Tone of time
Wand of Fortune another story 02
コウはエストに引きずられて寮前の庭までやってきた。
その理由はわかっているから、戸惑いはない。
噂が広がるのは早いもので、夕食の時には寮生の半数以上の注目を集めていた。
アルバロの影響力が大きかったのか、あのエストの姉と言う立場にある彼女の影響か。
平凡な日常に落ちてきた非凡な話題には、とても食いつきが良かった。
「どう言うつもりなんですか!」
珍しく声を荒らげ、その表情は戸惑いを浮かべている。
「落ち着いて、エスト」
「これが落ち着いていられますか!?何でよりによってアルバロなんです!」
どうやら、エストはよほど気に入らないらしい。
いや…最早、嫌っていると言うレベルの話かもしれない。
「アルバロは信用できる人間じゃありません。姉さんもよく知っているでしょう!」
「そうね。彼は…私たちに近い、と思うわ」
「ならどうして…!こんな事ならユリウスやノエルの方がずっとマシです」
エストは苛立たしげに髪を掻き揚げる。
ビーズが緩み、はらりと前髪が額にかかった。
それを見たコウがそっと彼に近付き、さも当然のようにその髪に触れる。
物言いたげに彼女を見上げたエストは、しかし何も言わずに口を噤んだ。
「…アルバロが好きなんですか?」
「………わからないわ。でも、彼の傍は楽よ。仮面で偽る必要がないから」
「それは、同属性に対する依存です。楽だと思っているだけの」
さらり、とエストの髪を指先で梳く。
そして、いつものように前髪を掻き揚げ、ビーズをカチッと嵌めた。
「姉さんが納得しているのなら…僕が何を言っても無駄ですね」
「…そうね」
「けれど、覚えておいてください。姉さんが泣く事になるなら…あなたが彼をどう思っていようと、許しません」
「…エスト…」
「あの時、決めたんです。あなたを守ると」
真剣な表情のエストが、コウの頬に触れる。
そこに刻まれたタトゥーは、エストの身に刻まれたものと似て非なるもの。
幼いエストを救えない自分の無力さを証として刻んだものだ。
「………そう言う事は、好きな子が出来てから…その子に言ってあげなさい。私には勿体無いわよ」
コウはそう言って笑い、仕上げとばかりにエストの髪を撫でた。
「でもエストの気持ちは嬉しい。だから…ちゃんと、自分の気持ちを探してみるわ」
そう言って微笑んだコウは、手触りの良い髪から手を離し、その頬を一撫でして引く。
白い頬に刻印はない。
それを封じるために苦痛に耐える姿が脳裏を過ぎったけれど、表情には出さなかった。
「もう終わりにしましょう?明日に響くわ」
「…わかりました」
おやすみ、と言葉をかければ、少しの間を置いてから、おやすみなさい、と返事が返ってくる。
この場に残るという意思表示を理解したのか、エストは何も言わず踵を返した。
寮に向かう彼に手を振り、やがてその小さな背中は扉の中へと消えた。
「思った以上に依存してるね」
背中から声を掛けられても、驚いたりはしない。
彼、アルバロがそこにいる事を知っていたから。
そして彼もまた、コウが自分の存在に気付いていると知っていた。
だから、彼女の反応が薄かったところで特に気にしたりはしない。
「依存…そうね。間違った表現じゃないと思う」
「それにしても…エストくんがあんなに感情的になるとは思わなかったなぁ」
「暫くは背後に気をつけた方が―――必要ないわね、あなたに限って」
暗に後ろから刺されると言いたかったのだが、彼に限って無用な心配だ。
彼は笑顔をそのままに、そうだね、と頷く。
「どうしてあんな事をしたの?」
「協力してって言ったのは君の方だよ?」
誰が聞いているかわからないからなのだろうか。
彼は、普段の軽い口調でそう話す。
そう言うことじゃない、と視線で告げれば、彼は肩を竦めた。
「普通が嫌いな事は知っているけれど、この結果があなたの望む“面白さ”に繋がるとは思えないわ」
「そうかな?エストくんのあの様子も結構レアだと思うけど」
「それで十分なの?」
「まぁ、十分ではないかな」
その答えにやっぱり、と思う。
彼の欲を満たすには十分ではないはずだ。
さぁ、どうしてだと思う?
