Tone of time
Wand of Fortune another story 05
夢現の世界に迷い込んでいたような感覚。
校長室を後にしたコウは、はぁ、と息を吐き出した。
「どうしたの、溜め息なんて吐いて」
背中から声をかけられた。
振り向いた先には、アルバロ。
タイミングがいいのか、それとも見計らっていたのか。
疲れたの?と首を傾げた彼に、コウは黙って首を振った。
「ヴァニア先生と話をしていたの」
「へぇ…どんな話、って聞いてもいいのかな?」
「別に面白くもなんともないわよ。属性の話と―――」
―――あなたの心の奥深くに眠る、小さな恋心。いずれその心は成長し、大輪の花を咲かせるでしょう。
不意に、ヴァニアの言葉が脳裏に浮かんだ。
コウはふと口を止め、アルバロを見上げる。
もし、自分が恋心を成長させるとすれば…その相手は、彼なのだろうか。
それとも、別の―――?
自分を見つめたまま、沈黙の中で考え込む彼女は、アルバロが怪訝そうな表情を見せたことにも気づかない。
彼は視線を動かし、気配を探って周囲に人がいないことを確認した。
そして、コウに一歩近付き、腰を折る。
彼女と目線を合わせるようにして正面からその顔を覗き込んだ。
「どうした?心ここに非ず―――コウには珍しい様子だな」
素の彼の言葉に、コウがきょとんと目を瞬かせる。
常の彼であれば、こんな誰が通るかわからない時間帯、場所で素の自分を出したりはしない。
それをさせるほどに、自分の様子はおかしかっただろうか。
「何でもないの。属性の話と、エストの話を少し」
取り繕うようにそう答えた彼女の言葉が偽りを含んでいることくらい、アルバロでなくても気付く。
しかし、彼は聞かれたくないと誤魔化したことを無理強いする性格ではない。
そうか、と頷いた彼は、姿勢を戻していつもの表情に戻した。
「属性の話って君の属性だよね?」
「ええ、もちろん」
「そう言えば、前から気になってたんだけど…俺とすごく合う感覚と、何か違う感覚が混在してる」
これって気のせいじゃないよね。
断定した形のアルバロの言葉に、コウは躊躇うように視線をさまよわせた。
「まぁ、言いにくいなら聞かないけど」
「話せないわけじゃないわ。ただ、ここでは…」
今は誰もいないけれど、誰かが通らないとも限らない廊下。
ここで話すような内容ではないと、彼女は困ったような表情を浮かべる。
「じゃあ、次の休日。裏山に薬草を取りに行くんだけど…一緒にどう?」
「ええ、いいわ」
考えることすらしない彼女に、アルバロは小さく笑った。
そんな彼に疑問符を抱いた彼女の頭をポンと撫で、その手で彼女の手を取る。
「次の授業は同じだったよね」
「そう…だったかしら?」
「…俺が言うのも何だけど、もう少し他人に興味を持ってもいいんじゃない?」
少なくとも、俺のことくらいは。
呟く彼に、どこまで本気なんだろうと悩む。
もしかすると全部本気なのかもしれないし、全部冗談なのかもしれない。
けれど。
「…そうね。努力は…してみるわ」
コウの答えに、アルバロは少なからず驚かされた。
表情にその驚きを出すことはなかったけれど、一瞬だけいつもの笑みが消えたのがその証拠。
自らにとって、必要か不必要か。
それがコウの基準であり、更に言うならば必要とするラインは一般人の半分以下。
コウにとってはそれが当たり前のことで、他人の意見によってころりと考えを変えるほど柔軟でもない。
その彼女が、結果が伴うかは別として、「努力する」と答えた。
彼女の中で、何かが変わろうとしている―――アルバロは、そう理解する。
「そう言えば、アルバロの方は大丈夫だった?」
「ん?何のこと?」
「私、朝からかなりの人数に囲まれて…面倒だったの」
大変だったの、と言わないあたりが彼女らしいと思う。
予想していた反応だけに、ふぅん、と淡白な返事をした。
「“付き合ってなかったのか”とか、“騙されてないか”とか?」
「…その通りだけど」
どこかで見ていたわけじゃないわよね、と呟く彼女に、それはない、と返す。
「俺の方も来たよ?こっちは男が多かったけどね。皆、言う事は同じようなことだよ」
