。
何故だろう―――それを考えたところで、コウは漸く、彼が男子生徒であることを思い出した。
普通の子であれば天然か、または抜けているような反応だが、コウの場合は無関心ゆえのものだ。

「…仕方ない」

置いていこう。
コウはぽつりと呟き、ホールの端に待ち合わせの人用に設置された椅子の上にラギを横たえた。
まだ意識はあるようだが、何かを言う元気は尽きているらしい。
ただ、腹減った、と言う言葉を小さく繰り返した彼を横目に、コウは鏡を通り抜けた。
薄目でそれを見送ったラギは、余裕のない心中で「なんて女だ」と悪態をつく。
彼女が自分をどうしようとしていたのかは定かではないけれど、置いて行ったことで印象は急降下。
あの女置いていきやがった!!―――元気になったら文句を言ってやる、と心に誓う。

「おや…?そこにいるのはラギ…デスか?」

聞きなれているけれど聞きたくない声が聞こえた。
顔を上げる余裕もないのだと言い聞かせ、無視を決め込む。
しかし、声の主はこちらの気持ちなどお構いなしに足音を近付かせた。
薄く開いた視界に入り込む、白銀の髪。
にこにこと笑顔を崩さぬルームメイトが、そこにいた。

「こんなところで何を―――」

言いかけた彼、ビラールが何かに気付いて口を噤む。
そして、彼はその笑顔を深めた。

「コウ…デスね」

何で分かった?と口にしなくても伝わったらしく、彼は笑顔で答えた。

「彼女の香りハ独特。ラギにハ似合わない綺麗な香りデス」

女の匂いが似合ってたまるか!!
全力の反論は心の中だけに留められた。

「それにしても…こんなところで行き倒れていても、お腹は膨れまセンよ」

もう反応するのも嫌だ。
ラギが椅子の上で脱力した、その時。
女子寮につながる鏡から、コウが姿を見せた。

「…あら」

こちらに気付いたらしい彼女の淡白な反応。
閉ざした瞼の向こうで、ラギに合わせて膝をついていたビラールが遠のくのを感じた。

「こんにちハ、コウ」
「…こんにちは―――殿下?」

少しの間をおいて告げられる呼称は、祖国に帰れば馴染みのものだ。
しかし、このミルス・クレアにおいてはあまり聞かない呼称でもある。

「ビラール、で構いまセン」
「…それより、どうして彼と一緒に?」
「ラギは私のルームメイトなのデス。こんなところで行き倒れていたのデ、思わず声をかけてしまいまシタ」
「私がここに置いていったのよ。それより…ルームメイトなら、これと彼を頼んでいいかしら」
「これハ―――」

コウの腕にあったものを見て、ビラールがなるほど、と言った表情を見せる。
これを取りに行くために、ラギは置き去りにされていたらしい。

「意図したわけではないけれど私が原因みたいだから、一応お詫びに。それに、片付かなくて困っていたの」
「そうデスか。ラギもきっと喜びマス」

笑顔でそう答えた彼がコウの腕からそれを受け取る。
そして、椅子のところで伸びているラギの元へと近づいた。
匂いを感じ取ったのか、先ほどまでとは見紛う素早さで身体を起こすラギ。

「供物か!?」
「はい、そうとも言いマス」

あっさりとそう答えたビラールの腕からそれを奪い取り、勢いのまま食らいつく。
供物…?と怪訝そうな表情を浮かべるコウに気付き、ビラールが頷いた。

「ラギは照れ屋サンです。女の子からの贈り物を素直に受け取れまセン」
「…そう。難儀なことね」

要するに、どうでもいいらしい反応だ。
がつがつとそれを食らう彼を見て、自分の役目は終わったと判断する。

「じゃあ、あとはよろしく」
「ハイ。頼まれまシタ」

笑顔の返事を聞いて、コウは寮の玄関から立ち去った。








「そう言えば、この間のパテルギブスはどうしたの?」
「処理したわ」
「…あの量を食べるとは思えないし…捨てたの?結構酷いね」
「別の人に食べてもらったの。
防腐魔法を施しているからって、箱いっぱいのパテルギブスを送ってくる方がどうかしているわ」
「溢れる愛を表現しただけじゃないかな?」
「私にとっては溢れる迷惑ね」
「ま、そうだろうね。それにしても…あの店員も気の毒に」
「…どうして?魔法が切れて腐らせるよりはいいと思うわ」
「相手への贈り物を別の男に渡されて喜ぶ男はいないだろうね」
「必死で食べていたわよ、ドラゴンの彼。味わっていたかはわからないけれど」
「あ、ラギくんのことだったんだ?」
「ええ。それにしても、どうしてあんなものを送ってきたのかしら」
「そりゃあ、好意の表れと判断すべきだろうね。そういう話になったんじゃないの?」
「…よく覚えていないわ」
「なるほど。本を読みながら適当に返事をした結果だね。コウらしいけど」
「…そう…だったかしら」
「うん、じゃあ今度の休日にでも、一緒に行こうか。反応が楽しそうだし」
「私に害がないなら好きにしてくれていいわ」

10.07.17