Tone of time
Wand of Fortune another story 08

「やぁ、随分白熱しているね」

暢気な声が聞こえた。

「あら、もうそんな時間?」
「うん。どうする?まだ続けるなら、俺も本を探すけど…」
「そうね…」

コウが手元の羊皮紙とユリウスを見た。
彼が煮詰まっていた部分の解決は済んでいる。
もう、コウがいなくても問題はないだろうけれど―――
そんな彼女の視線に気付いたらしいユリウスが首を振った。

「もう大丈夫だよ。ありがとう、コウ」
「どういたしまして。…と言う事らしいから、帰りましょうか」

ユリウスに笑顔を残し、ガタンと椅子を動かすコウ。
またね、とそこから歩き出した彼女は、思い出したように隣のアルバロを見上げた。

「本だけ借りてもいい?」
「うん、借りておいでよ」
「………」
「どうかした?」

コウがアルバロの顔を見上げて黙り込んだのを見て、彼は首を傾げた。
相変わらずの笑顔なのだか、何か―――そう思いながらも、何でもないわ、と答える。
そして、本を借りるべく目当てのものが置いてある本棚へと向かった。

「ごめん、アルバロ。白熱しちゃったみたいだ」

彼女を見送ったユリウスが、アルバロに向かって声をかけた。
視線を彼に戻したアルバロは、マシューの時と同じように首を傾げて見せる。

「君もマシューくんも、どうしてそう俺に謝ってくれるのかな?俺って、そんなに独占欲が強そうに見える?」
「ううん。そうは見えないけど…少し、機嫌が悪そうに見えたから。気のせいだった?」

それならごめん、と淡白に謝るユリウスに、アルバロは心中で、へぇ、と感心した。
魔法だけかと思っていたけれど、悪くない洞察力だと思う。
彼の称する「機嫌が悪い」とは少し異なる状況ではあるけれど。

「コウは楽しそうだったし、別にいいんじゃないかな」
「そっか。俺も楽しい時間だったし…コウにも楽しんでもらえたなら嬉しいよ」

元々、興味のある魔法に関してはとても素直なユリウスだ。
彼の笑顔を見たことはあるけれど、今目の前にあるそれは、いつものものとは少し違った印象を受けた。

「いい表情だね、ユリウスくん。研究が捗ったのかな?」
「うん!それもあるんだけど―――コウって可愛いね」
「………は?」

ユリウスの言葉は、アルバロの想像の枠の斜め上を行くものだった。
思わず素の反応が零れ、何でもなかったように平静を装う。

「そうだね。いつも笑顔だし、優しいと思うよ」
「いつもはそんなに思わないんだけど…あの表情は可愛かったよ。エストが大好きって滲み出てた」

ユリウスの口から告げられた名前に、あぁ、と納得する。
エストの関連の事ならば、ユリウスの反応も納得できるかもしれない。
魔法大好きなユリウスはエストを否定しなかっただろうし、コウも心中穏やかに話せたはずだ。
何となくその時の様子を思い浮かべることが出来、アルバロは完全に平静を取り戻す。
そこで、彼は近付いてくる気配に気付いた。

「うんうん。本当にエストくんが大好きだからね」
「人の名前を出して好きだとか…そういう話をするのはやめてもらえませんか」

聞かなかったことにできなかったらしい、第三者。
ユリウスが振り向いた先には、自分の魔道書と図書館の本を抱えたエストがいた。
その表情は険しい。

「何で?嬉しくない?」
「他人の感情に興味はありません。でも、自分の知らないところで自分の話をされるのは不愉快です」

眉を顰めたエストに、ユリウスが首を傾げた。

「他人じゃなくてコウの話だよ?」
「そうそう。コウは可愛いって話」

便乗する形で、当たり前のように煽るアルバロ。
は?と、予想していなかったらしいエストの表情が崩れた。

「コウが、可愛いなんて…そんなの―――」
「今さら言われることでもない?」
「っ!誰がそんなことを言いましたか!」

気付いた時には既に少し声を荒らげた後だった。
普段であればアルバロの言葉には乗らないと決めているのに、彼女の話題が出た途端にこれだ。
自分でも自覚していることだが―――失敗した、と心中で舌を打つ。