まるで謎掛けのようにコウに答えを求める彼。
彼女はそっとその目を見上げ、考えた。
「…私のこと、好きなの?」
我ながら馬鹿な事を聞いたという自覚はある。
けれど、彼はそれを笑い飛ばすような事はしなかった。
代わりに笑みを深めて答える。
「君の恋人と言う場所を奪って、優越感に浸るのも良いよね。明日の朝が楽しみだな」
それは彼の本心だろうけれど、コウの質問に答えるものではなかった。
彼女自身も、その答えがもらえるとは思っていない。
自分たちの関係は曖昧で不安定で…けれど、不思議と心地良さを感じるもの。
きっと、この感覚はコウの独り善がりではない。
そうだとすれば、当の昔にアルバロの方から距離を置いているだろう。
彼は依存する事も、される事も望んでいないだろうから。
「あなたは繋がれる事だけは望まないと思っていたわ」
「―――繋いだつもり…なのか?」
浮んでいた笑みの質が変わった。
今更気にするような間柄ではないので、コウは眉一つ動かさずに首を振る。
「でも、恋人と言う関係を認めれば…そう思う人もいるわ」
「自分がそう感じなければいいだけの話。そうだろう?」
「…そうね」
やはり、アルバロという人はよくわからない。
それでも、彼が隣に立つ事を、嫌だとは思わなかった。
ある意味それが自然なのだと感じている。
コウは小さく笑い、そして納得した表情で寮へと歩き出す。
その時、アルバロが彼女の手を取り、それ以上の進行を防いだ。
振り向いた彼女は、無言の彼と視線を合わせる。
その目を見つめていれば、何となく彼の求めるものがわかった。
少しだけ悩んでから、自由な彼の頬に手を伸ばし、彼との距離を縮めて。
「…満足?」
「うん。まぁ、合格ラインかな」
ギリギリだけど、と答える彼に苦笑を返す。
「こんな所でスリルを楽しむような綱渡り好きな性格じゃないの」
「…だろうね」
どちらかと言えば当たり障りなく日々を過ごす性格の彼女だ。
掠めるようなキス一つでも、場所を考えれば納得できる。
「そろそろ門限になるね。帰ろうか」
当たり前のように差し出された手に自身のそれを重ねる。
こんな風に触れ合うのは初めてではないけれど、何だか新鮮な気がした。
彼の隣にいる事で、何か得られるだろうか。
今の自分を変えたいとは思わない。
けれど、何か変わるかもしれないという、漠然とした期待もある。
それは、未知の物に対する純粋な興味だ。
「明日の朝」
ふと、鏡の前に到着したところで、アルバロが突然そんな事を言う。
声に反応して見上げれば、彼はにこりと微笑んだ。
「一緒に食堂に行こうか」
「…ええ。構わないわ」
少しだけ悩んでから頷く。
「じゃあ、明日の朝…ここで待ってるから」
「時間を指定しなくていいの?」
「うん。大体の時間はわかるから」
彼がそう言うならば、もう何も言うまい。
もう一度頷いてから、繋がれたままの手を見下ろす。
少しの間を置いて、彼の手がコウのそれを解放した。
「おやすみ」
見送らなくていいと言っても彼は聞かないだろうから、促されるままに鏡へと進む。
それを潜り抜ける一歩手前で振り向くと、やはり彼はまだそこにいた。
「おやすみなさい、アルバロ」
その一言を残し、寮へと向かう。
明日はいつも通りに起きないと―――寝坊なんてした事はないけれど、そんな事を考えた。
10.08.21