君恋
Season 01:君に恋をした

着替えて来いよ、待っててやるから。

そう言われて、家の中へと促される。
うん、と短く返事をして鍵を開けて玄関を通る。
慣れたように自室へと向かって、タンスから手頃な服をいくつか取り出した。
迷っている暇なんてない―――わかっているけれど、だからと言って適当な格好も出来ない。

「御子柴くんがいるんだし、ね…」

呟いた声に驚いたのは紅自身だ。
誰かと出かけるからではなく、“彼”がいるから。
そう考えた自分に驚いた。
紅はカットソーを握る自分の手を見つめる。
手を握られて、初めは心臓が口から飛び出しそうなほどドキドキした。
でも、その次に訪れたのは、今まで経験した事のない安心感。
少しずつ、けれど確実に。
彼の存在が、大きくなってきているのを感じる。

「…私って、こんなに単純だった…?」

姿見の前で春物の服を自分の体に当てながら、そんな事を呟く。
自嘲の色を含んだ声が耳に届くけれど、不思議な事に不快感はなかった。
あるのは、自分が辿るかもしれない未来への…昂揚感。
ふふっと小さく笑ってから、数ある服の中から今日の一枚を決める。
学校をサボる事になるだとか、そう言う真面目な考えには、今日だけ、と蓋をした。

思ったよりも時間をかけてしまって、それに気付いたのはしっかり髪型まで整えていた時だ。
ハッと我に返って慌てて玄関を飛び出す。
ごめんね、と言う声は、門前で待っているはずの恭介に向ける筈だったもの。
けれど、当の本人はそこにはいなかった。

「?」

カシャン、と門を出てみて、その理由が分かった。
紅の家の前ではなく、隣の家のフェンスの所にその姿を見つける。
お隣さんの飼い犬が、長い尾をぶんぶんと振りながらフェンスに伸び上っていた。
その前にはもちろん彼がいて、その興奮ぶりに苦笑しながら黒い毛並の頭を撫でている。
よしよし、と頭やら顎の下やら首やらを撫でて犬を可愛がる彼。
僅かな時間の間に、とても懐かれたようだ。


彼は、見た目は少し怖いけれど…優しい人だから。
君も、それに気付いたんだね。

「…御子柴くん」
「おう、来たか―――」

最後の“か”がやたらと小さい。
犬を撫でていたままにこちらを向いた彼は、紅を見て動きを止めた。
そんな彼の反応に、何かおかしいだろうか、と自分の格好を見下ろす。
細身のジーンズ、白いカットソー、大きな網目のカーディガン。
合わない組み合わせではない…と思う。
そう確認してから、改めて彼を見る。

「…御子柴くん?」
「………あー、悪い。私服を見るのは二回目だったから…何か、変な感じだな」
「変?」
「あ、違ぇって。変っつーか、慣れねぇっつーか…制服とは印象変わるな」

あぁ、それはわかる気がする。
学校のクラスメイトと町中で会うと、とても新鮮なのだ。
制服と言う規則に縛られていない自由なプライベートは、その人の本質を垣間見せるから。

「んじゃ、行くか」

最後とばかりにガシガシと犬を撫でてから歩き出す恭介。
それを見て、置いて行かれないようにと、やや駆け足のように距離を縮める紅。
斜め後ろを歩くようにしていた彼女は、少しだけ考える時間を置いてから彼の隣に並んだ。
そんな彼女を見て、恭介が何かを思い出したように、あ、と呟く。

「…今日は月曜だったよな…」
「うん、そうだけど…何かあった?」

結果として、付き合わせることになってしまった紅としては予定があったなら心苦しい。
もし何かあるなら、と少し困った表情を浮かべてしまった。
それに気付いた恭介は、違う、とそれを否定する。

「店が休みだからよ…姉貴が休みなんだ」
「………明日菜さん?」

月曜日が休みと決まっている店と言われて浮かぶのは美容院。
そこから繋がるのは一人しかいない。
と言うより、紅が知っている彼の姉と言えば彼女だけなのだが。

「そっか…ごめんね」

視線を落とした紅からの謝罪に、彼は不思議そうな表情を見せた。
このタイミングで謝罪の言葉を口にする彼女の意図が分からなかったのだろう。

「学校をサボったりしたら怒られるよね」
「怒る?姉貴が?そりゃねぇって」

ないない、と首を振る彼。
確かに、毎日毎日どこかへ遊びに行って学校に行かないとなればいずれ雷が落ちるだろう。
けれど、一日や二日サボったところで、ぐちぐちと説教するような性格ではない。
況してや家に残っているのは明日菜だ。
状況を話せば、寧ろ「よくやった、それでこそ私の弟」と褒められる―――これは間違いない。

「…考えても仕方ねぇ…何とかなるだろ」

行くぞ、と一度は止めた足を動かす彼に続いて、紅も彼の家へと向かって歩き出す。











中で待ってろよ。
ここでいいよ。

そんなやり取りを繰り返す事2分。
大丈夫だから、と強引に彼を家の中へと向かわせ、一人になったところで軽く息を吐き出した。
彼の家に上がるのが嫌だったわけではない。
ただ、さっき自分の時には待っていてもらったのに、自分の時には上げてもらうわけにはいかないのだ。
律儀と言われようとこれが紅の性格なのだから仕方ない。

「…男の子の準備ってどれくらいなのかな?」

自分の時は、20分も待たせてしまった。
それでも準備時間としてはかなり早い方だが、文句の一つも言わなかった彼はやはり優しいと思う。
御子柴と書かれた表札を見つめてから、周囲の家に目を向ける。
住宅街の一角はどこもあまり変わらないな、と言うのが感想だ。
この前も来ているが、あの時はこんな風に周りを見回す余裕などなかった。
そうしているうちに、何やら騒がしい声が聞こえてくる。
聞き覚えのある二人分の声は、その内容こそ聞こえないものの雰囲気だけは何となく伝わってきた。
思わずクスクスと小さく笑ったところで、ガチャリ、と玄関の扉が開く。

「悪い、待たせたな」

時間にして、およそ5分。
やはり女の子とは違うなぁ、なんて事を考えながら首を振る。
追うようにして玄関から顔を覗かせたその人に、紅が僅かに表情を緩めた。
紅に気付いた明日菜もまた、笑顔を浮かべてその場から手を振る。

「紅ちゃんおはよー!しっかり楽しんでおいで!相手が恭介で申し訳ないけど」

話し相手と荷物持ちくらいにはなるから!
中々酷い言い分だが、同時に彼女らしいとも思う。

「そんな事ないです。たぶん…楽しいと思います」

答えた紅の言葉に、明日菜と恭介が目を瞬かせる。
何か変な事を言っただろうかと首を傾げる紅。

「ふぅん…」
「…行くぞ!」

ニヤリと口角を持ち上げる明日菜の隣から急ぎ足で紅の元へと近づいてきた彼。
紅の手を取り、やはり足早に歩き出す恭介に、彼女は慌てた様子で着いて行く。
行ってらっしゃーい、と言う声に見送られ、二人は町へと歩き出した。

「手を繋ぐの、好きじゃないって言ってたのにねぇ…」

企み顔を浮かべた明日菜だが、次には微笑ましく弟を見送る“姉”の表情を浮かべていた。

11.05.04