「やっぱりアルバロの所にも行ったのね」
「中にはコウは渡せないってすごい剣幕の生徒もいて、周囲を巻き込んで大乱闘」
「え、嘘」
「うん、嘘。そんなことになったら面白いよね」
巻き込まれるのはごめんだけど。
そう笑う彼は、やはりいつも通りの彼だった。
一度は信じかけたコウは、溜め息と共に肩を竦める。
「まぁ、全体的な印象としては…悔しいけど納得、って感じかな」
「納得…?」
「うん。でもここから先は秘密」
無理に聞こうとはしないけれど、釈然としない思いを抱いているのだろう。
微妙な表情を浮かべた彼女に、アルバロは、大丈夫、と微笑んだ。
「その時が来たら教えてあげる」
そう声をかけながら、アルバロは今朝の会話を思い出す。
「どうやって難攻不落のコウを落としたんだよ、アルバロ~!!」
「さぁ、どうやったんだろうね。企業秘密ってことにしておくよ」
「ったく!いつも飄々としやがって!……まぁ、納得できないわけじゃないんだけどな。
コウがエスト以外で心を許してるのってお前くらいだろ」
「そうかな?彼女は色んな人に気を許してると思うけど?」
「そりゃ、笑いかけてくれるけどな。笑顔以外の表情を見せるのってお前の前だけだろ」
「そうそう。いつも笑顔なんだけど…何となく、気を許しても心は許してないって感じだよな」
「そこから一歩進むために、必死になってる奴がミルスクレアの中にどれだけいることか…」
なるほど、馬鹿じゃなければ気付くか。
笑顔の裏で冷めた感想を持ったアルバロ。
同時に、彼女の隣を許されていると言う優越感を抱く。
だからと言って、彼にとって大きな利益になるかと問われると、答えは否。
彼女とは気が合うし、互いの本質を知っているだけに気兼ねなく接することが出来る。
ミルス・クレア内においては貴重な存在と言える。
けれど、アルバロにとっての彼女は、それ以上の価値を持たない存在だ。
他の生徒よりは有益だが、そこまで。
そしてアルバロ自身もまた、彼女にとっては同じような存在なのだと理解している。
そういう部分が似ているからこそ、互いを面倒だと感じない存在なのだから。
隣で沈黙するアルバロに気付いたコウだが、かける言葉を見失っていた。
それを探しているうちに、ふと今朝の会話の一部を思い出す。
「アルバロってああ言う性格だから困ってる子も多いけど…顔はいいから、意外と人気があるのよ」
「コウと付き合い始めたって知って、本気で泣いた子も中にはいるかもね~」
「そう、なの?知らなかったんだけど…」
「そうなのよ。コウってあんまり色恋沙汰には興味なさそうだもんね。それなのにちゃっかりしてるわ~」
「でもさ、これが他の子なら納得できないところなんだけど、コウなら仕方ないかなって」
「仕方ない?」
「だってね。アルバロがちゃん付けせずに呼び捨てるのって、コウだけだよ」
「そうそう!気付いた時はショックだったけどー…二人を見てたら、納得しちゃったわ」
言われなければ気付かなかった。
初めから彼はコウを呼び捨てていたし、その後も一度として「コウちゃん」と呼ばれたことはない。
実際、呼ばれるところを想像するだけで、何を企んでいるの、と背筋が気持ち悪い。
元々コウは、“女の子”を強調される呼び方を嫌う。
自然にそれに気付いたのか、単なる偶然だったのか。
どちらなのかはわからないけれど―――だからこそ、アルバロの傍は心地良い。
彼はたとえ無意識でもコウが嫌う事をしない。
コウにとっては、エストの次に接しやすい相手だ。
エスト、アルバロの次に続く人はなく、ある意味では唯一の二人と言えるだろう。
「私…あなたに名前を呼ばれるの、嫌いじゃないと思うわ」
「随分急な話だね。どういう心境の変化からそれに至ったのかが気になるな」
「―――あなたじっと見つめられると、緊張と言うよりは気味が悪いわ」
「…君のそう言う呆れた顔とかは―――うん、俺も嫌いじゃないよ」
「………悪趣味」
「酷い言われ様だなぁ」
本人たちの自覚しないところで、それは確実に成長していたのかもしれない。
10.09.27