君恋
Season 01:君に恋をした
紅を家の前まで送り届けた恭介は、へぇ、と呟いた。
「意外と近いんだな」
「そうみたいね。私も驚いた」
二人の家は同じ団地の中にあり、その距離は歩いて15分程度だった。
こんなに近くにいるのに気付かなかったと言う事実に、二人は小さく笑う。
じゃあ、と来た道を戻ろうとした恭介の視界に、電灯の明かりに照らされた人物が映った。
もしかして、と抱いた警戒心は、相手からの声により掻き消される。
「姉ちゃん?こんな時間に何やってんだよ」
数メートルの距離と小走りに縮め、恭介の隣を抜けて紅の元へと駆け寄るその人物。
流石に聞かなかったことにできなかった恭介は、改めて紅を振り向いた。
「お帰り、暁斗」
「ただいま―――じゃなくて。アイツのこと、まだ解決してないんだろ?こんな時間に危ないじゃないか」
「うん。でも、今日は大丈夫。送ってもらったから」
紅がそう答えたところで、彼―――暁斗と呼ばれた少年が、振り向く。
近くの中学校の制服を着た彼が、恭介を振り向いた。
「誰?」
「高校のクラスメイト。明日菜さんの弟さんだったみたい」
びっくりよねぇ、と話す彼女の言葉は、実に呑気なものだ。
「弟…いたんだな」
「うん。ちなみに、上に二人姉がいるの。もう独立して、家にはいないけど」
と言うことは、三女一男。
どこかで聞いた家族構成に、げっと小さく呻く。
何となく、暁斗に向ける視線が同情的な意味合いを含んだ。
「なぁ、姉ちゃん。この人誰さん?」
「御子柴恭介。よろしくな、暁斗―――だったか?」
彼女に紹介されるまでもなく自分で名乗る。
名前を呼んだところで、暁斗の表情が僅かに変化したことに気付いた。
あまり歓迎されていないのは明らかだ。
目が、そう語っていたから。
穴が開くほど恭介を見つめてから、彼は門を開いて玄関へと向かう。
「とりあえず、俺は帰るからな。………あんま、弟を心配させるなよ」
彼に聞こえない程度に声を潜め、苦笑する恭介。
剥き出しの敵意も、姉を思えばこそのものだ。
全てを伝えるつもりはないけれど、“弟”の立場からそう助言する。
「…そう、だね」
困ったように、けれどしっかりと頷く紅を見て、姉たちとは大違いだと思った。
この家庭では、末の弟が理不尽な無理難題を押し付けられることもないのだろう。
彼女の様子を見ていれば、何となく想像できた。
「本当にありがとう。気を付けて帰ってね。…おやすみなさい」
門を閉め、その場から小さく手を振る彼女。
そんな彼女に片手をあげて答えてから、恭介は漸く帰路を歩き出した。
「なぁ、姉ちゃん。今日の奴って御子柴恭介だっけ?」
夕食を終え、家族が順に風呂を使いだす頃。
既に風呂を終えた紅が自室で寛いでいると、風呂から出たばかりの暁斗がひょこりと顔を覗かせた。
紅と同じ、癖のないストレートの髪がしっとりと濡れて、電器の光を反射している。
「うん。そうだけど?」
「じゃあ、酒井ジムの御子柴ってアイツのことなんだ」
「酒井…事務?」
きょとんと首を傾げる紅に、たぶん違う、と首を振る暁斗。
流石、生まれた時からの付き合いだけのことはあり、よくわかっている。
「ジム。ボクシングの」
「ふぅん…」
「姉ちゃん、めちゃくちゃ興味なさそう」
「そんなことないよ?だからかーって納得」
なるほどなるほど、と頷く紅。
暁斗は怪訝そうな表情を浮かべていた。
「そうだよね。腕に自信がなかったら…あんな話聞いて、送ろうなんて思えない」
「あんな、って?」
「…まぁ、一通り」
簡単にね、と言い訳染みた言葉を付け足す。
暁斗がふぅん、と何かを考え込むように黙り込んだ。
「派手な見た目の割に、見込あるじゃん」
「見込って何?」
「何でも!それより、湯冷めするなよ」
変わった話題に、紅が苦笑する。
そして、濡れたままの暁斗の髪の毛に触れ、口を開いた。
「このままだと暁斗の方が風邪を引きそうよ?」
「俺は鍛えてるから大丈夫。姉ちゃんはすぐ風邪引くんだからな」
「…そう?」
あまり自覚はないけれど、と答えると、長い溜め息が返ってきた。
首からぶらさげただけだったタオルでガシガシと髪を拭く。
「さて、と。じゃあ、俺も勉強しようかな」
「うん。頑張ってね。夜食いる?」
「おにぎり希望。昆布の」
要る要らないだけでなく、ちゃっかり要望まで出す彼に小さく笑う。
そして、はいはい、と頷けば、暁斗は紅の部屋を出て行った。
中学3年生の彼は、少し早目の受験勉強を始めている。
よほど失敗しなければ、来年の春、彼は紅の後輩になる予定だ。
同じ中学を卒業して、そして同じ高校へ。
どんな生活になるのだろうと考えたところで、机の上に置きっぱなしの携帯がメロディを奏でた。
「…明日菜さん」
ディスプレイに表示されているのは、明日菜の名前だ。
美容師と客と言う関係なのだが、付き合いの長さなのか明日菜の人柄なのか。
紅が携帯を持ち始めた頃から、明日菜の名前がそこに登録されている。
何かあったらすぐに連絡してね、と言う言葉は、まるで姉のようだと思った。
紅にも二人の姉がいるけれど、どちらも成人して家を出ている。
一人目は社会人で、二人目は大学生。
どちらも独り暮らしをして、自分で生計を立てている。
困った時にはメールや電話で相談に乗ってくれるけれど、基本的に忙しい二人に紅の方が遠慮してしまう。
だからと言って、両親には相談しにくい年頃だ。
家族の中で事情を知っているのは暁斗だけ。
『恭介から聞いたけど、大丈夫だった?ごめんね、折角のボディーガードが全然役に立たなくて』
最後を締めるのは怒った顔文字だ。
何となく、帰宅後の恭介の状況が理解できてしまった。
―――御子柴くん、ごめん。
思わず、心の中で謝罪する。
とりあえず、もう遅いだろうけれど―――「心強かったし、感謝しているから」と返信しておく。
そして、携帯を充電器に差し込んで、暁斗の夜食を作るべく部屋を後にした。
10.11.20