君と歩いた軌跡  002

あれから部屋の整理を始めた紅。
帰って良いよ、と言われたけれど、彼女は重い荷物を運ぼうとしていて、手を貸さずには居られなかった。
結果として1時間と少し、彼女の荷解きや家具設置の手伝いをすることになった流川。
一段落したときにはすっかり日も暮れてしまっていた。
「本当にごめんね。捗る所為でいつの間にかこんな時間になってたみたい」
玄関の鍵をしっかりと施錠し、流川の隣に並んでそう苦笑する。
やはり、男手があると作業の進み方が全然違ってくるらしい。
エレベーターで下まで降り、ホールを抜けて駐輪場へと向かう。

「今月の末から入るのか?」
「うん。契約自体は今月の頭からで―――」
「あれ、雪耶さん?」

紅の声を遮るようにして、別の声が重なった。
振り向いた彼女は、あ、と声を上げてからにこりと微笑む。

「佐倉さん。こんばんは」

振り向いた先に居たのは、30代と思しき優しい雰囲気の男性だ。
流川も紅が挨拶するのにあわせて軽く頭を下げておく。
彼は二人に向けて「こんばんは」と頷いた。

「こんなに遅くまで部屋の整理かい?危ないから、気をつけないと駄目だよ」
「遅くって…まだ6時半ですよ」

大丈夫ですって、と答える。
それから、彼女は思い出したように流川を見上げ、もう一度彼に視線を戻す。

「彼は流川君です。今日は整理を手伝ってもらっていて…」
「あぁ、前に聞いていた雪耶さんの彼氏だね」
「えっと…はい。流川、彼がさっき話していたオーナーの佐倉さん」

そう言って紹介すると、彼はもう一度軽く頭を下げた。
そんな彼を見て、オーナーはよろしく、と笑う。
それから、ふと流川を見つめた。
じっと見つめてくるその視線に、少しばかり訝しげな表情を見せる彼。
そんな表情の変化を悟ることが出来るのは紅くらいだろうけれど。

「流川、流川…まさか、富ケ丘中学校バスケ部の流川君かい?」
「?そうッス」
「君があの流川君か!いやー…制服を着ているとちょっと感じが違うね」

わからなかったよ、と告げるオーナーの目は輝いている。
その表情に、そう言えば彼はバスケが好きなのだと紅が言っていたな、と思い出した。

「前に試合を見に行って、いい選手だと思っていたんだ!高校はどこに?」
「湘北を受験します」
「なるほど。あそこはそんなに有名じゃないけど…大事なのは学校の知名度じゃないからね。
そうか…君が入れば強いチームになるだろう。先が楽しみだな」

期待しているよ、と肩を叩かれた。
話には聞いていたけれど、これほどだとは思っていなかった紅。
素晴らしく好印象を持たれているなぁ、と思った。
そこで、頼むなら今しかないと思い立つ。

「佐倉さん。下の公園は朝も開いていますよね?」
「うん?もちろんだよ」
「バスケットゴールを使う人も居ませんよね」
「そうだね。単身赴任か家族の人ばかりだからねぇ、ここは」

それがどうかしたのかい?と尋ねられた。
紅は実は、と続ける。

「彼が朝練の場所を探しているんです。今の所は、偶に先客が入ってしまうみたいで…」
「なるほど。そこで、あの場所を借りたい、と?」

全てを語るまでもなく、オーナーはそう理解した。
紅と流川がコクリと頷く。

「そうだね…別に構わないだろう。でも、公園で子供たちが遊んでいる時は控えてくれるかな?」

怪我をしたら危ないからね。
そういった彼は、大人の表情だった。
もちろんそのつもりだった紅は、ぱっと表情を明るくする。

「ありがとうございます!」
「頑張る若者を応援するのが大人の役目だ。どうせ今の子供たちはまだ数年はゴールが使えないからね。
君の更なる上達に使ってもらえるならば、言うことはない。好きな時間に使うといい」

オーナーは流川を見据え、しっかりと頑張りなさい、と笑った。
そんな彼に、流川はもう一度頷いてから「ありがとうございます」と礼を述べる。

「あ、じゃあ…これで。そろそろ帰らないと心配してしまいますから」

腕にはめた時計を見下ろした紅がそう切り出した。

「気をつけて帰りなさい。流川君、彼女のことを頼んだよ」
「…ッス」

ぺこりと頭を下げつつ、先に駐輪場まで歩いて自転車を持ってくる彼。
紅の元へと戻ってくると、当たり前のように彼女の荷物を受け取って前カゴに乗せた。
それから、自転車を引いて歩き出す。
ゆっくりと時間をかけているのは、彼女が追いつけるようにと考慮してのことなのだろう。

「さよなら!」

紅が顔だけを振り向かせてオーナーにそう言った。
ひらひらと手を振りつつ彼らを見送るオーナー。
それを見届けて、紅は流川の隣に並ぶ。
少し速度が上がったようだけれど、それでも男子の速度とは思えないほどにゆっくりだ。

「いいカップルだねぇ…。青春時代が懐かしいよ」

思い出すように目を細める彼の視界で、二人の背中が小さくなっていく。












「良かったね」

くいっと制服の裾を引いて流川に声をかける。
彼は紅が何かを言っていることには気づいたようだが、その内容までは聞こえなかったようだ。

「何?」
「良かったね!」

今度は少し大きめに声を上げた。
すると、無事に彼の耳にも届いたようだ。
彼が大きめに頷いたのが分かる。
あのバスケットゴールはマンションが管理している公園のものだ。
勝手に使うことが出来ない以上、邪魔が入らない。
嬉しいんだろうなぁ、と思いながら、隣の彼を見た。

「3月末から暮らすっつってたよな」
「うん、そうだよ」
「その頃からあそこで練習するから」

前を向いたままの状態でそう話し続ける彼。
紅は、よほど嬉しかったんだろうなぁ、と小さく微笑んだ。

「じゃあ、ドリンクは用意してあげる」
「…朝飯も食う」
「………朝食も用意するの?別にいいけど…お母さんにちゃんと話しておいてね」
「助かる」

仕方ないなぁ。
心中でそう呟き、苦笑する。
別に料理が苦手と言うことはないし、彼には何度か食べてもらっている。
今更朝食を求められたところで、それを嫌がる理由はなかった。

何より―――

「君との時間が増えるのは嬉しいよ」

そう言って微笑んだ彼女の表情は、本当に穏やかだ。
前を向いている流川がそれを見ていないと言うことが勿体無いくらいに。
街灯による二人の影が白い光の中を伸びる。
時折、追い越していく車のライトに照らされながら、二人はのんびりと帰路を歩いた。

08.04.28