君と歩いた軌跡  010

「雪耶」
「何ー?」
「…何でもねー」

最近、こういったやり取りが増えた。
何か言いたいことがあるのは確かだけれど、肝心の内容が聞けない。
無理に聞きだす必要もないだろうと、いつも「そう?」と言って引き下がっている。
そろそろ少し強引に聞いてみた方がいいのだろうか。
朝食で使ったお皿を洗い流しつつ、紅はそんな事を考えていた。








結局、休日だった昨日もそれを聞くことは出来ず、一日が過ぎてしまった。
今日こそは、と思っていても、さほど意気込んでいるわけでもない行動は中々実行に移されない。
ふぅ、と溜め息を靴箱に向けて吐き出したところで、「お」と言う何かに気付いたような声が聞こえた。

「おはようございます、紅さん!」

元気の良い声が聞こえてきて、紅は先ほどまでの思考を振り飛ばして笑顔で振り向く。

「おはよう、桜木くん」
「紅さん、早いですね」
「え…あぁ、普通だと思うよ。ちょっと早いくらい」

流川の朝練にあわせて起きる癖が付いているので、紅の登校時間は早い。
時々彼と一緒に来ることもあるけれど、殆どは紅が拒むので単独の登校だ。
普通の会話が続くだけでも、彼にとっては新鮮なのだろう。
軽く感動しているらしい彼の反応にも、もう慣れた。
止めていた手の動きを再開して、靴を履き替える。

「あ、あの…紅さん」
「ん?どうしたの?」

様子から察するに、何か用があるらしい。
言うのを躊躇っている彼は、少しばかりそわそわとしている。
その様子は、何と言うか…身体が大きいだけに、少々微笑ましさに欠ける。
赤木先輩がするよりはマシだよな…などと考えながら、彼が話し出すまでの時間を過ごす。

「あの、その…目立つには、どうしたら…?」
「………君、それ以上目立とうと思ったら、相当大変だと思うよ?赤い髪ってそれだけで派手だし…」

まだそれ以上目立ちたいのか?とどこか驚いたような表情でそう言った。
しかし、彼女の言葉に対し、勢いよく首を横に振る桜木。
どうやら、受け取った意味が少々違っていたらしい。

「バスケで目立ちたいんです!」
「バスケで…ね」

それならば納得できる。

「…基礎練が嫌になった?」
「嫌になったわけでは…!ただ、もっとこう…ガツンとアピールできるような何かをですね!」
「あぁ…そう言うこと」

何となくわかるようだ。
紅は彼の言葉に頷きつつ、心中で苦笑を零す。
一度は退部の危機に近づいた彼だ。
嫌だと言わないだけでも、成長したのかもしれない。
しかし、練習内容に関しては紅が決めていることではなく、全ては赤木の指示だ。

「…流川を超える事が目的?」

そう問いかけてみれば、彼は驚いたように自分を見下ろす。
正直、見下ろされるのはあまり好きではない。
けれど、身長差があるのだから仕方がないと言うことは理解している。
流川にそんな小さなことに対する気配りができるはずもないので、すでに慣れた事だ。

「流川も初めから上手かったわけじゃないわ。それこそ、ドリブルの練習ばっかりだった時期もある。
君に足りないのは経験と継続的な努力よ」
「努力…」
「そ。知らないと思うけど、流川はよほどの大雨の日以外は毎日朝練してるの」
「何!?いつの間に…!」
「桜木くんが流川を意識するずーっと前から」

歩き出す紅に続き、桜木も廊下を歩き出した。
桜木花道と言う人物は良くも悪くも目立つ。
そのお蔭と言うのか、前から歩いてくる生徒が慌てて道を譲るのが、何とも滑稽だった。

「紅さんは流川のことをよく知ってますね」
「あぁ…同じ中学だから。家もそんなに遠くないし」

付き合い自体は君より長いよ、と言えば、ショックを受けたように重い空気を背負う彼。
今の想い人は赤木の妹の筈だが、自分に関しても流川に劣るのは耐えられないらしい。

「とにかく。今の君は、耐える時よ。目立とうとか考える前に基礎を磨くのが一番の近道」
「な、なるほど!」
「今日は彩子先輩に頼んで私も基礎練を手伝うから…頑張ろう?」

この一言で元気になってしまうのだから、つくづく現金な男だ。
そう思っているのだけれど、流石に気の毒なのでそれを言葉に出したりはしない。
もちろんそれを見下しているわけではなく、純粋だなぁと思う程度の紅。
放課後の練習についての意気込みを語る桜木を見ていた紅は、不意にグイッと腕を引かれた。

「っ!」

振り向いた先に顔はなく、学ランを追って上へと視線を上げたところで、自分を見下ろしていない顔を見つける。
後ろから紅の腕を掴んだ流川は、彼女ではなく桜木を見ているようだった。
しかし、彼が何かを言う前に、紅の腕を引いて歩き出す流川。

「雪耶、用がある」
「あ、うん」

引っ張られていた紅だが、その言葉に素直に歩き出す。

「おのれ、ルカワ!俺と紅さんの時間を邪魔するとは…!」

我に返った桜木がそう声を上げて二人を止めようとしたが、それよりも早く紅が振り向いた。

「じゃあね、桜木くん。また放課後」

ニコリと微笑まれ、毒気を抜かれたように手を振り返してしまう。
気付いた時には、すでに二人の姿は消えていた。












「流川、どうしたの?」

これで三度目の問いかけ。
靴箱から真っ直ぐに屋上へと連れ出された紅は、寝転がる流川の隣で溜め息を吐き出した。
言いたいことがあって、それが今朝と同じ内容なのだと言うことは何となく感じている。
けれど、今もその内容は告げられることなく、彼の中に飲み込まれてしまっている。
寝転がって目を閉じているけれど、寝ているわけではないと言うことは、その空気でわかる。

「流川…話す気がないなら、教室に戻っていい?」

HRは駄目だったけれど、今戻れば1時間目には間に合う。
そんな思いをこめて問いかけてみた答えは、無言。
ただし、あいていた彼の手が制服の裾を掴んだ。
…まるで迷子にならないよう母親の服を掴む子供のようだと思ったのは秘密だ。

「…仲良いのか?」
「え?誰と?」
「どあほう」
「…あぁ、桜木くん」

それだけで誰のことかがわかってしまう。
名前を呼びたくないからなのか、覚えていないのか、別の理由があるのか。
わからないけれど、流川は基本的に彼の名を呼ぼうとしない。

「そうでもないよ。普通の部員と同じかな」
「……………」
「流川?」
「…寝る」

そう言って、彼は紅に背を向けるように横を向いてしまった。
けれど、その背中が語る空気が、どこか落ち着いたように感じる。
言いたいことが全て吐き出されたと言うわけではないだろうけれど、一部が伝えられたようだ。
紅はクスリと笑ってから、口を開く。

「膝でよければ、枕を提供しましょうか?」

無言のまま膝に乗せられた頭を撫でつつ、紅は必死に笑いを堪えていた。

08.09.15