君と歩いた軌跡 006
ロッカールームで着替えを済ませた紅は、すぐに体育館へと向かう。
入り口のドアのところには、既に女子生徒の人だかりが出来ている。
その原因に思い当たり、紅は軽く肩を竦めた。
彼女らの向こうに用事があるのだが…と思っていると、偶然にも出てくる部員を発見。
流川ほどではないにせよ、長身の部員が近づいてくれば自然と道を譲る。
紅は、その隙間から体育館の中へと滑り込んだ。
入る直前に体育館に向けて頭を下げる。
あ、と誰かが声を上げたが、自分には関係ないと思い込むようにして、中を一瞥した。
丁度、ドアからそう遠く離れていない位置に、目当ての人物を見つける。
「赤木キャプテン」
ブロック練習を支持しているらしい彼に、そう声をかけた。
彼は次のステップの指示を出してから、紅を振り向く。
「今まで部活を休んですみませんでした。今日から参加しますので、よろしくお願いします」
そう言って頭を、運動部らしく頭を下げる。
入ってきた時点で、自ずと視線を集めていた彼女。
長身でガタイもいい赤木の前に立てば、背は低くはない彼女が小さく見える。
その…やや乱暴に例えるならば『美女と野獣』の状態は、酷く興味をそそるのだ。
「おう、雪耶か。もう家の方は大丈夫なのか?」
「はい」
「お前のことは彩子から聞いてるからな。しっかり頑張ってくれ」
先ほどまでの厳しさはどこに飛んで行った?
そう思うほどに、彼の表情は優しい。
入ったばかりの一年生にいたっては、部活中の厳しい姿しか見ていない。
二年三年ですら、数えるほどと言う部員も多い中、今の赤木は信じられない光景だった。
視線が集中し、体育館内に響いていたボールの音も、数秒前から止んでいる。
それに気付いた赤木は、丁度いい、と彼らに向き直った。
「家の事情で休んでた雪耶だ。今日から彩子と一緒にマネージャーをしてもらう」
「これからよろしくお願いします」
「選手経験があるから、練習にも参加することがあるだろう。以上!」
練習に戻れ、と言う声に、それぞれが動き出す。
未だに紅に意味ありげな視線を向ける者も居たが、残念ながら彼女の方は既に赤木と話し始めてしまっている。
同じ部活の仲間なのだ。これからいくらでも話す機会はあるだろう。
ひとつ、またひとつと名残惜しそうに視線が外れていく。
一時は練習の手を止めた流川もまた、彼女を視界の外に追い出して練習を再開した。
「彩子は部室に戻ってるだろう。マネージャーはあいつの管轄だからな。わからないことは聞けばいい」
「ありがとうございます」
「はーい!5分休憩ー!!」
紅の声に被るようにして、女性の声が響く。
入り口の方へと視線を向ければ、救急箱の補充品と思しきものを抱えている女子生徒が居た。
紅は彼女に気付くと、赤木に一言述べてから彼女の方へと移動する。
「彩子先輩!」
「お、やーっと来たか、遅刻娘~!」
Tシャツにスパッツと言う格好の彼女は、紅と同じ富ヶ丘出身の彩子だ。
彼女は紅に気付き、人当たりのよい笑みを浮かべる。
「今日は担任に呼ばれて遅れたんです!」
「まぁ、そんなことだろうと思ってたよ。今日から参加って聞いてたのはあたしだけだから、問題ない」
そう言って、紅の肩を叩く。
「これからよろしくお願いします」
「うん、よろしく。マネは初めてだから、全部きちんと教えてあげる。
…と言っても、今日は全部やってあるから…準備は明日ね」
「はい」
一から説明するとなると、まとめるか流れに沿った方が教えやすい。
既に練習が始まっている今日よりも、明日に回した方がいいと考えたのだ。
「んじゃ、今日はあの子の基礎練でも見ててもらおうか」
「あの子…?」
彩子が指した方を見て、あぁ、と納得した。
そこには、紅もよく知っている人物がいて、やや不満げな表情でダムダムとドリブルの練習をしている。
「あの赤いの、桜木花道ね。初心者だから、現在一人で基礎練習中。
他の部員に関しては、また後で資料を渡すから読んでおいて。おーい、ドリブルやめてこっちにおいで!」
後半の声は、ドリブル練習をしている桜木に向けたものだ。
その声に気付くと、彼はこちらを向いた。
そして、彩子の隣にいた紅に気付く。
「紅さん!」
「うん。ドリブル練習お疲れ」
「え、何何?知り合いなの?」
興味津々と言った様子の彩子に、肯定の返事を返す紅。
ふーん、とニヤニヤした笑みを浮かべてから、彼女は桜木に近づいた。
「あたしとボールばっかりが相手で飽きてきてると思うから、紅に代わってあげるわ」
「紅さんが見てくれるんですか!?」
驚いたように確認してくる彼に、紅は一度頷く。
そうすると、感激したように拳を握る彼。
紅はその様子に小さく笑みを浮かべた。
「マネは経験不足だけど、選手経験もあるから…しっかり見ててあげる」
頑張って、と言葉を締めくくる。
彼女のエールにやる気を出したのか、応援団顔負けの元気な返事を返し、再びドリブルを始めた。
「何か突然やる気になってるみたいだけど…どういう関係?」
「…色々と」
流石に「断った相手です」とは言えない。
ぅおおおおお!とドリブルには似合わないほどに熱意のこもった声の隣で、紅は苦笑いを浮かべた。
「ふぅん…まぁ、深くは聞かないけど…。じゃあ、あいつとはどうなったの?」
「あいつ?」
「流川よ、流川!中学の中では結構仲良かったし、紅も満更じゃなかったでしょ?」
紅がストップウォッチを操作している隣で、彩子はボールの空気を調整している。
決して手は止めないのだが、口を止める気もないようだ。
「別に…変化はないですよ」
紅は大して表情も変えずにそう答えた。
彼女が知っている時からは、彼との関係は変わっていないのだから、間違いではない。
ただ、彩子は二人が既に付き合っていることを知らない。
紅は「付き合っていると言う関係に変化はない」と答えた。
それに対し、彩子は「付き合うには至らない微妙な関係に変化はない」と受け取った。
紅は彼女がそう理解したと気付いている。
けれど、それを否定するようなことは言わない。
―――それが『約束』だから。
紅は静かに息を吐き出した。
彼女は知らなかった。
控えめに、けれども確かに彼女に向けられている視線に。
「(変化はない、ねぇ…じゃあ、あの視線は何なのかしらねー…)」
彼女に向けられている視線の主に気付いた彩子は、心中でそう呟く。
そんな筈はないだろう、と思うけれど、追求はしない。
漸く練習に意識を戻した様子の流川を見ながら、湧き上がる探究心を必死に抑え込んだ。
08.05.13