「エスト、どうしたの?」

声に気付いて戻ってきたのか、戻ってくるところだったのか。
姿を見せたコウは、そこにいるメンバーに軽く眉を寄せた。
何となく、エストの行動の理由を悟ったのかもしれない。

「もう行っていいわよ」
「…そうします」

姉の配慮に感謝しつつ、さっさとその場を離れていくエスト。
その背中を見送ってから振り向いたコウは、原因と思しき彼と向き合う。

「アルバロ」
「酷いな、まず俺?」
「あなたが煽らなければエストが声を荒らげるはずがないでしょう?」

流石に浅い付き合いではないので、よくわかっている。
けれど、ここで忘れてはいけないのは無自覚で突飛な行動を取るユリウスだ。

「今回は、ユリウスくんが言い出したことなんだけどなぁ」
「ユリウスが、何?」
「コウは可愛いって」

良かったね、とにこにこ笑顔を浮かべるアルバロに、コウは思わずこめかみを押さえた。
そして、ユリウスの方を見る。
文句の一つも言いたいところだが、それは無理だと判断した。
何故なら、彼の意識は既に研究に向けられていて、おそらく声も容易には届かない。
それこそ無駄な労力だと判断したコウは、即座に諦めると言う選択肢を選んだ。

「帰りましょう」
「うん。いい本は見つかった?」
「ええ。目当ての本のついでに、面白そうなものを見つけたわ」

そう答えた彼女の腕には、重そうな本が三冊。
一番上に載っている比較的薄い本は、タイトルからして課題のためのものだろう。











図書館を出ると、柔らかい夕日が二人の影を伸ばした。
時間が中途半端なのか、生徒の姿はない。

「…そう言えば」

ふと、コウが口を開く。
ん?と視線を向けるアルバロに気付いているだろうけれど、彼女は前を向いたままだ。

「図書館に来た時、様子がおかしかったわね」
「………そう、かな?」
「いつも通り飄々としていたのに、そうじゃない感じがしたわ。…機嫌が悪かった?」

また、だ。
ユリウスにも同じことを言われた。
何となく、繰り返された言葉がアルバロに不快感を抱かせる。
そんな彼の空気に気付いたのか、彼女が漸くアルバロを見た。
飄々としているからこそ、彼の地雷はわかりにくい。
他の人よりは理解しているだろうけれど、コウもやはり、彼のすべてを知っているわけではないのだ。

「気に障った…みたいね」
「そうだね。あんまり好ましい会話じゃない…かな」
「…ごめんなさい。あなたは踏み込まれるのが嫌いだったわね。忘れ―――」

二の腕の肩に近い位置を握られ、強く引き寄せられる。
驚いた彼女の手から三冊の本が零れ、地面に落ちてばさりと開く。
しかし、一瞬の間に呼吸を奪われ、その本を気にする余裕はなかった。

「―――っ」

奪われるような感覚に、コウは思わず目を閉じた。
10秒だったのか、20秒だったのか。
自由を返された時には、彼女は肩で息をしていた。

「―――これで忘れてあげる」

最後の仕上げとばかりに唇を舐めた彼が妖艶に微笑む。
薄らと涙の膜を張ったエメラルドの瞳が彼を見上げた。
至近距離から臆することなく自分を見つめるその目に、アルバロは何かが満たされる感覚を覚えた。
顎を引いてその目元にチュッと軽く口付けてから彼女を解放し、地面に落ちた本を拾う。

「ほら、行くよ?」

本を片腕に抱えてもう片方の手を差し出せば、我に返った彼女がゆっくりとその手を取った。
アルバロの心の中に、先ほどの不快感はない。
代わりに、コウの中に、何かの感情が残された。

10.10.23