君と歩いた軌跡  001

「引っ越す?」

既に部活を引退し、のんびりとした帰り道を過ごせるようになっている。
あえて自転車に乗ることもせず、夕暮れの道を並んで歩く。
完全に日が暮れる前にこうして帰宅路を歩くのも、漸く慣れてきた頃だ。

「うん。もう少し早くに言おうと思っていたんだけど…中々言い出せなくて。
とりあえず、次の住所が決まってからにしようと思って、今になったの」

ごめんね、遅くなって。
そう言って苦笑を浮かべた女子生徒。
彼女の名前は紅。
苗字は雪耶で、隣を歩く男子生徒――流川楓とはそろそろ1年半の付き合いとなる。

「……………」

普段から無口な彼。
別に沈黙が嫌だとは思わないのだが、今回の沈黙だけは少し違っていた。
ちくちくと刺すような空気をまとって黙り込む彼。

「どうしたの?」

寡黙なところもひっくるめて彼と言う存在なのだが、こう言う時には困ってしまう。
彼が何を考えているのか、すぐに理解できればいい。
出来ないときには、彼にその心中を話してもらうほかに理解する術はない。
心中がありありと表情に出る人ならいいのだが…。
仏頂面とまでは行かずとも、表情の乏しい彼だ。
喜怒哀楽程度はわかるようになったが、その一歩先となるとやはりまだまだ難しい。

「高校は?」

自分の考えが理解できないらしい彼女に、彼はそう言った。
短い一言なのだが、彼女はそれだけで彼の表情の意味を悟る。

「もちろん、行くよ。折角合格したのに、今から他の学校なんて無理」

そう答えた紅に、彼は沈黙を返した。
先ほどの、どこか拗ねたような空気は治まったようだ。
まるで子供のようだと思う。

「新しい住所は?」
「んー…流川の家から、君なら自転車で10分位かなぁ」

彼が持っている素晴らしい脚力を十分に使ったとして、だ。
自分で移動するならば、その2倍は掛かるだろう。
何しろ、新しい住宅となるマンションの前には、虐めかと思えるほどに長い坂がある。

「今から少しずつ整理して、3月末の週から住むの」

紅はそう言って曲がり角で足を止めた。
そして、こっち、と右の方角を指差しながら彼を振り向く。

「マンションはこっち。今日も寄って行く予定だから、ここで別れよ?」

流川は紅と、そして彼女が指している道を交互に見た。
それから、今までは押していた自転車に跨る。
彼が納得したものと思い、紅はその前カゴに入れてもらっていた通学鞄に手を伸ばす。
だが、それはスカッと空を掻いた。

「流川?」
「…寄ってく」
「寄ってくって…疲れてるでしょう?来るなら、日を改めればいいから」
「どーってことねー」
「…しょうがないなぁ…」

ちょっとだけね、そう言って苦笑しつつ、伸ばしていた腕を引っ込めた。
彼は結構頑固だから、一度言い出したら聞かないだろう。
それならば、折角なのでもう少し鞄を運んでもらうことにする。

「道案内は任せた」
「はいはい。途中で案内するから、聞き逃さないでね」

そう言って、曲がり角の右を示す。
丁度信号が青になったので、横断歩道を並んで歩き出した。

















そうして歩くこと15分。
まだ新しいマンションの近くに、二人の姿があった。

「いつも思うことだけど…長いなぁ、この坂」

疲れを訴える足を無視して、汗一つ書いていない様子の流川にそう呟いた。
しかし、彼の視線はあらぬ方向を向いていて、紅を見ていない。

「流川?」
「あれ…」

彼が指差した先には、マンションのすぐ隣にある公園だ。
恐らく、自治体ではなくこのマンションの経営者が管理している公園だろう。
そこにある、一つのバスケットゴール。
それに気付くと、紅はあぁ、と頷いた。

「オーナーがバスケ好きなんだって」
「朝は空いてんのか?」
「んー…多分ね。このマンションは夫婦とか単身赴任の一人暮らしが多いから、朝から練習する人は居ないよ」

じっとそればかりを見つめているらしい彼に、紅はクスリと笑った。
今回は、彼が何を考えているのか、手に取るようにわかる。

「オーナーは上手い人のプレーを見るのが好きなの。
マンションの住人以外は使っちゃ駄目なんだけど―――君が使えるように頼んでみるわ」
「…頼む」
「はーい。自転車はそこの駐輪場に止めよう。私のは持ってこないから、空いてるし」

紅は駐輪場に自転車を押していく流川の背中を見ながら、クスクスと笑う。
バスケに関わっている事は分かり易い。
きっと、今の彼の頭の中はバスケで一杯だろう。
彼らしいな、と思う。
待たせたと戻ってきた彼を連れ立って、マンションのエレベーターへと向かう。

「部屋の中はかなり乱れてるけど、驚かないでね」

そう前置きして玄関の鍵を差込み、開錠する。
確かに廊下までダンボールが押し寄せているが、乱れていると言う風ではなかった。
紅はまだ少し慣れない足取りでリビングの方へと歩く。
以前彼女の部屋の中で見た物がダンボールから顔を覗かせていた。
自然とそれに引き寄せられるようにしてダンボールの前に屈んだ流川。
片手で簡単に掴めてしまう子供用のバスケットボール。

―――思い出が詰まっていて捨てられないの。

前に紅がそんな事を言っていた。


「流川ー?」

何してるの、とリビングのドアから玄関を覗き込む紅。
彼女の声に慌ててボールをダンボールに戻し、リビングへと歩いていく。

「まだ冷蔵庫は届いてないから、何も出せないけど…」

そう言って部屋の隅に置いていたカゴの中から、缶ジュースを一つ取り上げて流川に放り投げる。
難なくそれを受け取りつつ、彼はぐるりと部屋の中を見回した。

「…狭くないか?」
「そう?2LDKだから、一人で住むなら十分な広さだと思うけど」
「………一人?」
「あれ。言わなかった?ここに一人で暮らすのよ」

事も無げにそう答え、彼女は運び込んであったソファーに腰を下ろす。
二人が座っても十分な幅のあるそれ。
紅はポンポンと自分の隣を叩き、彼を招く。

「引越しの理由はお父さんの転勤。3年後には戻ってくるみたいだから、家は売らないみたい。
折角推薦で入れた高校だから、私だけはこっちで暮らしてもいいって事になって…。
でも、一軒家に一人って言うのは物騒でしょう?だから、ここに住む事になったの」

カシュッとプルタブを開けながらそう答える。
わかってもらえた?と首を傾げる彼女に、流川はコクリと頷いた。
カーテンの用意されていない部屋の中には、夕日が直接差し込んでくる。
今は生活観の欠片もないここが、彼女の生活の場になるのだ。
想像するのは少し難しかったけれど、いずれそう感じるようになるのだろう。
紅から受け取った缶ジュースを開け、流川はそんなことを考えていた。

08.04.27